もずやと学ぶ日本の伝統織物第7話

『もずやと学ぶ日本の伝統織物』第7話

【意志と家業と】

ここでははじめに黄八丈の山下めゆさんと、館山唐桟の斉藤豊吉さんの話が載っています。

『肉親による家業としての意志の伝達がもっとも典型的な姿をとっているのは、一子相伝方式であろう』

『意志の力が家業として打ち込まれ、それによって伝統織物がささえられているとき、存立には力強いものがある。ここには、おばあさんの愛情とは違った家伝にたいする使命感がみられよう。それは日本の伝統織物を支える一つの太い柱でもある』

つまり、伝統技法と一緒に伝統の仕事を親から子へ、子から孫へと伝承し、継承していくということですね。

いわゆる世襲です。

政治の世界では世襲が批判の対象になっているようですが、その政治も含めて世襲というのも大変意味のある、合理的なシステムなんですよ。

伝統染織だけでなく、他の伝統工芸も、伝統芸能も軸となっているのは世襲です。

茶道の家元も世襲ですね。

一子相伝ということでなくても、その道の『本筋』『本流』を継承していくという意味で世襲はきわめて有効なしくみです。

世襲でなければどうなるかというと、十把一絡げにはできませんが、世の中の動きや市場動向に応じて、道をゆがめる事があるかもしれません。

世襲ならそれは無い、とは言いませんが、可能性としては低くなると思います。

なぜかというと、世襲で受け継がれるのは技術だけでなく、マインドも受け継がれる場合が多いからです。

マインドは意志ともいえるのでしょうか。

私も世襲経営者ですが、私も含めて父親の働く姿、仕事に対する姿勢というのものを物心がつかないうちから見て育つわけです。

土壇場に追い込まれたとき、なんとか踏ん張りがきくのは、『親父に申し訳ない』という気があるからです。

もちろん、中には親から受け継いだ大事な仕事をただの金儲けの道具と思っている人もいます。

でも、親や恩ある師匠から受け継ぐのと、そうでないのとでは、使命感に雲泥の差があると私は思います。

そんなことばっかり言っててもしょうがないのですが、近頃の作り手が世襲が少なくなり、師弟関係が弱くなったのがどうも心配でならないのです。

道を踏み外そうとした時、本気で怒ってくれたり、悩んだときに親身になって相談に乗ってくれたりする師匠がいないと、伝統の世界はどんどんゆがんでいくような気がするんです。

陶芸でも、近頃は3年くらい師匠の工房にいたら、すぐに独立してしまう人が多いそうです。

そんな事で、本当によい職人芸がはぐくまれるわけがないと思いますし、しばらくはうまくいってもいずれ早々に行き詰まるように思うのです。

世襲とか一子相伝というのを勧めることも、強制することもできませんが、それが極端に減少し、世襲が良くないことの様に言われる風潮が伝統の継承をより難しくしているのでしょう。

江戸時代までは職業選択の自由がそれほどありませんでしたし、親の跡を継ぐのが長男としてのつとめでした。

親もそのつもりでマインドコントロールしたんです。

いまは、職人だけでなく、私たちのような商売人も商売を継がせない人が増えました。

このことは、永年積み上げてきた我が国の蓄積を失っていくのと同じ事のように思います。

といいつつ、私にも後継者がいません。

もし、私に後継者がいたとすれば、それは販売技術の継承でも、商品プロデュースのノウハウの伝授でもありません。

私の『マインド』しか受け渡すべきものは無いんです。

世襲とか一子相伝というのは、先代から、いちばん大切な『エキス』をもらっているんです。

とぎれるということは、その『エキス』が埋もれ、失われるということです。

商業であれ、ものづくりであれ、エキスが失われるというのは我が国にとっても世界にとっても莫大な損害なんですね。

沖縄でも若い作り手さんで、親もやっていたから、という人をあまり知りません。

とくに織は少ないように感じます。

紅型にくらべて、織の人に熱っぽさがすくないのはそのせいかもしれないな、と思わなくもありません。

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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