もずやと学ぶ日本の伝統織物第6話

『もずやと学ぶ日本の伝統織物』第6話

【生命と愛着と】

『生業がことばどおりの生業ではなく、準生業・半生業といったばあいには、比較的残りやすい。それをよく表しているのが「おばあさんの手」による伝承である。すでにそのおばあさんたちは、家計の担い手ではない。趣味とささやかな実益と、そして強い伝統への愛着と、それらによって、伝承の灯がともし続けられている姿は、意外に根強く伝統織物の底流をなしている』

『かつて女は、日本社会の下積みだった。下積みだったからこそ、もちこたえられてこられたこの伝承のエネルギー。しかし、現在この人達に何が心配かを問えば、それは、あとを継ぐ若い婦人たちがいないか、または極めて少ないという事である。愛着の系譜の切れたところでは、いま造っている人の生命だけの期限しかない伝統技法もある』

『愛のきずなが生命限りのものとなったとき、その前途は短い。だが、生命による支えがさらに愛着のきずなを次の時代につなぐ可能性は、まだなくなったわけではない』

染めはともかく、織、とくに地方の民芸的な織物の多くは女性の手によって担われてきました。

夜や農閑期に織ったわけですね。

『与作は木を伐る♪へいへいほ〜へいへいほ〜女房は機を織る♪トントントン、トントントン』の世界です。

なぜ、この世界が失われたのか?

それは需要、つまり着物離れの問題だけではないと私は思います。

産業構造の変化と女性の社会進出も大きく影響していると思っています。

機織をしているイメージってどんなもんですか?

与作の世界のように、昼間は百姓仕事をして、夜は女性が副収入として織っていたという形が基本です。

江戸時代まで各藩で産業振興の為にいろんな織物が織られるようになりましたが、農業を捨てて機屋をやっていたわけではありません。

西陣織のような織物と民芸的な紬織の世界とは成り立ちからして別と考えた方がいいと思います。

昔は問屋制家内工業の形で、問屋から糸をもらい、縞帳どおりに織れば、工賃仕事で農業以外の収入ができた。

ところが、農業では基本的な収入が確保できなくなり、また他の産業が伸びていく中で取り残される形になった農業からは、従事者が減り、兼業農家も多くなった。

そして、仕事を求めて、男は都会に出て行く。女性も社会進出が盛んになり、外の仕事が中心になった・・・

つまり、故郷や自宅が『労働の場』ではなくなったのです。

夜なべしてやっと手にする工賃より、会社に居て座っていればもらえる給料の方が高くなった。

紬織、民芸織物が他の工芸と一番ちがうところは、農村の女性がその担い手であったことです。

西陣や沖縄の首里は特異な例ですし、これらは民芸とは言いません。

そして、その上に、機械紡績や自動織機が登場した。

つまり糸は大量に紡績され、大ロットで染織される。もちろん、それは低価格化を招きます。

第5話でもお話ししたように、もう生業として成りたつどころか、造ったって買う人がいない、という状況に追い込まれたわけです。

今では考えにくい事かもしれませんが、『手より機械で造った方が良いモノができる』と思われていた時代がつい最近まであったのです。

考えてみてください。

つい最近まで、『手で書くよりワープロでうったほうが丁寧だ』と封筒に宛名を印刷していませんでしたか?

こぞって機械を導入したのは、安く大量に出来る、というだけでなく、手より良いモノができると信じられていたからなのです。

そんな世の中で、現実の世界で生活している人、とくに女性が、そのまま手仕事を続けていけるわけがありません。

ここに書かれている『命の灯をともしている』おばあさんはその端境期にいて、『てなぐさみ』としてやっていたのです。

つまり、ここでいう『きずな』というのは『てなぐさみ好き』の愛好会のきずなです。

布というのは不思議な力があります。

糸や布を触ったり、見たりしていると心が落ち着くんです。

とくに手作りのモノは威力があります。

夫婦げんかしたときには、部屋中に着物をまき散らして、心を落ち着けるという方を何人も知っています。

織っている時には、織機と一体になってしまうような感覚があるほどのめり込んでしまうのも、そのせいだと思います。

この『布の魔力』にとりつかれた人もまた、『きづな』でつながれた人です。

布が好きで、手なぐさみとして織をしたい、そういう人だけがやればいいのです。

私が出来る仕事というのは、その布が好き、造ってみたい、という人を一人でも増やして、仕事を続けられるようにする事くらいです。

テーブルセンターやマフラーからでいい。

楽しく造って、上手な人、才能に恵まれた人がさらに先に進んで、帯、着尺と織っていけばいい。

ちょっと前に『好縁社会』という言葉がはやりましたが、まさにその『好い縁』で繋がれた人々が助け合いながら仕事をしていけばいいと私は思っています。

その好縁社会のひとかけらが『もずや会』なわけです。

だから、もずや会の会員だからと言って、私が仕入れるというワケでもないし、まったく自由な染織が好きな人達の集まりなんです。

楽しくないとダメですよ、趣味仕事なんですから!

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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