たまにはキモノの話を。
当社もおかげさまで8月に50周年を迎えました。
東南アジアを主な得意先とする貿易会社として創業し、沖縄も仕向地の一つでした。
ドルショックがあり、沖縄の本土復帰という流れがあって、当時得意先であった沖縄の織物工場主からの勧めと後押しで、呉服業に転業。
復帰当初は、それこそ出したら全部売れるという盛況ぶりだったそうです。
当時は品質も?がつくものが多かった様ですし、昔の生地見本を見ればそれも一目瞭然です。
そして、染織にたずさわる人達も増えて、次第に品質も向上してきました。
父や番頭さんは、沖縄に行くと相当苦労していたようです。
いまから50年近く前の話ですからね。
沖縄染織は今や、リーダーたる先生方のご尽力もあって、ほんとうに良くなりました。
うちの父はいわばパイオニアなのですが、いまうちにある作品を見てくれたら、さぞかし喜んでくれるだろうな、と想います。
ここ20年デフレが進行して、価格の下ぶれ圧力が強く、品質を落としてでも生産・供給を続けようという動きが出てきています。
数が売れなくなってくると、掛け率を上げて利益を確保しようとしますが、価格が上げられないので仕入れ値を下げようとする。
いままで通り造ったのでは、作り手もやっていけないので、自ずと品質を落とすようになります。
私もたまに他社が持っている沖縄物を見ることがありますが、目を覆いたくなるようなものもあります。
それが市場化であるといえば、そうなのかもしれません。
市場に合わせて廉価なものを造れば、お客様も作り手も商売人もヨシ。
そういう考え方もあっていいでしょう。
でも、長年の先人の苦労を思う時、私だけはもっともっと良い物を!と沖縄の染織家に呼びかけ、力の限り創意工夫して良い物が出来たら、『やったやんか!』と言ってあげたいと想います。
『良い物造っても高かったら、誰も買わへんで』
そうかもしれませんし、私のやっていることは自己満足なのかもしれません。
少なくとも沖縄では安かろう悪かろうの物づくりはしないつもりです。
安い物が欲しければ、他産地に行くかも知れません。
でも、私は『沖縄染織の萬代屋宗安』なのです。
良い物は良い物として必ずその価値は認められるはずですし、認めてくれる人を捜し当てるのが私の仕事でもあります。
だって、どうせたくさん出来ないんですから。
才能あふれる染織家を見つけ出して、その人といっしょに物づくりをする。
その作品がお客様に認められ、感動してもらい、愛着をもっていただけたら、これほどの商人冥利はありません。
ある大手デパートのバイヤーが当社を訪問して、作品をご覧になった時、
『私達が知っている沖縄染織だけが沖縄染織ではなかったんだ』とつぶやかれました。
老壮青、すべての作り手が良いものづくりを目指して研鑽する場。
それが沖縄という産地です。
自己満足の砦、もずや民藝館は妥協しませんよ。