【ジョン・ラスキン】
少し、投稿が遠のいたのは、この節をまとめるのに手間取ったからです。
中身が飛び散っていて、趣旨をつかむのに苦労しました。
それだけ、このジョン・ラスキンという人の活動範囲が広くまた、影響度も大きいということかも知れません。
ジョン・ラスキンは『前半は美の思想家、後半は社会の思想家』だったと書かれています。
経済論も展開したようですが、大したものではなかったようです。
しかし、経済論を展開したということが後のラスキンの存在意義を高める事になったようです。
『今日、我々は、概して、経済問題が道徳的議論から切り離せないという考えを持っている』
『ラスキンのモラリティックな芸術理論には今日の為のラスキンは無い。しかしそれは明日の為のラスキンであるだろう』
(ケニス・クラーク)
そして、
『ラスキンを芸術をこえて駆り立てていった上念の張力こそがラスキンお最上の作品に影響を与えているのである』
何度も何度も、この節を読み返したら解ったのですが、ラスキンの功績は
『芸術に精神性・道徳性を盛り込む事を示唆した』
ということなんですね。
『フロレンスの美について語るためには、まず我々自身がが我々の生活を美しくしなければならない』
『子供達が飢えて死んでいくとき、フロレンスの芸術は何の役にたったか、という芸術をおびやかし続ける原始的問題がラスキンによって提出される』
つまり、芸術というのは何の為にあるのか?という事ですね。
このあとに、印象派やらラファエル前派やら、キュービズムやら書かれているんですが、ポイントはココです。
『見ることと知る事の関係を明らかにしたゲシュタルト心理学的な構成概念の導入によって』
ゲシュタルト心理学:人間の精神を、部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いて捉える。
この構成概念の導入が『ターナーの絵画の感覚性からゴシックの構築性へとラスキンを向かわせた』のです。
『建築とは人間によって立てられた建物を、用途は何であろうと、それを観る事が人間の精神的な健康、力、および快楽に貢献するように整え飾るところの美術である』
ようやく出てきましたね。
『芸術の効用』という物に目を向けたわけです。
『ラスキンは建築とは肉体的機能性のみではなく、精神性そのものとして定義する。構造と装飾の関係が問題となる』
『ラスキンには昨日主義的側面がある。しかし、機能主義とラスキンを分かつのは<必要>としての構造を超える精神的なものとしての建築の原イメージである』
つまり、建築の構造と装飾が人間の精神に影響を与える、という事ですね。
ひいては、物が精神に影響を与える、という結論が導き出されるわけです。
『機械による大量生産される製品に醜さに対して、ラスキンは中世の工人たちの工人たちの手仕事によってつくられた美しいかたちを理想とする』
『機械にまで物化した労働者と中世の自由な職人との対比。全的人間の自由な創造こそが真の建築を生み出すのであり、建築とは社会体制にかかっているのである。ラスキンの機械への反対を進歩への反対とするのは間違っている。それは人間の機械化への反対なのである。』
『神の家と人の家は等しく美しくあるべきであるという思想、建築は精神に働きかけねばならない、つまりは建築の原イメージ、芸術としての建築、がラスキンのアールヌーボーへの問題提起である』
後で出てくる、アーツ&クラフツ運動の主役、ウイリアム・モリスが家具やインテリアを中心に造ったのは、ここに流れがあるからなんですね。
『世紀末はすべてラスキンから流れ出している。ラスキンを受け継ぐのはウィリアムモリスである。生活の為の美として、民衆芸術の創造をモリスは目標とする。一方、世紀末のデカダニズムもラスキンをその根としている美のための美としての、芸術の自立性』
デカダニズムというのは19世紀末に現れた『世紀末の憂鬱』から出たものなのでしょうが、定義をググっても出てきませんね。
とりあえず、憂鬱な感じと覚えておいて、あとは当時の作品から感じ取ったらいいと想います。
『世紀末と美のための美、デカダンと社会主義はラスキンにおいて出会う、アールヌーボーの二つの顔である』
『世紀末』『デカダン』というのはアールヌーボーを考える上での大事なキーワードです。
デカダン:19世紀末に文学的な潮流として現れたデカダンスに属する動き。転じて、世紀末的な耽美的かつ虚無的な態度を意味する語としても用いられる。デカダント。
世紀末芸術というのを調べれば、なんとなく感じがわかるかもしれません。
なんとなく、先が知れない、憂鬱な感じ・・・と言えばいいでしょうか。
作品を見ても、なんか暗い影があるような感じがするのはそういう世相を反映しているのかも知れません。
そういう世の中でラスキンの思想が生まれ、ウィリアムモリスに受け継がれた、ということなんです。
ラスキンを源流として、芸術の流れは今にまで続いています。
とくに西洋絵画、アカデミズムとも言える大学教育では、その流れは顕著です。
どんな流れかというと、芸術に精神性を盛り込んだ、社会運動としての芸術、という流れです。
アーツ&クラフツ運動にもその流れが当初から来ていて、それが日本の民芸運動にまで連なる訳です。
注目すべきは、ラスキンと同時期にマルクスは資本論を著しており、ラスキン自身も労働者の権利回復の為の社会主義運動をしていたのです。
柳宗悦の民藝論を後で一緒に勉強しますが、柳が『貴族的工芸』を徹底的に攻撃したのも、ここに民芸運動の根本があるからだと私は考えています。
しかし、わが国では、貴族的工芸と民衆的工芸を分けることは出来なかったのです。
柳が忌み嫌った『下手な手で下手な細工をする』作り手は、『作品に意図を盛り込む』ラスキンの言う工芸家でした。
そこに、矛盾が生じ、アールヌーボーは、アールデコにとって変わられ、民藝論は自滅したのだと私は感じています。
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