日曜日から福岡に来ていて、今は北九州市八幡西区の黒崎というところに宿泊しています。
以前、お得意先があって、年に2回、2週間ずつ滞在していました。
17年前まで毎年ですから、8年間くらいですね。
かつてよく行った食堂に今回も行ってみました。
昔から24時間営業で、汚い店でしたが、今はキレイになっています。
八幡というところには有名な製鉄所があり、黒崎には窯業関係などたくさんの工場があります。
ですから、当時は三交代の職工さんでしょうか、朝ご飯を食べに行くとビールを飲んでいたり、作業服(職服といいますが)を着た人でいっぱいでした。
ところが、今はその人たちの姿がありません。
その食堂で食事をしているのは、ごく普通の背広を着たサラリーマンや、学生さんなど。
昔は食堂のおばさんたちも、お客さんと言い合いをしていたりして、活気があったんですが、それもありません。
味はそのままですが、雰囲気はがらりと変わってしまっています。
(あいかわらず、ご飯はてんこもりだし)
いろいろ想いながら、夕食を食べていたんですが、全国的に同じような変化があります。
職服を着た人に会うことが減っているんです。
工場労働者に会うことも少なくなっている。
私も社会に出た当時の2年間は職服を着ていました。
工場労働者だったんです。
今日思い出したのは次の様な事です。
ある日、上司から休日の出勤を要請されました。
当時は好況だったので、手が足りないか何かだったのかもしれませんが、理由は覚えていません。
とは言っても、台持ち(機械を動かす人)が出来るわけではないので、縫い合わせやら、進行の手伝いだったんだと想います。
私は快く受けたんですが、断った先輩もいらっしゃいました。
午前中だけくらいの仕事だったんでしょう、お昼にはカツ丼が振る舞われました。
休日出勤した数名でたべた『たつみ寿司のカツ丼』
今までの人生で食べたどんな食事よりも、あのカツ丼は美味しかったと感じています。
一生忘れない思い出です。
美味しいカツ丼だったのは確かですが、それだけではありません。
みんなで汗を流して働いた後、みんなで食べる一杯のカツ丼。
これがおいしさを何倍増にもしているんだろうと想います。
産業は空洞化し、工場労働者は必然的に減っていきます。
私が居た工場も無くなりました。
金融立国だの、財テクだのと、身体を動かさないで働くことを勧める風潮があります。
カツ丼を思い出すと、人間の幸せってどこにあるんだろうかと考えてしまうんです。
私は今でも、猛暑の夏も極寒の冬も風呂敷に反物を詰めて売り歩いています。
それがいやだと想った事はありません。
状況が厳しい中では一層、夜のビールも、ご飯もまた格別に美味しいのです。
そしてぐっすりと寝て、また元気に次の日の仕事に向かう。
ずっとビルの中で事務なんて仕事、いまさら出来ないと想います。
私たちは、『額に汗して働く喜び』を奪われたのではないでしょうか?
同じ釜の飯を食べた仲間を失いつつあるのではないでしょうか?
『身体に汗をかかないで、頭に汗をかけ』
部下や後輩にそう教える営業がいるそうです。
愚かなことです。
私は父から『額に汗して働いて得た金は絶対に無駄にならない』と教えられてきました。
そして、額の汗こそ、何よりも大事で貴重なものだと想っています。
汗まみれ、泥まみれになって働く人を馬鹿にする人にはさせておけばいい。
人間の一番美しい姿はなにか?
それは額に汗して懸命に働く姿です。
そのことを忘れた国こそ、滅亡への道を行くような気がしています。
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