もずやと学ぶアーツ&クラフツ第3話

『もずやと学ぶアーツ&クラフツ』第3話

【ゴシック・リバイバル】

ゴシックってどんな感じのを言うか、イメージが湧かない方は自分で検索してくださいね。

『ゴシック・リバイバルはイギリス的運動であった。多分、造形芸術における唯一の純粋なイギリス的運動であった。』(ケニス・クラーク)

『それがまさにイギリスのものであるのは、イギリス・ゴシックが、決して、大陸のように途絶していたわけでなく、ブレイクがのべていたように、パーペンディキュラー(垂直的)なイギリス・ゴシックの線的性格が受け継がれていたことにある』

『本格的なゴシック・リバイバルの運動は1830年頃からである』

『ゴシック・リバイバルは実際の建築よりも、ゴシックの歴史的研究において成果をあげ、イギリスの伝統としてのゴシックに眼を向け、その構造と装飾の資料が集成された。ゴシックの家具やカーペットなどの文様が研究され、ウィリアムモリスの工芸運動を準備したし、ゴシックの地方建築(ヴィラ)などの素朴な美しさの発見はドメスティック・リバイバルをよびおこしている』

『この運動はラファエル前派と同じく、スタイルだけでなく、モラリッシュな様相を含んでいる』

『リバイバルの最上の精神・・・ビュージン、ラスキン、ウィリアムモリス・・・は芸術の変革から社会の変革へ、死せる装飾的フォルムの擁護から社会秩序の不滅の原理の擁護へと向かった』(ケニス・クラーク)

『ゴシックのカテドラルの構造はヴィオレ・ル・デュック』によって研究され、彼はゴシック構造を絶対的合理生としてとらえた。また一方で、ゴシックの装飾文様を紹介した。デュックの図案はアールヌーボーのソースとなっている』

ゴシック様式のリバイバルからそれを分解して構造・装飾が抜き出され、さらに、精神とか原理とかいう物へと昇華され、またさらに、そこから形つまり図案とか装飾へと戻っていったような感じがありますね。

精神というか抽象的なものから形、具体的な物へ、そしてそこからまた精神へというのは宗教でよく見られるんです。

たとえば、仏像です。

飛鳥時代、奈良時代の仏像と、平安時代以降の仏像は表情が違いますよね。

お寺に行けば絵解きというお釈迦様の教えをわかりやすく図解した絵がおいてあったりします。

それは、教えや伝えたいものが変わると、それを表現した偶像も変化していること、そして言葉よりも絵や像がより一般的に理解されやすい事をしめしています。

18世紀まで教会から委託されて描かれていた絵は、すべて聖書の話です。

つまりお寺の絵解きと同じです。

お釈迦様やキリスト様の教えがあって、それが様々な形となって、偶像として信仰の対象となる。

そこから、さらに新たな教えが生まれたりもするわけです。

私達日本人も西洋人も、美しいものに神が宿るような気がするのは同じことだろうと想います。

醜いものは神から見放された物と自然に感じるでしょう。

お釈迦様やキリスト様の醜い姿を描いた絵を私は見たことがありません。

あるはずがないのですね。

私達、日本人なら、東大寺の盧舎那仏(大仏様)の安らかで大きな姿を見て、何も感じない人はいないしょう。

その『感じた何か』が造られた目的なんですね。

私の住んでいる河内、飛鳥、奈良のあたりには国宝どころか、平安京が出来る前に造られた仏像がたくさんあります。

それらの仏像と平安遷都以降につくられた仏像とはなにかが違っているんです。

ここが、この美術工芸史をつかむポイントだと私は思っています。

ウィリアム・モリスが擁護を目指したという『社会秩序の不滅の原理』とはなんでしょう?

上記の話が間違っていないとすれば、この『社会秩序の不滅の原理の擁護』こそがモリスのアーツ&クラフツ運動の目的で、彼の作品の制作意図だと言えるでしょう。

モリスについては後で詳しく出てくるので今は触れませんが、芸術・工芸というものと思想・哲学との関わり方について考え、その距離感はどうあるべきなのかを考える事は、作家として生きていく上で大きな意味があることだと想います。

モリスは、社会主義運動をしながらも、モリス商会という会社を立ち上げ、自己の中に大きな矛盾をはらんでいきます。そこにも深く考えるべきポイントがあります。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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