『手仕事の日本』を読む 第一話2021/2/20

では、第一回始めましょう。

原文は青空文庫から転用させてもらってます。

1段落ずつ細か読んでいきますね。

 

まず、『貴方がたはとくと考えられたことがあるでしょうか。今の日本が素晴らしい手仕事の国であるということを』

この文で始まります。

では、考えてみましょう。

今はどうでしょうか。

今もまだたくさん手仕事のものがあると言う感じがされていますか?

それとも、もうないんじゃないの、と感じられているでしょうか。

このブログを読んでくださっている方は、ある程度民芸に関心をお持ちの方が多いと想いますので、前者の『まだ、結構ある』との答えが多いかもしれません。

染織だけでもまだまだ無いというレベルまでは行っていませんし、陶芸なんてほんとうにまだまだたくさんの陶芸家がいます。木工、竹細工、金工、などなど、少し探せば手仕事をされている方に出会うのはインターネットの時代でもあり、簡単なんことです。

手仕事は残ってもそれだけではダメなんです。

民芸運動の大きな命題は、『私達の生活の中に手仕事の美を取り入れ、美に囲まれた暮らしをすること』だからです。

特別に上等なものだとか、観賞用のもの、展示会で入選するために作られたものがたくさんあっても、それは民芸の世界ではあることにならないのです。

あくまでも、私達がある程度日常の生活の中で使い、少し探せば手に入り、長く使うつもりであればそこそこの所得の人なら購入できるものでなければなりません。

手仕事であれば、手作りであれば良いのかといえば、それだけを目指しているのではないということを認識しておきたいと想います。

『凡てを機械に任せてしまうと第一に国民的な特色あるものが乏しくなってきます。機械は世界のものと共通にしてしまう傾きがあります。』

どうでしょう。

全くそうなってしまっていますね。

テレビで見てもわかりますが、全世界衣服はほぼ同じものを着るようになってきています。

民族衣装はお祭りや婚礼の時だけ。

皆さんのお家の食器棚を見てみてください。

和食器はどのくらいありますか。

湯呑とコーヒーカップ、どちらが多いですか。

なぜそうなるかといえば、もちろん生活習慣の変化、世界的均一化ということもありますが、機械化=効率化だからです。

効率を追求すれば、同じものを作るほうが安くたくさん作れます。

企業はその方向へ消費者を誘導しようとする。

個性なんてなくて良いんです。

文化なんて障壁でしか無い。

世界中同じもの、たとえばアメリカでジーンズが機械で安価に作られたれるように慣れば、世界中の人に着させようと思うでしょうし、発展途上国の人にまでとなれば、さらに大量に安くということになる。そこでは文化も習慣も邪魔。美意識も障壁としかとらえられない。だから、ブランドという名の洗脳が生まれるわけです。

そんなことない、機械でも良いのあるよ、という意見もあると想います。

実際、機械で作ったほうが、正確で失敗のないものが生まれてくるから良いんじゃないのかという話も多く聞いてきました。

民芸論を理解する上で、私が個人的に必要と思うことは、『文明はすばらしいものだ』ということに疑問を持つことです。

産業革命以降、世界中はそれまでとは比較にならないスピードで文明が進歩し、生活は便利になってきています。

しかし、そのことで失ったものもたくさんあるということは、ほとんどの方が気づいておられるのではないでしょうか。

野に咲く花よりも、しおれることも枯れることもない造花が美しいと思う・・そんなことがあるとしたら、プラスティック製のご飯にお箸をつけてしまう・・そんなこともありえるのです。

人間性、いや、自然界に生きるものの感性を失わないためにも、民芸論は忘れられてはいけないのだろうと私は思っています。

手作りのものは高価である。

これは確かなことです。

湯呑一つ作るのでも、いくつもの工程を通らなければ、みなさんの食卓に登ることはありません。

最低賃金が1000円近くなっている今の日本で、手作りの湯呑茶碗が100円ショップに出ることはありません。

しかし、お気に入りの手作りの湯呑を毎日使ってお茶を飲む生活に2000円は惜しいでしょうか。

私達の心を和ませてくれる花を入れる花器に1万円は高いでしょうか。

普通の人の手に届く範囲の価格にすることは手仕事の工人にとって不可能なことではないはずなんです。

和装の分野でも、昔は多くのお針子さんが家計を支えていた時代がありました。

仕立て代が高いという方が多いのですが、着物は3日で縫えるとよく言いますが、

1日8時間、三日間で時給1000円としたら、24000円です。

これはアルバイトの学生でも得られる賃金です。

実はもっと需要があって、仕事が増えたら、効率も上がり、技術も上がり、手も早くなって

良い仕事のものが、そこそこの値段で手に入るようになるはずなんです。

確かに機械でじゃんじゃん作るほどにはコストは下がらないですが、内容と価格のバランスからすれば、手仕事が捨てられることはないと私は考えています。

では、何が必要か、です。

一つは、消費者のモノを見極める眼です。

これはじっくりと話を続けていきたいと想います。

そして、流通させるつなぎ手の眼。

これが節穴が多いのがどうしようもない。

流通業者の罪は、流通コストではなく、良いものを自らの目で選んで、お客様のもとに届けるという最も必要なことができていないことだと思うのです。

柳宗悦は問屋の存在を一貫して否定的に書いていますが、工は善、商は悪というのも、全く間違った考え方で、工商一体で民芸論は論じられるべきでしょう。

そこのところも、柳宗悦の民藝論の大きな欠陥といわれる、人間性の欠如が顕在化している部分だと私は感じています。

次回は次のセンテンスについてお話します。

1話1センテンスずつです。

 

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この記事を書いた人

萬代商事株式会社 代表取締役
もずや民藝館館長
文化経営研究所主宰
芭蕉庵主宰 
茶人

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