もずやと学ぶ『芸術と経済のジレンマ』第6話

しばらくサボっていましたが、またはじめますね(^^;)

第5章 実演家、作曲家、劇作家および振付師

この章の冒頭にはこう書かれています。

『仕事がうまく行った時の個人的な満足感こそ、経済的にほとんど恵まれない職業で得られる最高の報酬です。私は音楽家になってよかったと思います・・・自分の子供たちが音楽家になりたいといえば、それでいいでしょう・・・しかし、娘には音楽家と結婚してもらいたくはないのです(あるオーケストラ団員の意見)』

労働省の職業案内にはこう書かれているそうです。

『結婚したり、家族を養っていくために十分な生活費を得るためには、2つ3つ、あるいは4つの仕事の兼業も辞さないと決心し、それに必要な能力もそなえている・・・というのでない限りは職業として音楽を選択すべきでない』

また、ニューヨーク・シェークスピア・フェスティバルのプロデューサー、ジョセフ・パップは『銀行や家主は、俳優は生計を立てるためのはっきりした手段のない、信用上危険率の高い存在と見なしている』

各々の職業について分析したあと、この章の最後ではこうまとめています。

『多くの面で、実演家の労働条件は、一応まずまずといった水準をはるかに下回っている。エネルギーを消耗させる巡業、職業上の支出の高さ、頻繁に起こる失業とそれに伴う不安定さ、少ない有給休暇、しばしば見られる退職金制度の欠如。結局、万が一私たちがそこに飛び込んだら、ほとんどの人にとってそれは悪夢の世界と映じるだろう』

『芸術家が現存の芸術に対して果たす貢献と引き替えに、社会が差し出してきた補償は、十分に寛大だったとは言い難いのである。どんなに金がかかっても上演したいという実演家の気持ちに、私たちは平然と寄りかかってきたのである』

この本の著者は『芸術は豊かな社会を実現する上で、必要不可欠なものである』という事を前提としています。

不必要なモノなら、どんなに頑張っていようが、それはタダの酔狂かもの好きでしょう。

でも、必要だと思うから、『平然と寄りかかってきた』とある意味で私たちを糾弾しているのです。

では、『芸術とは何か』

それは『強く魂を揺り動かすなにか』なのだと私は思います。

見た、聞いた、触った、その時に、なにか心の奥底にズシリと感じるものがあった。

それが何かは解らない、でも、まるで種を植え付けられた畑の様に、その魂の動きから、自分の中に芽生えを感じる。

芸術とはそういうものなんじゃないかと思うんです。

ただキレイとか、細かいとか、上手いとか、面白いとかいうのとちがう。

洗い流すものではなくて、植え付けるモノ、それが芸術じゃないでしょうか。

技を磨くといいいますよね。

磨くととんがってきます。

滑りも良くなる。

だから、グサッと来るんです。

私は、芸術の価値は大衆に受け入れられるかどうかで判断するべきではないと思います。

堺には世界一の包丁があります。堺・打ち刃物といいます。

日本で、そして世界で一流の料理人が使っています。

でも、この包丁を素人が使いこなせるかというと、そうではないだろうと思います。

もし、不況で包丁づくりの名人が窮乏することになったとして、その技の価値が落ちるでしょうか。

そんな事はありません。技にはそれ自体に価値があるのです。

そして、包丁作りの職人は何を目指すのか?

素人ではなく、一流の料理人に使ってもらえるような包丁をつくるように精進するでしょう。

高価な素人が使えないような包丁を作っている職人の仕事に価値がないでしょうか?

無いというのはすべてを金に換算する商人の世界の話で、技の世界、芸の世界は違うはずです。

私は商人であることに誇りを持っていますが、世の中のすべての人、とくに為政者が商人的感覚を持ちすぎるのはいかがなものか、と思います。

お金に換算されない、大切な価値のあるものはたくさんあるのです。

この章を読んでいると、身につまされます。

私も同じように巡業生活をしているからです。

お金にならない仕事でも、必ずお金は出ていきます。

動けばお金がかかる。

もちろん、精神的、肉体的負担も大きい。やった人でないと解りません。

実演者は、演技をしている以外にも何時間も稽古を積み、打ち合わせをしています。その仕事もいつも安定してあるわけではない。

彼らが巡業と共に持ってまわる芸術は、その種を世界にまくことになるのです。

彼らの音楽を聴いた若者は、クラッシックの世界に入るかもしれないし、新たな音楽を生み出すかも知れない。

音楽から発想が湧いて、絵を描く人もいるかもしれない。

そして、人々の価値観や生活観を変えるかもしれない。

彼らは使命感や達成感でやっているのでしょうが、こんなに社会に貢献している人達が、苦しい思いをしているのを私たちは見て観ぬふりをし、放置して良いモノか。

『よりかかっていていいのか?』と著者は問うているのです。

昨日の産経新聞に『芸術の支え 最後は市民』というコラムがありました。

『東京で15分でチケットが売り切れる文楽も、大阪ではガラガラ』という事実に、『文楽は大阪の市民でで支えろ』というわけです。

ごもっともなようで、間違っています。

文楽はもう大衆芸能の域を超えてしまっています。

もとは大衆のものでも、今は違っています。

それは退化でも怠慢でもなく、まぎれもなく進化です。

能はどうですか?

元は申楽で、物まねや簡単な芝居をやっていた。

田楽などは田植えや収穫の時に行われていた訳です。

そこから、能へ進化した。

今の能を観て、大衆化が可能と思う人はいないでしょうし、するべきでもないでしょう。

では、大衆に受け入れられない芸術に価値が無いのか?

収益が得られないことを責めるべきなのか。

それは商人の発想で、私が勧進元なら怒ります。

でも、伝統芸能や伝統工芸というのは、『私たちの宝モノ』なんです。

欧米ではクラッシック音楽やオペラがそうでしょう。

要るとかいらないとか、儲かるとか儲からないとか、そういう次元の話ではないはずです。

堺の包丁作りの名人に、『儲けろ!』と言ったら、場合によっては刺されるかも知れませんよ(^^;)

そんな事を彼らは目標にしているんじゃないはずです。

私たちが生きているこの世の中で、お金に換算できない部分を担当してくれているんです。

それはみんなで支えなければならない。

みんなで支えるというのは、みんなで観に行くこともですが、みんなのお金で維持する、携わる人も含めて護っていく事が必要なんだろうと思うんです。

大神神社や伊勢神宮に対して、参拝客が少なくて、公費が投入されているとして、だからもっと儲けろとか、もう潰してしまえとかいいますか?

熱くなってきたので、先に進みましょう・・・(^_^)

もずやと学ぶ『芸術と経済のジレンマ』第5話

第4章 顧客

はじめに、なぜ、顧客の構成に関心を持つのかが書かれています。

?どんな人が集まっているのかに注目するのかは、観客の一人となる事が個人の幸福に繋がると信じるからである。

?チケットの価格決定や流通方法を検討するには、観客の特徴を知らねばならないからだ。

?政府支援の問題と結びついている。

?効果的なマーケティングを指針とすれば、当の商品を必要とする人々の事を全くしらない訳にはいかない。

それから色々と細かく書いてあるのですが、結論としては、

?ジャンルや都市や公演は違っても、観客構成には注目すべき一致が見られること。

?観客はアメリカ人口のかなり狭い部分から集まっている。概して、観客は驚くほど高学歴で、高所得、主に専門職で、青年から中年のあいだである。

?観客の層と動員数をもっと大きくしようとしたり、学歴が低い人やそれほど裕福でもない人の興味をひこうとしたりしても、これまでのところその効果はたいして上がっていない。

?観客の構成は入場料を無料にしても変わらない結果が出ている。

現実にはもっと細かく書かれていますが、要旨をまとめれば以上のような事です。

これは1960年代のアメリカでの事ですが、いまの我が国の舞台芸術の状態と比べてどうでしょう。

この時代のアメリカに於いては、統計上は男性の観客が女性よりも多い、ということになっています。

性別・・・男性が多いがほとんど変わらない(データの信憑性に疑問)

年収・・・高収入

学歴・・・非常に高い(大学院以上が多い)

職業・・・専門職

これが舞台芸術の主な観客の特徴です。

我が国においてはどうでしょうかね?

性別・・・圧倒的に女性が多い

年収・・・高収入が比較的多い

学歴・・・相対的に高い

職業・・・???

という感じでしょうか。

舞台芸術を見にらっしゃる方は、お友達にどんな方が多いか考えてみてください。

私の場合、能をよく観に行きますが、誰かと一緒に観に行くということはほとんどありません。

良く観に行くという人は、謡曲や仕舞・お囃子を習っているという人が多いです。

それも圧倒的に女性が多い。

文楽もよく行きますが、これはもう少し範囲が広いですが女性が圧倒的ですね。

感覚的には女性9に対して男性が1という感じでしょうか。

所得層は、これは解りませんが、女性でも自分で仕事をしていて収入があり、標準以上の生活をされていることが多いと思います。

学歴、これも聞いたこと無いので解りませんが、大学・短大以上じゃないかと思います。いまじゃ、標準以上という感じですかね。

職業はさまざまですが、女性が多いので割と時間のある自由業、OL,専業主婦が多いのでしょうか。

と考えてみると、女性が圧倒的という以外は、標準以上であれば、ひとそれぞれという事がいえるのでしょうか。

じゃぁ、何が舞台芸術を観に行く決め手になっているのでしょうか。

私は、ライフスタイルや価値観、そしてそれの元になる環境というのが大きいのではないかと思います。

今のアメリカであれば違う結果がでたかもしれませんが、我が国とアメリカの歴史の長さ、国の成り立ちの違いも大きいのだろうと思います。

お金をたくさん持っていたり、学校でたくさん勉強したりしても、舞台芸術を見たいと感じるとは私には思えません。

当時のアメリカでは、その層にいれば観に行かねばならないような社会構造になっていたんじゃないでしょうか。

日本では、能や文楽を観に行かなくても、オーケストラの演奏を聴きに行かなくてもバカにされることはありません。

詳しくは知りませんが、当時のアメリカはそうじゃなかったんじゃないでしょうか。

金持ちが絵を買い集めるというのも同じような精神構造じゃないでしょうか。

我が国では美術品を買い集めれば、良く言われて『好事家』『趣味人』、悪く言われれば『成金』『道楽』で、特に尊敬されることは無いように思います。

それが尊敬に値するかどうかは、その人がどんな家に生まれ、どんな社会活動をしてきたか、で決まっているような気がするんです。

骨董の収集家が尊敬されているなんてはなしはあまり聞いたことがありません。

伝統的なものだけでなく、宝塚歌劇や劇団四季をしょっちゅう観る人が高尚な趣味を持っていると思われることもない。

当時のアメリカでは、オペラやクラッシック音楽の場に行き、それを理解できる様でないと、社交界で恥をかくような環境があったんじゃないでしょうか。

日本でもかつてはそうでしたよね。

戦国時代は和歌、連歌、茶道、能楽をたしなんでいなければ、一流の武将や商人とは見なされなかった。

そこで、ひとつの社会が出来上がっていたんでしょう。

ところが、我が国でもアメリカでも、階層社会が壊れて、金銭が主役となった。

文化を理解しようがしまいが、どんな下劣な人間でもお金さえ持っていれば、偉いとされ、その人達が集まって、これもまた社会を支配する構造になってしまった。

これは、すなわち社会の価値構造の転換、クーデターが起こったわけです。

先日、茶道の宗匠がおっしゃっておられましたが、むかしは『茶人』という言葉がありました。

茶人というのは、茶道を歩む人、すなわち、文化人・趣味人として尊敬の念を表した言葉です。

ところが今は『茶道教授』と呼ばれる。

つまり、茶道を教える事を生業としている人、とされてしまうわけです。

それだけ芸術・文化の社会的価値が認められなくなっていると言うことですね。

当時、まだそこまで行っていなかった時代でも舞台芸術は厳しい状況に置かれていたわけですから、今はなおさらでしょう。

この本を読み進むに当たっては、時代の違い、そして国の違いを念頭に置いておかねばなりませんね。

まだまだ、前提となる分析がつづきます・・・

もずやと学ぶ『芸術と経済のジレンマ』第4話

第3章 カルチャー・ブーム:その証拠の再点検

明日から沖縄行くので、続けて書いときます。

1960年代の米国ではカルチャーブームと言われる事があったようで、これに対して舞台芸術の分野で考察がなされています。

まず、なんの為にこれを検証しようとするのか、です。

『カルチャー・ブームはこの10年でおそらく最もよく宣伝された芸術現象である』

『とはいうものの、この現象に異を唱える声も上がってきている。懐疑的な解説者達は、芸術への関心がよみがえったと声高に騒いでも、それは自己欺瞞に過ぎないとほのめかしてきた。』

『カルチャーブームを差異のない1つの大きな塊として扱うことの危険性がはっきり示されるであろう』

『この章では、合衆国において人々が舞台芸術に向ける関心の度合いを企画数や、それらの成長率、入場料のための支出とその他の消費支出との関係、といった物差しをつかって測定し、明確に示してみたい。つまり、この章は、私たちの研究の他の部分にとっての背景となるのえである』

つまり著者は仮説として『カルチャーブームと言ってもジャンルによって様々でひとかたまりで扱うことは出来ない』としているわけですね。

現実には、商業演劇や、オペラ、オーケストラなど第2章で挙げたそれぞれのジャンルについて検証しています。

入場料や入場者数の伸び率は、人口動態や経済成長率、収入の増加率、貨幣価値などを割り引いて実質的なモノに換算して比較しています。

それぞれ書くととてつもなく長くなるので、ご興味おありの方は本を買ってください。

都合の良いことに、著者は最後にまとめてくれています。

『それぞれのジャンルや地域性という面から見ても、状況は同じく一様ではない。舞踊、地域劇団、オフ・ブロードウェイの活動には、実質的成長があった。ただし、オフ・ブロードウェイの発展はすでにあっけなく終局を迎えてしまったかもしれない。メジャー・オーケストラとオペラはどうにか持ちこたえてきた。そして、ニューヨークの商業演劇は、しばしば祝えるほど急速でないにしろ、衰退の道をたどっているのである。』

『要約しよう。このkろくの分析を通して、私たちはこう結論することができる。この国は大きな文化ルネッサンスの時代に入ったのでもなければ、芸術的に不毛の地の取り残されているのでもない。というよりもむしろ、しばしばあることだが、どちらとも言えない中間地帯にいるのである。ーすなわり、最近15年間を通して現存の芸術におけるプロ活動の発展は、過去の趨勢の延長線上にあるということである。しかしながら、いくつかの特別な活動領域では、間違いなく過去数年間に、沸き立つ発展の雰囲気が現れ、それが輝かしい未来を予感させる熱狂を生み出してきたのである。こうしてみると、現存の芸術への関心はおそらくこれから先、もぅっと大きくなっていくであろう。しかし、芸術に現在携わっている人々の多大な努力なしで、観客数の世界的増大が起きると期待させるような目立った兆候は、目下のところほとんど見あたらないのである』

このカルチャーブームに対する仮説の検証はなんの為に行われたのでしょうか。

私は芸術関係者、そして、鑑賞者にむけて警鐘を鳴らしたんじゃないかとおもうんです。

『カルチャーブーム言うてもそんなもん、実際にはあらしまへんで』という事を明らかにして、この研究の意義を高めているんでしょうね。

そうでもなければ、『もう、このアメリカっちゅう国はやなぁ、芸術でバンバンや。そんなもん取り越し苦労や。アカンアカン』という風になってしまうでしょう。

『調子のええ事いうてる場合ちゃうで、ほんまはそんな儲かってへんねんで。昔の川崎球場みたいなもんらしいで』

と言うことでしょう。

世の中にはこれとよく似た現象はたくさんあって、すごく流行っているレストランが急に閉めてしまうことがあります。

『あんなにはやってたのに、なんでやろ?』という声を良く聞きますが、私は店に入って客の様子を見て、価格を見れば、その店がどないなるかわかります。

つまり、流行っているように見えても、客が回転していない、回転していないのに、低料金ではやっていけるわけがないんです。

レストランというのは昼と夜だけ。夜は高く取れてもビジネスランチの店では回転が勝負です。

そんなところに安くて美味しいからと、女性客がおしかけて長居をされたんでは、ランチ客は1回転で終わりです。

それを見るには、どれだけの客が飲み食いしている状態にいるかを見ればわかりますね。

ほとんどの客が食べていなければ、売り上げには繋がっていない状態と同じです。

夜は長居してもらってもいいのですが、勝負はドリンクです。

食うのは限られます。どれだけ酒を売るかです。

ですから、流行っていそうでも儲かってない、入っている様でも、入っていないなんて事は世の中にいくらでもあるんです。

沖縄でも修学旅行生のバスがとまる店は流行っているように見えます。

でも、現実には潰れる所も少なくないのです。

なぜか。買わないのです。買わないのにトイレだけ使う。場所は広いところが要る。

商売人としてご飯を食べていこうとするなら、そういう目で他のお店、飲食店や衣料品店を見る習慣をつけなければいけません。

あ、ここは商道風姿花伝ちゃいましたね (^^;)

この本は、経済学者が書いていて、バイブルとも言われる本だけに、きちんとした論文のような形式がとられています。

キチキチと前提から詰めてきています。

これだけきちんと書かれたら、反論するのも大変だと思いますね。

今のところは、とにかく仮説を実証して、前提を固めている部分です。

徐々に、論理は展開されていくものと思います。

あ、これで心おきなく沖縄にいけます (^o^)

もずやと学ぶ『芸術と経済のジレンマ』第3話

連休で時間があるので、書けるだけ書いときますね。

【第2章 組織】

ここでは、各舞台芸術の組織と歴史について触れられて居ます。

はじめに、

『一概に舞台芸術といっても、それは、その構成要素について常に一挙に語りうる均質な統一体を構成していないことが示されるだろう』

『企画の規模、芸術的・財政的目標、組織の古さ、経営構造の複雑さにおいて実にさまざまなのである』

つまり、舞台芸術の財政難というのは、その組織のあり方に問題があるのだとは言えないということでしょうね。

著者はこの組織と歴史に触れることの目的について、

『今ある芸術を生き延びさせてきたグループの、豊かで変化に富んだ個性に触れて頂くためである』

としています。

いろいろな特徴があって、それを踏まえて全体像を観ていこうということですね。

これは工芸にも言えることで、染織とか陶芸とか個々に観るのではなくて、工芸全体としてみる。そしてさらには、舞台芸術、工芸と分けてみるのではなく、芸術全体として観てみるという視点が大事だと私も思います。

では、それぞれ見ていきましょう。

[オーケストラ]

米国ではずば抜けて長い歴史を持ち、今回の本を書く上で統計分析の核となったということです。

そして、

オーケストラの初期を財政面から見た場合、極めて特徴的なことは、どれほどまでに支援を少数の非常に裕福なパトロンに仰いでいたか、ということである。

こう書かれています。

また、

だからといって、オーケストラの初期には財政的な危機がなかったなどと結論づけてはならない。総じて自体は反対であり、その事例を挙げるのは容易である。

とも書かれています。

組織面では、事業規模が小さい割には組織が大きくて、大オーケストラは通常30人ほどの経営スタッフを抱えている、ということです。

今はどうなのか、日本ではどうなのか、私は知りませんが、オーケストラの演奏家の数と比較したらいかにスタッフが多いかよくわかるでしょう。

[商業演劇]

米国での商業演劇の流れは以下のようになるようです。

ストック・システム:地元劇団とある劇場が永続的に結びつく

1820年頃から著名な英国の俳優・女優が米国を巡業し、地元劇団と共演をはじめる。

英国の名優に影響された米国の俳優・女優がストック劇団の演技水準に満足しなくなる。

共同体(コンビネーション)システムとなる(1890年頃):スターを抱えて巡業

演劇が大きなビジネスとなる=価格支配カルテル(シンジケート)の傘下に入る。

スターの法外な給料、不況の到来が深刻な影を落としはじめる・・・

という流れです。

組織面では

商業演劇がオーケストラとはっきり区別される特徴は、商業演劇の組織が永続性を持たないということである。

つまり、ある制作ごとに参加するその他のすべての人々(演出家、俳優、プランナー等)はあたらしい企画ごとに集められる。

そして、

1つの制作についてコントロールの及ぶ範囲が、プロデューサーと、演劇の上演される劇場主との間で截然別れている。

とう特徴があるそうです。

歴史的流れをみれば解るような気がしますよね。

[オフ・ブロードウェイ演劇]

はじめの前提としてこう書かれています。

『一般に、オフ・ブロードウェイはニューヨーク市における最も実験的な演劇の場である。それは、グリニッジ・ビレッジ103番街にかけてマンハッタンの様々の場所にある小劇場である。オフ・ブロードウェイの企画がかなりの利益をあげることは滅多にない。それにもかかわらず、オフ・ブロードウェイはあたらしい脚本家、新人の演出やほとんど無名の俳優達に作品の発表の場を提供し続けようとしてきた』

1963-4年に急速に伸びてきたオフ・ブロードウェイですが、その経済状態は常に不安定で、1964−5年のシーズンには著しく下降し、活動が停止するのではないかと危ぶまれた、ということです。

そして、その理由のひとつとして、このシーズンはじめに起こった俳優組合の最低保障賃金の上昇が挙げられてきた、んだそうです。

それまでの俳優への報酬は非常に少なかったのも事実で、他の仕事に移った人も多かったそうです。それに対して商業演劇以外の演劇を確立しようとする動きもあったようですが、あらかたうまく行かなかったということです。

『収益よりも芸術的水準や実験精神が優先する、商業的色彩の薄い演劇への希求の最初の出現が第二次世界大戦以降の発展の結果だと断定できなことだけはあきらかである』と結論づけています。

『はっきりさせておかなければならないのは、オフ・ブロードウェイのほとんどがある意味で商業的だと言うことだ』

商業的であるということ、芸術的・実験的であるということ・・・

この時期の米国では、芸術性が高ければ興業は成功する、流行らないのは芸術性・実験性が低いからだ、という話があったのでしょうか。

著者は、芸術性・実験性の問題ではない、と感じている様です。

あくまで商業的・営利的にやって、それでも上手くいかないのだ、という事なのですね。

そして、

『肝腎なのは、オフ・ブロードウェイの劇場は、実際には投資家、プロデューサー、上演者から補助を受けており、少ない金でも仕事をしたいという彼らの意欲こそが、どんなパトロンの贈与に負けぬほどの、目に見える財政上の寄与となっていることである。』

なるほど、ですね。

オフ・ブロードウェイの劇場は、明日のスターを夢見て、少ない報酬で舞台に立つ人達によってなんとか成りたっているということなんですね。

もし、その体制が壊れたら、ひとたまりもないということですね。

つまり、劇場としたら、『舞台使わせたってる』という感じなわけです。

演劇をやる人は、極端な話が、『タダで良いからやらせてほしい』

スター街道の道のりとして、これは存在意義のあることかも知れませんね。

でも、いつまでも続くわけではありません。

あくまでも過程だから、これでいけるわけです。

本来プロの世界というのはこういうモノで、これを経て、本物になった人だけが一流の舞台に立てるというのが本当なんだろうと思います。

我が国ではそうともいえませんからね。

それが、すべての世界で堕落を生んでいる原因だと思います。

[地域集団]

とばします

[オペラ]

『グランド・オペラの経済面での顕著な特徴は、その運営が極めて複雑であり、しかも上演に金がかかることである。実際、この芸術ジャンルは、その他の舞台芸術が抱える経済的負担をすべて併せ持っている』

ひとつのオペラを上演するのに、しめて総勢200〜300人必要なのだそうです。

それで、オペラハウスの収容人員は4000名くらいだそうですから、一人の実演家に対して20人の顧客ということになります。

それで、スターを入れないと観客があつまらないと来ている訳ですから、算盤があうわけないですよね。。

この時期、1964−65年のメトロポリタン・オペラの赤字が150万ドルだったんだそうです。

150万ドル・・・1ドル360円の時代です

いくらですか・・・

100円で1億5千万円でしょう。ということは、4億8千万円・・・当時のお金ですよ・・・

私が生まれた1964年ころ、アイスクリームは10円でした・・・

実演者だけでなくて、それ以外にも莫大な数の経営スタッフがいるそうです。

[舞踊]

『現代舞踊は、ジャズを別にすれば、アメリカが作り出し、アメリカ人が明らかに他よりも秀でた唯一の舞台芸術である。従って現代舞踊が、国際的に高い評価を受けてきたにも関わらず、我が国の芸術ジャンルの中で最も貧しいジャンルであるということは奇妙な事である』

『不思議なのは、我が国の舞踊団の多くが、外国では、世界のいかなる舞踊団にもひけをとらない程に喝采を受けているにも関わらず、国内での観客動員数において外来のバレエ団にかかろうじて追いつけたのは、ニューヨークシティ・バレエのみだという事実である。』

これは、日本の古典芸能を考える上でヒントになる事柄かもしれませんね。

文楽が東京ではチケットが取れないほどの人気なのに、大阪の文楽劇場はガラガラというのも理由がわかる気がします。

芸のレベルや芸術性の高さではなく、観客動員は『興味』によって影響されるということじゃないでしょうか。

玄人受けする『ほんまの芸』と一般受けねらった客引き。

どないしたら、両立するんでしょうか。

まだ、先は長いので、だんだん考えて行きたいと思います。

[地理的分散]

結論としては、

ニューヨークに集中しているように思われがちであるが、遙かに広く合衆国全土に分散している。

ということです。

そして、この章の最後として、

合衆国において、舞台芸術の組織が、規模、運営の複雑さ、ある特定のジャンルに含まれる団体の数など、思い浮かぶほとんどすべての点において、極めて多様であることを、私たちは見てきた。その多様性にも関わらず、これらの組織の財政的な問題が、ある共通した原因に帰因するものであろうという事を示すつもりである。

と書かれています。

つまり、いろいろあるけども、みんなお金でこまっとる。その原因はたぶん、一つや、というわけです。

これから具体的な話に入っていくんですね。

第3章は『カルチャーブーム:その証拠の再点検』です。

連休で時間があるので、書けるだけ書いときますね。

【第2章 組織】

ここでは、各舞台芸術の組織と歴史について触れられて居ます。

はじめに、

『一概に舞台芸術といっても、それは、その構成要素について常に一挙に語りうる均質な統一体を構成していないことが示されるだろう』

『企画の規模、芸術的・財政的目標、組織の古さ、経営構造の複雑さにおいて実にさまざまなのである』

つまり、舞台芸術の財政難というのは、その組織のあり方に問題があるのだとは言えないということでしょうね。

著者はこの組織と歴史に触れることの目的について、

『今ある芸術を生き延びさせてきたグループの、豊かで変化に富んだ個性に触れて頂くためである』

としています。

いろいろな特徴があって、それを踏まえて全体像を観ていこうということですね。

これは工芸にも言えることで、染織とか陶芸とか個々に観るのではなくて、工芸全体としてみる。そしてさらには、舞台芸術、工芸と分けてみるのではなく、芸術全体として観てみるという視点が大事だと私も思います。

では、それぞれ見ていきましょう。

[オーケストラ]

米国ではずば抜けて長い歴史を持ち、今回の本を書く上で統計分析の核となったということです。

そして、

オーケストラの初期を財政面から見た場合、極めて特徴的なことは、どれほどまでに支援を少数の非常に裕福なパトロンに仰いでいたか、ということである。

こう書かれています。

また、

だからといって、オーケストラの初期には財政的な危機がなかったなどと結論づけてはならない。総じて自体は反対であり、その事例を挙げるのは容易である。

とも書かれています。

組織面では、事業規模が小さい割には組織が大きくて、大オーケストラは通常30人ほどの経営スタッフを抱えている、ということです。

今はどうなのか、日本ではどうなのか、私は知りませんが、オーケストラの演奏家の数と比較したらいかにスタッフが多いかよくわかるでしょう。

[商業演劇]

米国での商業演劇の流れは以下のようになるようです。

ストック・システム:地元劇団とある劇場が永続的に結びつく

1820年頃から著名な英国の俳優・女優が米国を巡業し、地元劇団と共演をはじめる。

英国の名優に影響された米国の俳優・女優がストック劇団の演技水準に満足しなくなる。

共同体(コンビネーション)システムとなる(1890年頃):スターを抱えて巡業

演劇が大きなビジネスとなる=価格支配カルテル(シンジケート)の傘下に入る。

スターの法外な給料、不況の到来が深刻な影を落としはじめる・・・

という流れです。

組織面では

商業演劇がオーケストラとはっきり区別される特徴は、商業演劇の組織が永続性を持たないということである。

つまり、ある制作ごとに参加するその他のすべての人々(演出家、俳優、プランナー等)はあたらしい企画ごとに集められる。

そして、

1つの制作についてコントロールの及ぶ範囲が、プロデューサーと、演劇の上演される劇場主との間で截然別れている。

とう特徴があるそうです。

歴史的流れをみれば解るような気がしますよね。

[オフ・ブロードウェイ演劇]

はじめの前提としてこう書かれています。

『一般に、オフ・ブロードウェイはニューヨーク市における最も実験的な演劇の場である。それは、グリニッジ・ビレッジ103番街にかけてマンハッタンの様々の場所にある小劇場である。オフ・ブロードウェイの企画がかなりの利益をあげることは滅多にない。それにもかかわらず、オフ・ブロードウェイはあたらしい脚本家、新人の演出やほとんど無名の俳優達に作品の発表の場を提供し続けようとしてきた』

1963-4年に急速に伸びてきたオフ・ブロードウェイですが、その経済状態は常に不安定で、1964−5年のシーズンには著しく下降し、活動が停止するのではないかと危ぶまれた、ということです。

そして、その理由のひとつとして、このシーズンはじめに起こった俳優組合の最低保障賃金の上昇が挙げられてきた、んだそうです。

それまでの俳優への報酬は非常に少なかったのも事実で、他の仕事に移った人も多かったそうです。それに対して商業演劇以外の演劇を確立しようとする動きもあったようですが、あらかたうまく行かなかったということです。

『収益よりも芸術的水準や実験精神が優先する、商業的色彩の薄い演劇への希求の最初の出現が第二次世界大戦以降の発展の結果だと断定できなことだけはあきらかである』と結論づけています。

『はっきりさせておかなければならないのは、オフ・ブロードウェイのほとんどがある意味で商業的だと言うことだ』

商業的であるということ、芸術的・実験的であるということ・・・

この時期の米国では、芸術性が高ければ興業は成功する、流行らないのは芸術性・実験性が低いからだ、という話があったのでしょうか。

著者は、芸術性・実験性の問題ではない、と感じている様です。

あくまで商業的・営利的にやって、それでも上手くいかないのだ、という事なのですね。

そして、

『肝腎なのは、オフ・ブロードウェイの劇場は、実際には投資家、プロデューサー、上演者から補助を受けており、少ない金でも仕事をしたいという彼らの意欲こそが、どんなパトロンの贈与に負けぬほどの、目に見える財政上の寄与となっていることである。』

なるほど、ですね。

オフ・ブロードウェイの劇場は、明日のスターを夢見て、少ない報酬で舞台に立つ人達によってなんとか成りたっているということなんですね。

もし、その体制が壊れたら、ひとたまりもないということですね。

つまり、劇場としたら、『舞台使わせたってる』という感じなわけです。

演劇をやる人は、極端な話が、『タダで良いからやらせてほしい』

スター街道の道のりとして、これは存在意義のあることかも知れませんね。

でも、いつまでも続くわけではありません。

あくまでも過程だから、これでいけるわけです。

本来プロの世界というのはこういうモノで、これを経て、本物になった人だけが一流の舞台に立てるというのが本当なんだろうと思います。

我が国ではそうともいえませんからね。

それが、すべての世界で堕落を生んでいる原因だと思います。

[地域集団]

とばします

[オペラ]

『グランド・オペラの経済面での顕著な特徴は、その運営が極めて複雑であり、しかも上演に金がかかることである。実際、この芸術ジャンルは、その他の舞台芸術が抱える経済的負担をすべて併せ持っている』

ひとつのオペラを上演するのに、しめて総勢200〜300人必要なのだそうです。

それで、オペラハウスの収容人員は4000名くらいだそうですから、一人の実演家に対して20人の顧客ということになります。

それで、スターを入れないと観客があつまらないと来ている訳ですから、算盤があうわけないですよね。。

この時期、1964−65年のメトロポリタン・オペラの赤字が150万ドルだったんだそうです。

150万ドル・・・1ドル360円の時代です

いくらですか・・・

100円で1億5千万円でしょう。ということは、4億8千万円・・・当時のお金ですよ・・・

私が生まれた1964年ころ、アイスクリームは10円でした・・・

実演者だけでなくて、それ以外にも莫大な数の経営スタッフがいるそうです。

[舞踊]

『現代舞踊は、ジャズを別にすれば、アメリカが作り出し、アメリカ人が明らかに他よりも秀でた唯一の舞台芸術である。従って現代舞踊が、国際的に高い評価を受けてきたにも関わらず、我が国の芸術ジャンルの中で最も貧しいジャンルであるということは奇妙な事である』

『不思議なのは、我が国の舞踊団の多くが、外国では、世界のいかなる舞踊団にもひけをとらない程に喝采を受けているにも関わらず、国内での観客動員数において外来のバレエ団にかかろうじて追いつけたのは、ニューヨークシティ・バレエのみだという事実である。』

これは、日本の古典芸能を考える上でヒントになる事柄かもしれませんね。

文楽が東京ではチケットが取れないほどの人気なのに、大阪の文楽劇場はガラガラというのも理由がわかる気がします。

芸のレベルや芸術性の高さではなく、観客動員は『興味』によって影響されるということじゃないでしょうか。

玄人受けする『ほんまの芸』と一般受けねらった客引き。

どないしたら、両立するんでしょうか。

まだ、先は長いので、だんだん考えて行きたいと思います。

[地理的分散]

結論としては、

ニューヨークに集中しているように思われがちであるが、遙かに広く合衆国全土に分散している。

ということです。

そして、この章の最後として、

合衆国において、舞台芸術の組織が、規模、運営の複雑さ、ある特定のジャンルに含まれる団体の数など、思い浮かぶほとんどすべての点において、極めて多様であることを、私たちは見てきた。その多様性にも関わらず、これらの組織の財政的な問題が、ある共通した原因に帰因するものであろうという事を示すつもりである。

と書かれています。

つまり、いろいろあるけども、みんなお金でこまっとる。その原因はたぶん、一つや、というわけです。

これから具体的な話に入っていくんですね。

第3章は『カルチャーブーム:その証拠の再点検』です。

もずやと学ぶ『芸術と経済のジレンマ』第2話

【第1章 はじめに】

この本は、全部で17章立てになっています。

要旨を把握しながら、考察していきますね。

第1章では論を進める上で、読者が理解する上での前提が書かれています。

(引用)

本研究の中心目的は舞台芸術諸団体の財政問題を明らかにし、合衆国における芸術の未来にとって、こうした問題がどのような意味をもっているかを検討することである。

次のことは指摘しておかなければならないだろう。

本書の著者たちは経済学者であり芸術に個人的な関心を持っているとはいえ、こうした研究はできるかぎり冷静に、そして資金調達の上での問題に直面している他の産業を研究するのと同じように行われるべきであるとの固く信じている。私たちは、芸術の財政疾患を治すことを約束する万能薬を発見しようとはしなかった。むしろ芸術につきつけられている選択可能な代替案を客観的に列挙し、芸術の費用と社会に求める負担を説明することができればよいと考えたのである。

最後に私たちは、舞台芸術に直接触れることの価値や、舞台芸術が人間存在を豊かにするというような、感情にのみ訴えるようなメッセージを準備しなかった。このことを納得しない読者であれば、舞台芸術の経済学に焦点をあてた如何なる報告書を読んでも、何かを考えてみる余地はほとんどないと言えるのではありますまいか。

(引用おわり)

つまり、舞台芸術に対して特別な想いをもって研究したのではなく、あくまでも客観的なデータと分析手法によって、全く他のテーマを分析するのと同じように、研究し、この本を書いた、ということですね。

そうはいっても、この経済学における統計というのは眉唾も多くて、結論はどちらにでも引っ張っていけるというのもある意味で真実だと思います。

舞台芸術、大阪で言えば今、話題になっている文楽の助成金問題がありますが、『ちゃう!』ということがあれば、この本を読んで反証される方が出ることを期待します。

私の立場は、もちろん、中立ではあり得ません。

正直に言っておきます。

中立ではありません。客観的でもありません。

あくまで、主観的に、芸術と文化に強烈な愛情をもって、この本を読み進め、論を建てていきます。

文句があるなら、建設的に反論されたらよろしございましょう。

ただ、私は誰から頼まれて書いているのでもなく、この本を熟読してシコシコ書いても誰もお金はくれません。

自分の情熱に任せて、やむにやまれず書いているのです。

もし、『世の中に文化だの芸術だのは要らない』という信念が私の情熱や信念に勝るとお考えの方は、どしどし反論してきてください。

その分、私も勉強になりますし、理論武装も強化されます。

・・・という感じで、いきなり宣戦布告ですね(^^;)

ただ、私はあくまでも『自助論者』です。

最大の愛読書はサムエル・スマイルズの『自助論』です。

ですから、自助論者でマーケターを自認する者としては、助成に頼るのではなくて、あくまでも自助の方向で私なりの結論を見つけてみたいと思っています。これがこの本を勉強する私の最終目標です。

この本が書かれるまではアメリカのブロードウェイといえども資料が整備されていず、データの蓄積にかなり苦労したようです。膨大なデータと格闘して、数字で示した初めての書であったところにこの本がバイブルと言われる所以があるのでしょうね。

そして、はじめに、の段階で3つの方向性をしめす結論を挙げています。

(以下引用)

第1に『カルチャーブーム』として描かれている現象は、確かに事実ではあるが、この問題に関する多くの報道において、その広がりや規模が誇張されており、その正確と意義が誤解されていることを、この研究は明らかにするだろう。

第2に、芸術に対する一般大衆の関心が増大しているという主張や、観客が広範囲な社会集団を含んでいるという楽観的見解にも関わらず、プロの公演の典型的な観客は、住民の極めて狭い構成部分ー通常、高水準の教育と所得によって特徴づけられている集団ーに由来するということが明らかにされるだろう。

第3に、舞台芸術に対する経済圧迫は増大しつつあり、これは歴史的な偶然ではないとしても、舞台芸術の運営にまつわる技術の高度化と考えられているものの結果であり、したがって、舞台芸術団体への寄付金のニーズはさらに増えるであろうという証拠が示されるはずだ。

(引用おわり)

この本が書かれたのは1962年ですが、このころのアメリカ経済は黄金期だったはずです。それでカルチャーブームが起こったように見えていたのでしょうが、実態はごく一部のインテリとブルジョワによって支えられているに過ぎなかったということです。

つまり、にわかにお金だけを持っても、本当の芸術の世界にはなかなか参加できないということなのです。

下手をすれば、お金をもっている新たなカルチャー・ブーマー達によって、レベルの高い芸術はつまらないものとして排除される危険性もあるとは言えないでしょうか。

民主主義の世の中は多数決で決められていきます。でも民主主義・多数決は絶対的な方法ではありません。少数意見が切り捨てられてしまうからです。出た結論から調整して、遠くを見つめた施策を採っていくのが為政者や知識人に求められる行動であると私は思います。

本当のリーダーシップというのは、そういう『調整』に発揮されるべきであって、民意をカサに着て強権をふるうのは野蛮であると私は感じます。

だからこそ、為政者にはバランスのとれた人格と教養が必要なのではないでしょうか。

この章の中で最後に『舞台芸術の財政難の原因』について触れています。

?インフレーション:公演費用の高騰

?労働組合の要求、とりわけ労働者の水増し雇用。

?商業演劇における不正行為

?浪費や経営の誤り

?舞台芸術の経済構造そのもの

?〜?はたいした問題ではなく、ほとんどの原因は?だと著者は言っています。

芸術が直面している経済的圧迫は一時的なものではなく、慢性的なものだと指摘しています。

前述の様にこの本が書かれた時代のアメリカは経済が絶好調でした。

ですから、メセナも盛んで、これからはその需要も供給も増えてくるだろうと書いています。

ところが、今の日本はデフレです。

もう10年も続いています。

企業メセナも個人的タニマチも激減。

オーナー社長は減り、株式を公開した企業だけを有利に導く施策ばかり採られています。

景気が良いときも助成が必要なのに、景気が悪くなったから助成を減らすというのは、つまり『引導を渡す』という事じゃないでしょうか。

舞台芸術の場合は、他の個人芸術や工芸の世界とはまた違う面があると思います。

一つは団体芸術であること。そして、様々な芸術の総合体としての価値があるということです。

簡単に考えただけでも演技(身体表現)、舞台装飾、文学(台本)、音楽、歌、言葉、舞踊、照明、衣装(染織・デザイン)等々、いろんな総合的に絡み合って一つの形になるのが舞台芸術です。

だから、凝って造れば限りなくコストがかかるし、観る人も解る人でなければ解らないのです。

茶道もそうですね。総合芸術と言われます。

解らない人に言わせれば『金持ちのガラクタ遊び』と見えるそうです。

解る人にとっては、解れば解るほど、すごい芸術だと感じる。

これ以上のものは無いと感じるわけです。

ガラクタ遊びと最高峰の芸術。

これが、解ることと解らない事の差なんです。これくらい大きい訳です。

お金と言うのは、値打ちが細分化できますね。

1000円は1円と999円にも、50円と950円にも、どないにでも分けられます。

でも、モノは分けてしまうと価値が無くなることもあるし、芸術の場合はそれ自体が金銭的価値で測ることができないのです。

だから、いくらお金があっても、わからないものはわからない。

また、だからこそ、昔の大経済人は茶道や能にはまり込んでいったんでしょう。

我が国にはアメリカと比較にならないくらい素晴らしい文化があり、それが生み出した芸術があるのに、解らないというか、解ろうともしないというのはどういう訳でしょうね。

教育が悪いということなんでしょうが、続きは次回にということで。

もずやと学ぶ『芸術と経済のジレンマ』第1話

予告通り『芸術と経済のジレンマ』の勉強をはじめたいと思います。

教科書はこれです。

1966年にアメリカで出版された本ですから、私が2歳の時ですね。

いままでの染織マーケティングや商道風姿花伝とはちがって、舞台芸術を主な対象としているので、私は完全な素人です。

しかし、この本の出版を契機にして、世界各地でメセナ(芸術助成)の動きがはじまり、大学にもアートマネジメント学部が創設された琴をかんがえれば、舞台芸術と経済の関わりを考えることは、他の芸術にも参考になるだろうと思ってはじめます。

私は昨年まで大阪芸術大学の通信教育で勉強していましたが、そこにもアート・マネジメントという講義がありました。でも、その内容はeconomicsもmarketingのかけらもないばかりか、それを完全否定していました。

講義を担当していた教員に『アートマネジメントを勉強したいのだが、どこかに先生はいないか?』と聞くと『居ない』としか答えない。

我が国のアートマネジメントとはそのレベルなんですね。

アートをどうしてもお金と切り離したがるわけです。

最近、kindleという英書を読むブックリーダーを買いました。アメリカ版なので英語の本しか読めません。

そこで、art management と検索してみると、ズラーッとでてくるわけです。

ところが日本の本は・・・ヘボい本が1〜2冊あるだけで、どうしようもない状態です。

それで、購入したのが前述の『ハンスアビング・金と芸術』そしてこの本です。

私は経済学者でもありませんし、舞台芸術の専門家でもありません。

しかし、染織という世界でものづくりや表現というものに向かい合い、かつ、作り手の生活を考えなければならない立場にあります。

また、趣味の部分では、謡曲・仕舞を学び、能楽や文楽を好んで観ています。

この本を読みながら、様々な考察をし、いま大阪で問題になっている文化助成削減の問題や、私の専門である染織・工芸の世界の事を考えていきたいと思います。

知識が不足していますので、『これはちがうで!』というのもあると思いますが、その時は、ご意見を頂ければ幸いです。

私のスタンスはまずは自助を考えるべきだ、というものです。

自助を考えた上で、次はそれを愛するファンがどう支えて行くか。

そして、それで足りないところを金銭だけでなく様々な形で公的な助成をしていくのが本来の形だろうと思っています。

前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。

【初めの部分】

『舞台芸術公演において危機というものが明らかに一つの日常的な現実となっている。期待はずれのシーズン、費用の高騰、切迫した募金運動、助成財団への必死の訴えについて新聞が書かない日はない』

これがこの本の冒頭に書かれている文章です。

1960年代なかば、アメリカの芸術文化状況が悪化し、ブロードウェイの劇場が相次いで公演中止に追い込まれる窮状に直面したそうです。

そこで、W.J.ボウモルとW.G.ボウエンはケーススタディに基づいてこの本を著したということです。

この研究によって、舞台芸術は経済的に自立不可能であり、経済一般の発展の中で赤字が年々増大せざるを得ない事がはじめて科学的に立証された、と書かれています。

そこでメセナ活動やアートマネジメント学部の創設が相次いだわけですね。

『現代の芸術文化の創造が公的ないし、民間の支援つまりメセナなくしては存続し得ないことが、実証的に見事に証明されている。マスプロの現代産業は、合理化と機械化によって生産コストを引き下げ利益を上げることが出来るが、舞台芸術にそうした合理化は一切不可能、人件費の高騰、インフレの影響をもろに被って放置すればブロードウェイの灯は消えるしかない・・・』

つまりメセナが無くなったら高度な舞台芸術は消え去るしか道がない、と言うことがこの研究で明らかになった、ということです。

まず、これがこの本の結論であるということをおさえておいてください。

そして、

『本書では芸術の将来を担う人々の眼前に大まかな選択肢を描き出すにとどめ、問題の解決法にまで踏み込む事をしない』と書かれています。

とりあえずは『なんしか、あかんのです。どないするかは、みんなで考えてください』ということですね。

じゃ、考えましょう!

メセナが無くなったら、高度な舞台芸術は無くなるんだとしたら、本質的な問題は、それを残し、維持するのかどうかという事になるわけですね。

舞台芸術の存在意義、そして、工芸まで含めたアート全体の存在意義も含めて考えてみたいと想いって居ます。

かなり分厚い本ですし、読み込みも必要なのでとりあえず、各週末に1回ずつ書いていきたいと思います。

高価な本ですし、内容も紹介していきますね。

第9章取引関係の理解

9−1 取引関係の構造

 ここでは『取引』ということについて書かれています。

取引というのは個人、あるいは企業が何らかの利益目的で商品・サービスやお金をやりとりすることです。

一般的には、生産者と業者、業者と消費者という場面が考えられますが、実際には生産現場でも取引が行われています。

織をやる人は、糸屋や糸を造ってくれる人から糸を買い、染をする人は生地屋や生地を織ってくれる人から生地を買う。工房主は織子や染子、あるいは工房外の外注にお金を払う。

その形態は造っている品物や商習慣によって違うと思います。作り手の思い入れによっても違うでしょう。

取引というのは利害関係の上に成り立つ訳ですから、対価を前提としない場合には取引とは言わないとも言えます。糸や生地をもらったり、造った品物を自分の工房に陳列するだけなら、取引は発生しません。

取引というとなにかえげつない感じがしますが、販売=実用を前提とする伝統工芸の世界での取引というのは『感謝の連鎖』であると考えればいいと思います。

芭蕉布なら、糸芭蕉を苗つけする。糸が取れるようになるまで長い歳月が必要です。害虫を駆除したり、肥料をやったり、枝葉を整えたり・・・そして灼熱の太陽が照りつける日も、寒い北風が肌を刺すときもそれが続けられて、糸芭蕉は育ちます。そして、やっと、糸が取れるくらいにまで成長する。その時に育てた人は自然の恵みや共に作業をしてくれた人に感謝することでしょう。そしてブーウミ。糸を造る作業も様々な工程を通ります。糸をつなぐ工程では外注にも出される。しっかりつながれた糸を受け取った織り手は、素晴らしいできばえに感謝することでしょう。良い糸ならば降りやすいし、作業もスムーズだからです。芭蕉布は幅出しや丈出しの為に布を強く引っ張るので糸がきちんとつなげていないと抜けてしまいます。織をする前に絣も括ります。絣がきちんと正確に括れていないと、手結いの絣はキレイに出ません。寸分の狂いのない絣くくりがされて居てこそ、美しい躍動感ある手結いの絣は生まれるのです。ですから織り手は、糸芭蕉を育ててくれた人、糸を造ってくれた人、絣を括ってくれた人、そして染色をしてくれた人に感謝して織を進める事でしょう。

芭蕉布に染めるときは、染める人の手に無地の芭蕉布が手渡されます。芭蕉布に染められた琉球びんがたは、これ以上ないほど美しい。やはりびんがたを最高に演出するのは美しい芭蕉布の生地であろうと思います。

芭蕉の生成りの色、美しい表面、キレイに揃った布目・・・染める人は芭蕉布を目の前にして、最高の作品に仕上げようと決意するはずです。そして、その芭蕉布を造ってくれた多くの人に感謝するはずです。

そして、精密に力強く彫られた型が置かれ、糊が置かれる。そして彩色。また糊伏せ。最後には水元で糊が落とされ、美しいびんがた染が姿を現します。

その作品を前にして、染め手はきっと感動し、芭蕉布を造ってくれた人達に改めて感謝することでしょう。

織の場合も同じです。キレイに出来上がった織物も染め物も、そういう『感謝の連鎖』が積み重なって出来上がっていくのです。

そして、作品が出来上がった後も、感謝の連鎖は続きます。

私達商人は、美しい作品を見て、精魂込めて造ってくれた作り手と、沖縄の自然に感謝します。そして、その作品の素晴らしさをきちんと消費者に伝えようと決意するのです。

そして、商人は、消費者の方々に、どうしてこんなに美しい布が生まれるのか、渾身の説明をします。時には、沖縄の自然を、時には、歴史を語りながら、その美しい布が生まれてきた背景を説明するのです。

そして、消費者の方に買って頂く。

消費者の方は、作り手から、商人まですべての芭蕉布に関わった者たちに感謝の笑顔を必ずくださいます。満足して、満面の笑みを浮かべて、芭蕉布を手にとってくださるのです。

そして、私達商人は、そのお気持ちにお応えして、精一杯の笑顔と、お礼を申し上げます。そして、責任をもって、仕立て、着用頂くのです。

着用してご満足頂ければ、また、感謝の言葉を頂けます。

そのお客様の満足をまた、作り手に伝える。

良い品物をつくり、お客様にご満足いただけた品物は、さらに何度も感謝の輪を広げていくのです。

お客様は、良い品物を持ってきてくれたと感謝され、商人は、よい作品を造ってくれたと感謝し、染め手はよい生地を造ってくれたと感謝し、織り手は糸を造る人に感謝する。

そして、糸を造る人はよい織物にしてくれたと感謝し、織り手は良い染めをしてくれたと感謝する・・・・・

分業、協業、取引というのはそういう事なのです。

感謝の輪で手をつなぐ、すべての人が、それぞれ責任をもって自分の仕事を全うする。そこに感謝が生まれグルグルグルグル永遠に回り続けるのです。

感謝の印として金銭がある、それだけの話です。

金が絡むから、作品でなくて商品だから、と実用品=商業工芸を見下す人が居ます。

全く間違っています。

お金=感謝が形になったもの、と考えるべきなのです。

染め物は織物から、織物は糸から、糸は自然から、それぞれ生まれ、それが無くては出来はしません。

染め手が織り手に感謝せず、織り手が糸づくりに感謝せず、商人が生産者に感謝しなければ、よい品物は出来るわけが無いのです。

その感謝一つ一つに、お礼としてお金がついてくる。

ですから価格というのはその感謝の集積なのです。

そう考えれば、取引などというものを理屈をこねて考える必要など無いのです。

『自然』と『人』にあり得べき当然の感謝をすれば、取引関係というものは無理なく形成されていくはずです。

感謝の無いところに、よい取引など決して出来ません。

伝統染織というのは、古くからある仕事です。農業や漁業と同じ。

みんなが力を合わせて、感謝と喜びを分かち合って作り上げていく物です。

それ以上の取引の形など、ありはしない、私はそう思います。

9−2 統合か取引か

ここでは、『仕事』を自分でやるか、外注に出すかの選択の問題が書かれています。一貫して経済原則というものに則った形です。

ここで少し考えて欲しいのです。

仕事というのは効率だけで前に進むものでしょうか。

外注に出すとなれば、受ける側は仕事が増えるのですが、その分、仕入れも人員も場合によっては増やさなければならない。もしかしたら、それまでその会社が取引していた得意先にも影響がでるかもしれない。

そんな風に、仕事というのは自分だけでなく、社会全体と繋がっているのです。

自社内で完結させるにしても、あらたに社員を雇わねばならなかったり、しなれた仕事を離れなければならない人を生み出すことになる。

つまり、個人も会社も社会的存在であって、すべてはそのつながりの中で生きているし仕事をしている、ということを忘れないで欲しいと思うのです。

もちろん、仕事はお金を稼ぐためにやるのです。

しかし、それは様々な人、多くの人が一緒になってやるから生まれて来る利益なのです。

当然、そこには一定のルールがあります。

自分勝手な利益追求は認められない場合もあるのです。

わかりやすく例を引きましょうか。

ある織物作家Aが独立して工房を構えた。若いし、技術も稚拙でどこの問屋も相手にしない。そこにAの才能を見いだした商人Bが現れ、Aの作品をぼちぼちですが仕入れした。十年後、Aは工芸界でも認められる存在になり、Bが仕入れた作品も順調に売れ出した。雑誌などにも載り、名前も知られ出した。そんな所に、小売店Cから連絡があり、直接取引がしたい、あるいは、自分の取引している問屋Dを通して作品が欲しいという話が来た。Aは今までの苦労が報われた、と想い取引に応じた・・・

良くある話です。

これは、このマーケティングの話題で言えば、Aが作家として前に出た=問屋を飛ばした=垂直統合という事になります。

もちろん、Bを飛ばして売れば高く売れるでしょうし、問屋Dを通しても販路は広がります。

仕事を経済性という面から考えると、当然の選択とも言えます。

でも、それで十分でしょうか。

仕事というのは1人、あるいは一社で続けられる物ではありません。

必ず協力者、支援者があって成り立つ物です。

Aの場合、駆け出しの時代に支えてくれたBがいなければ仕事を諦めなければ成らなかったかも知れません。

古くさい様ですが、Bへの配慮があってしかるべきなのです。

私も、作家さんと新しくおつきあいを始めるときにそんな話を作家さんから聞かされる事があります。私はその作家さんに敬意を払うと同時に信頼を置きます。そして、自分の立ち位置をわきまえながら、その作家さんとのおつきあいを始めます。

このBの場合は、様々な努力をしながらAの作品を市場に押し出してきたはずです。Aの作品がBの力を借りなくても一人歩きしだしたとしたら、逆にBへの配慮を欠かさないようにする、それが作家と商人との信頼関係です。

作家の旬は短い。

飽きられたら捨てられます。

値段も下がる。

そのときに、利のために義理を曲げた行為をした人は、誰からも相手にされなくなります。

商売人はそれほど馬鹿じゃない。

仕事だけでなく、人間関係というのは長い線で繋がっているのです。

点でとらえてはいけません。

目先の利益のために、せっかく続けてきた仕事をもしかしたら捨てなければならない事になります。

それまで、高値で買い支えてきた問屋がいるのに、金に困ったからと言って、他の業者に安く叩き売ってしまうというのもそうです。

じゃ、いままで、作家さんを支えてきた商人の努力はどうなるのでしょうか。

なんども言いますが、作品は機からおろされて、洗濯が住んだら完成するのじゃない。着物や帯に仕立てられて着用されて初めて完成するのです。

そのためには、流通業者の手を借りなければならない。もっと川上もそう。糸や染料がなければ、織機がなければ、織物は作れない。

作家も商人も現在にとらわれてはいけない。未来と過去に想いをいたし、長い線の上で自分の仕事を考えることがとても大切な事なのです。

作るより買った方が安い。どこからもらってもお金はお金。

そうかもしれません。

でも、それだけでいいのでしょうか。

今いる、周りの人。

長い歴史の中で織り続けてきた先祖。

そして、その織物の将来を担う未来の人たち。

それを考え合わせて、さまざまな事と適切に折り合いをつけていく。

これが伝統工芸のあるべき姿なのではないでしょうか。

私は、民芸運動家のように作り手に過酷な要求はしません。

仕事は、お金が入らないと続けられない。

糸が買えなければ織物はできないのです。

ですから、永く、末永く、お金が入る様に考えましょう。

あなただけでなく、あなたの周りの人、あなたを支えてくれる人、みんなが一つの仕事で豊かになれるように考えてみましょう。

協業というのはそういうものじゃないでしょうか。

仕事をしていれば良いときも悪いときもあります。

そんなときに、本当に支えてくれる人が仲間です。

本当の民芸というのはそういう仲間の中から生まれるのではないでしょうか。

第8章 競争構造の理解

8−1 競争の場の枠組み

ようやく8章まできましたね。

これで半分くらい終わりました。

この章では『競争』についてお話しします。

まず、競争を考える上では『誰を競争相手とするか』を考えなければなりません。

沖縄染織の競争相手は誰か。

さらに、それを考える為には、何を取り合って競争するのか、です。

お金はもちろんですが、そのお金の出所である、消費者を取り合っていると考えるべきですね。

取り合っている消費者=ターゲットということになります。

このターゲットというのをどう設定するか、が問題です。

着物を買う人でしょうか。

合っていますが、正解ではありません。

沖縄の染織を買う人というのは、どういう人なのか。

それが解っていないと、どうしようもありませんね。

沖縄染織とうのは基本的に価格的には中の上から、上の下にランクされます。

宮古上布や芭蕉布などの特殊な物をのぞいて、だいたい10万台から100万円くらいに分布していると考えていいでしょう。

そこに着物の場合は仕立代・裏地代が入る訳ですから、プラス7〜8万円かかります。

つまり20万円以上の物を買える人、ということになります。

最近、流行っているリサイクル着物やポリエステルの着物をもっぱら購入し着用している人は、いくら着物が好きで、着物を日常的に着ていても、ターゲットにはならないと思わなければなりません。

さらに、着物と言ってもいろいろで、結婚式に着る着物から、ゆかたまであります。

沖縄染織は基本的にはカジュアルです。

カジュアルの着物というのは、着て楽しむ趣味の着物ですから、『自分で着れる人』と考え得た方が良い。

そして、カジュアルの着物は、普段から着られるますが、その反面、着る場所を特定出来ない。結婚式やパーティなどに気合いを入れて着飾るために着る着物ではないということです。

ですから、着物を着る機会をある程度の頻度で持って居る、あるいは自分で作れる人ということです。

こうやって考えていくと、絞られてくるでしょう?

そこそこお金があって、自分で着物が着れて、着る機会がたくさんある人、ということになります。

さらに、本当に良い作品の価値を認めて買っていたたける方は『審美眼』『鑑識眼』を持っていらっしゃいます。それらを持つには、ある程度の『修練』『積み重ね』が必要です。

どんな人が思い浮かびますか?

ちょっと、みなさんで考えてみてください。

抽象的に言えば、いわゆる『趣味人』ですね。

ヒントとしてあげるなら、茶道や舞踊を習っている人はこの範疇にはいります。

お金もあり、自分で着物が着られて、着る機会がある。そして何より鑑識眼・審美眼があるのがこの趣味人に共通する事です。

カジュアルの着物なのに、お茶席とかで着れるの?という質問があると思います。

もちろん、お茶席・お茶会で使える物と使えない物があります。

しかし、この趣味人は、なにより鑑識眼・審美眼とともに財力がある人が多い。

いくら着物が好きでも、この二つが揃わないと良い買い物はできません。

作り手は、『物の解る人』を対象に作品作りをしなければ、よい仕事はできないと思います。

物の解らない人が解らないままに買う事を期待せず、解る人に納得して買っていただけるような作品を造る。そして私達商人もそれをお手伝いする。それがあるべき姿でしょう。

話は元にもどって、その人達を誰と取り合うのか、です。

結城・大島・塩澤・越後の織物産地、京都・加賀・江戸の染め物産地。

カジュアルの着物といっても各産地で多くのものが造られています。

そして、私達が現実に出くわすのは、茶人なら茶道具や茶会、舞踊家なら発表会という桁違いのお金が出ていく機会があることです。

そして、女性の場合、とくに趣味人の場合、多種多様な趣味をもたれています。

そのすべてが競争相手です。

現実には『縁』に頼るしかないのですが、それをもっと確実な物へと近づけるには、『図抜けた魅力』『他に類を見ない特殊性』が必要なのです。

私が小売屋なら、『もずやの顔を見たら買わざるを得ない』という具合に持って行きたいところですが、問屋なのでそこまでお客様との交流を深めることは難しい。

ですから、『とてつもない作品』が必要なのです。

そこいらのどこの小売店・問屋でも持って居る着物なら、勝負にならないのです。

話がまた、今日の台風の様に大きくそれましたが(^_^;)、言いたいことは、『他の着物』『他の産地』『他の作家』だけが競争相手ではない、と言うことです。

競争に勝つためには何が必要か。

この趣味人の方々をうならせ、どうしても欲しい!と思わせる作品の魅力なのです。

みなさんも、自分で競争相手を設定してみて、その相手に勝つためにどうしたらいいのかをじっくり考えて見てください。

8−4 業績の違いを生み出す移動障壁

 ここでは、ちょっと面白い考察をしてみましょう。

沖縄県本島にある三つの産地の事です。

三つの産地とは、読谷、首里、南風原の絹織物産地です。

読谷には『読谷山花織、』首里は『本場首里の織物』、南風原は『琉球かすり』といういわばブランドがありますね。

読谷は昔、貿易港として栄え、首里以外では唯一花織の着用を許された土地であるということです。ですから、読谷の伝統的織物というのは、あの『読谷山花織』だけです。

首里は王府の中にデザインルームとも言うべきものが存在し、そこから御絵図帳がつくられ、各地にデザインが流布された、ということです。そういう理由なのか、首里には花織、ロートン織、花倉織、手縞、縞ぬ中、諸取切、煮綛芭蕉、ミンサー、そして桐板と様々な素材、技法がそろっています。また、王府があったせいか、大和やチャイナから様々な文化が入ってきたせいか、デザイン的にも非常に洗練されている印象を受けます。

南風原は、本で読んだ話では元々は米軍のパラシュートをほどいてマメ袋を織ったところから始まり、首里に近いこともあって、首里の織物を手本にして、安い織物を大量生産した、という産地です。ここでのメインはいわゆる琉球かすりですね。俗に言う絵がすりの技法で大量に生産されて、『かすりの里』宣言をしました。

この三つの産地を比べてみると、ここの章のテーマがわかるかもしれません。

戦前は、南風原は織物産地ではなかった。大きくなったのは、たぶん、大城廣四郎さん、大城清助さん、カメさんくらいからなのでしょうか。

読谷にはわかりやすく言えば裏にいっぱい糸が通った花織しかなかった。それも、与那嶺貞さんが再興するまでは完全に途絶えていたのです。

ちょっと前に南風原と読谷の間に『花織論争』というのがあったように記憶しています。昔は南風原の花織は『琉球花織』と表示されていました。そこに、読谷がクレームをつけたんでしょうか。前述のように、南風原は織物産地としての歴史は浅いのですが、読谷山花織を再興した与那嶺貞さんが南風原に花織を習いに来たという証拠があったりして、結局は痛み分けのような形で『南風原花織』『読谷山花織』と分けて表示するようになったとか。

首里にはあらゆる技法がありましたし、いまも受け継がれています。ただ、技法は首里だけに伝えられていて、生産量も非常に限られたものでした。弊社が沖縄に行き始めたときは、首里の織り手といえば、大城志津子さん、宮平初子さん、漢那ツルさんなど、ほんとうに一握りの人で、生産量はといえば南風原が圧倒的だったのです。

ところが数度の沖縄ブームにも乗って、産地の様子は変わってきました。首里はアイテムが多いこともあって、量は増えたものの造っているものはそのままです。しかし読谷は手花と絣の帯を造り出しました。そして、いまは、花絽織という花織と絽織を併用した着尺を造り始めていると聞きます。南風原は絣はもちろん、花織、ロートン織、花絽織など織っていて、いわば、高級品の首里に対して、低価格品の南風原という構図になっていました。

そして、アイテムだけを見ると、首里、読谷、南風原に差がどんどん無くなってきているのです。

花織、花倉織≒花絽織、ロートン織はどこでも造っている。おまけに久米島や与那国まで造り出した。久米島は夏久米島やいままでと違った廉価な絣をつくりはじめて、南風原の領域に踏み込もうとしているとも聞きます。

これは県内カニバリゼーション=共食いです。アイテムがふえれば、当然、それぞれ一定以上のロットが必要なわけですから生産量は増えます。しかし、需要は一定どころか逓減して行っています。どういう結果を招くかといえば、県の出荷量は一時的にあがるが、市場では滞留して、価格破壊・市場崩壊が起こるのです。

花織    首里 1  南風原 1  読谷 1

花倉織   首里 2  南風原 0  読谷 0

ロートン織 首里 1  南風原 0  読谷 0

絣     首里 1  南風原 5  読谷 0

が従来だとすれば、

花織    首里 1  南風原 2  読谷 2

花倉織   首里 2  南風原 4  読谷 2

ロートン織 首里 1  南風原 2  読谷 2

絣     首里 1  南風原 5  読谷 0

となれば増産となりますが、市場はどうですか?

花織ならば昔は1/3ずつ分け合っていたのに、1/5、2/5、2/5。

ほかも、全部分散します。これが市場が拡大している状況なら良いのですが、市場は縮小して行っています。これは首里が割を食っているとか競争に負けているという事ではなくて、全部の共倒れを招くということなのです。

南風原の絣を見てみると、前は5/12、下では5/24になっています。ところが市場全体のパイは確実に小さくなっている。ということは市場の縮小分だけさらに消費者ベースでの売り上げは減るということです。

そして、アイテムが増えれば増えるだけ死に筋=売れ残りも増えるのです。

なぜ、こういう事、つまり、総合産地化しているのかといえば、既存のアイテムが行き詰まっているという意識があることと、伝統的に技法を継承している首里の価格が高止まりしていて、他産地がその下をくぐっているということです。問屋が高い首里織を仕入れせずに、同じようなものを他産地で造らせているのです。

これは、果たして産地のために良いことでしょうか。将来的にもし、首里と南風原と読谷に差がなくなったとして、それが沖縄染織によい影響をもたらすでしょうか。私にはそうは思えません。

教科書で書かれている参入障壁、染織の場合は技法ということになりますが、それが低いために染織品・繊維製品の模倣は起こりやすい。これは着物、絹に限ったことではありません。毛織物にしても、かつて一世を風靡した英国の毛織物を日本が模倣して廉価な毛織物を作って繁栄したこともありました。その歴史はずっと続いています。

しかし、それは産地が移動すると言うことに繋がります。人件費の安い所に産地は移動するからそれでも繊維産業は世界のどこかで繁栄している。しかし、伝統染織での模倣が低価格化をもたらせば、それはすなわち低賃金につながり、かならず産地は崩壊します。そして、それを担うべき他産地はありません。

ですから伝統染織をはじめとする伝統工芸では、価格維持のために需給ギャップの調整というのが不可欠なのです。産地が移動すれば伝統工芸は崩壊した、ということなのです。

ではどうすればいいのでしょうか。

首里は首里、読谷は読谷、南風原は南風原、それぞれの産地が足下を見つめ直して、自分の一番強い部分に特化する事です。

たとえば首里は華やかな文化を感じさせるハイセンスな織物、読谷は民族的な海と土の香りのする力強い織物、南風原はそれをフォローする低価格産地。棲み分けをきちんとすればそれぞれの特長も際立ち、県内染織品全体の売れ残りも減ります。いまはとにかく市場に滞留する商品を一日も早く片付けることです。そうでないと産地の未来はありません。

だからといって、生産を止めるわけにはいかない。いままでと違うものを造りたいという気持ちや想いは解ります。しかし、それでは共倒れになります。

幸い、沖縄の織物は個人工房内で完結できるものも数多くあります。その場合、技術の継承に必要なのは多大な需要ではありません。需要に対して適正な供給を続ければ、仕事は必ず適正量残ります。それをきっちりと残していけばいい。数の拡大よりも質の維持、そしてなにより大切なのは、産地の将来まで見渡す志と使命感なのだと私は思います。

第7章 消費者行動の理解

7−1消費者対応の考え方

この章ではマーケティングの中の『消費者行動』というジャンルに入っていきます。ここが一番面白いかも知れません。

私の学んだ大学では文学部にも消費者行動の講座があって、当時、担当されていた井関利明先生の講義は欠かさずに聴講していました。というのは、この消費者行動というのは心理学の範疇にはいり、心理学は文学部の管轄だからです。

もし、マーケティングに興味を持ち、消費者行動をもっと深く学んでみたいと思うなら、心理学事典を購入されることをお薦めします。マーケティングの分析において心理学は欠かせない枠組みで、今後、いろんな事を考える上で必要になると思います。

さて、本題に移りましょう。

  • 『消費とは人々が製品・サービスを購入し、使用し、廃棄する全プロセスだ』

とテキストには書いてありますね。また、この章のNavigationにはこうあります。

『工場を出た段階での製品は、まだ半製品なのです』

=製品は、顧客の手に渡った段階で初めて完成品となる。

つまり、作家のみなさんが『消費者の手に渡る』事を意識しない限り、いくらマーケティングを学んでもなんにもならない、と言うことです。

  • マーケティングにおける最大の関心は『自社の製品・サービスを消費と結びつけること』にあるからである。

まさにそういう事です。

  • マーケティング・コンセプトと販売コンセプト

マーケティング・コンセプト

 『消費者を理解し、消費者に喜ばれる製品・サービスを作る事を第一とする』という発想を企業経営や事業運営の基本的な指針とするという考え。

販売コンセプト

 『企業がつくりだした製品・サービス、あるいは企業が有している技術や能力をいかに売るか』というもの。

一般には、マーケティングといえば下の販売コンセプトだと思われているようですが、本当は違うのです。

私が染織家のひとたちに理解して欲しいことは、まさにこの『マーケティング・コンセプト』なのです。

みなさんが仮需=流通の中間需要しか意識していないうちは、なんの解決策も生まれないのです。

眼を向けるべき対象は消費者であり、みなさんが造った作品は、消費者に購入され、着用され、ひいては廃棄されるまで着つくされてこそ、完結するのです。

そこに性根を据えないから、問屋の言葉に右往左往し、粗造乱売を繰り返し、そのあげくには莫大な流通在庫を抱え、価格崩壊を招くような事態になるのです。

消費者を個で捉える、あるいはかたまりで捉える。

みなさんが思っているほど、問屋はかしこくありませんし、情報も持って居ません。そして、問屋も小売店もあなたの敵の味方なのです。

ですから、自分の事は自分で決めるのです。

  • インプット-アウトプット分析とメカニズム分析

インプットーアウトプット分析

 マーケティング・ミックスの変更、あるいは所得水準やライフスタイルの変化という刺激に対して、消費者の行動がどのように変化するかを捉える。

そのメカニズムは無視=ブラックボックス

メカニズム分析

 刺激と反応との間をとりもつプロセスの作業を解明する。

  • 問題を特定し、解決へと導くにはメカニズムに関する知識が欠かせない。同様に、消費者とのインプットーアウトプット関係を改善したり、修復したり、新たに創造したりしようとする際にもメカニズム分析が必要となる。

つまり、インプットーアウトプット分析は、消費者行動をパターン化して捉え、メカニズム分析はそれが何故そうなったのかを分析し、一般化するという事です。

どちらも戦略的に有用なことですが、非定型的な消費者行動を理解するにはメカニズム分析が必要です。

とくに、染織の場合、マーケティングリサーチが難しいですから、消費者の心理の分析というのが非常に大切になってきます。

その心理を単純にしか捉えられないから、ただ単に安売りをしたり、雑誌に載せるだけ、商品に似つかわしくない業者に売りさばく、などの事が出てくるのです。

自分たちがどのような消費者を対象としているのかを、明確化し、その人達の心理をきめ細かく分析して、作品づくりはもちろん、流通などのマーケティングミックスを選択しなければなりません。

沖縄染織の場合、それなりの最終価格になるわけですから、消費者はそれなりの富裕層になるわけですから、決してマス=大衆市場を考えてはなりません。着物市場でかつ高額品市場、そしてカジュアル市場なのですから、本当に小さな小さなマーケットなのです。そしてこのマーケットはどんどん縮小している。

そんな市場に大量の規格品を投入すれば、市場からあふれかえるし、富裕層は見向きもしなくなることは自明だったのです。

富裕層は自分だけのもの、人が着ていないものをほしがるのです。

しかし、産地・組合は生産効率向上のために、デザインの規格化をしようとした。これがそもそもの間違いです。

デザインを無視して、機能で内地物に勝てるのは沖縄に置いては宮古上布だけしかありません。

だのになぜ、そんな暴挙をしたのか?

消費者をみないで、生産量を上げることしか考えなかった。そしてそれを助長したのは造れば取る問屋が居たことです。

ですから、もうここで気づかなければいけないのです。

誤解しないでください。『節を曲げてまで売れる物を造れ』と言っているのではありません。

あなたの作品を良いと思ってくれる消費者はどんな人で、その人に喜んでもらえる作品を作り続ける事、こそが大事なのです。

私が良くないと思っても、好きだという消費者はいます。その逆ももちろんあります。

自分の作品の良い所、悪いところを知り、作品を愛してくれる人はどんな人かを知り、その人を満足させる作品を世に送り続ける。そして、その輪をどんどん広げていけばいいのです。

あなたが良いと思って造った作品は、かならず他にも良いと思ってくれる人が居るはずです。だから、自分で良いと思う物を手を抜かないで作る事です。そして、そこに『消費者の笑顔と満足』を思い浮かべるという作業を付け加える事です。

こCS(=Customer Satisfaction)の概念を常に忘れないで、あなたの作品を愛してくれる消費者を決して裏切らない。

それは品質・デザインはもちろん、流通にも責任を持って、へんなお店で売られたり、不当に安く売られないようにするべきです。

それも、すべてマーケティングなのです。

7−2 購買意思決定の分析

まず、はじめにポイントというか用語を整理しておきましょう。

購買意思決定:購買する場合、消費者は購買可能な製品・サービスの中から裁量の物を選ぼうとする。さまざまな選択代案を知覚して、それらを評価すること。

消費者情報処理:消費者は複数の銘柄について、これらの多岐にわたる属性とその細目を何らかの形で知覚し、評価しなければならない。このプロセスを『消費者情報処理のプロセス』という。

ヒューリスティクス:知覚や評価の進め方のルール。マーケティングにあたっては、どのようなヒューリスティクスがターゲットとなる消費者の知覚と評価を導いているのかを十分に考慮する必要がある。

手段−目的の連鎖:消費者の必要や欲求を手段と目的の連鎖的な構成物としてとらえたものである。

  • ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この『もずやと学ぶ染織マーケティング』ですが、テキストは『ゼミナール マーケティング入門』という本を使っています。

なぜ、この本にしたかというと、私が学生時代に使っている本は内容が古いと思ったこと、基礎的なことをわかりやすく書いていること、例がたくさん引かれていること、そして、著者の一人に村田ゼミの先輩の嶋口充輝さんがふくまれていたこと、等です。

この本を何で探したかというと、アマゾンです。まず、マーケティングと書き込んで検索する。そうすると何冊も出てきます。その中で、入門書を探す。薄っぺらい物だとすぐに終わってしまって面白く無いので、そこそこの分量があるものにする。そして最後は著者です。マーケティングと言っても出来れば同門の学者さんが書いた物が私としては受け入れやすい事は間違いなく、それらを総合してこの本に決めたわけです。

  • この勉強会の記事を読んで下っている方が最近多くなってきて喜んでいますが、もし、テキストを買っていらっしゃらないなら、ぜひ、お買い求めください。私は何の利益供与も受けておりませんが、本代をケチってはいけません。とくに学生さんは、いまのうちにいろんな知識を詰め込んで置いてください。あとになって必ず役に立ちます。

話はそれましたが、つまり、アマゾンで知覚し、購買意思決定プロセス、目的−手段の連鎖を経て、購入したわけですね。

ちょっと考えて見ましょう。

沖縄の染織においては、どこに問題があると思いますか?

評価するためには、事前に情報が必要だということは分かりますね。

知覚されるだけでなく、評価されるためにも、露出=アピールが必要な訳です。

では、着物の場合はどんな感じになっていますか?

最近は、雑誌でも、本でも沖縄の染織を取り上げていることが多くなってきましたので、消費者の方のほとんどはそこで情報を得ているのでしょう。

あとは、展示会ですよね。店頭に常時沖縄物を置いているところというのは、ほとんどありません。

でも、着物を初めとする衣料品が正しく知覚・評価されるのに、写真や画面、あるいは生地の状態で見るというので、本当に十分でしょうか。

とくに高額品の場合、本物を観る事さえ、困難です。風合いや色合いなど、どんなに技術が進んでも、正しく質感が伝わることはないと思います。

ですから、私は基本的に作品をネットに載せることをやめました。

京友禅などの場合、どんなところで見て、評価のための情報を掴むかといえば、内地では結婚式やパーティー、京都に行けば芸妓、舞妓が来て歩いています。銀座や新地のクラブに行けば、ママが良い着物を着ていたりします。

沖縄染織は?

どこで着ている姿を見ることが出来ますか?

私はもう何十回と沖縄に行っていますが、街中で着物姿の女性に会ったことがありません。せいぜい、民謡酒場の女性か国立劇場の出演者です。

八重山上布、宮古上布、芭蕉布は着ていると涼しい。裸で居るより涼しい。とくに琉装に仕立てると、風の中に居るようでたまらなく心地よい。

しかし、教科書に書いてあるように手段−目的の連鎖の中で、購買の必要や欲求は『偶有性』を帯びているのです。

つまり、着て涼しいなら、Tシャツに短パンで良いじゃないか、という事もあり得るわけです。

それをどうやって、着物を着せる、とくに沖縄の着物を着てもらうと言う風に誘導するか、それがマーケティングにおいて考えなければならないことなのです。

つまり、暑い夏→着物は涼しい→沖縄

というイメージを確立せねば、浴衣や他の夏物に負けてしまうと言うことです。

夏休み時期に沖縄に行くと、空港では紅型装束の女性が迎えてくれたりします。

でも、なんで、クソ熱い時期に、あんな格好をしているのですかね。

せめて、駒上布くらいを着せて、きりりとカンプーにジーファーの髪で迎えたら、さぞ、観光客も涼しく感じる事だろうと思うのです。

国立劇場に行っても、着物姿の観客を見たことがありません。

私が沖縄で着物姿を大量に見たのは、那覇伝統織物事業協同組合の30周年パーティーの時だけです。

もっているなら、なぜ、もっと着ないのでしょう。

沖縄に来る観光客の中には沖縄の染織に興味を持たれている方も大勢いらっしゃるはずですし、県民の中にも、着ている姿を見れば美しいと思い、自分も着てみたいと思うようになるでしょう。

造る人が自分の作品を使ったことがない、これは本来、恐るべき事です。『良い物を造っている』と言いますが、何をもって良い物と言っているのでしょう。

それは『昔から良い物とされている』技法を使った物に過ぎないんじゃないでしょうか。それが現代人の体や、現在の気候・風土にあっているか、自分で感じてみないで、どうやって良い物が造れるのでしょうか。

昔は王府が品質を管理していましたから、一定の内容は保たれていたでしょうが、今は、吟味出来る人が流通に居ません。消費者にダイレクトに判断がゆだねられてしまうのです。

商人でも、自分が着てみもしない、作者と会ったこともない、どんな内容かも知らない、品質を吟味する術も知らないで、ラベルだけを信用して『良い物ですよ』なんて、よく言える物だと思います。

作家さん個人ではなかなか資金的に作品を買い取ったりすることは難しいかもしれません。とくに宮古上布や芭蕉布などは非常に高価ですし、数量もすくないので不可能でしょう。

だったら、くだらない助成金・補助金を組合に渡すより、県が染織品を買い取って、職員に着せて、首里や国際通りを歩かせればいいのです。

作り手は、B反や不合格反を出してしまったら、自分で買い取って着ればいい。

着て歩く事が、観る人の知覚と評価をこちらに向けることになるのです。

そうすれば、制作においてもまた違った観点が生まれてアイデアが出てくるでしょうし、『着るための着物』『締めるための帯』ということが実感できるでしょう。

造り酒屋の主は、たとえ酒が飲めなくても、味見くらいはして、品質を確かめる物です。それもしないで、良い材料できちんと造ったのだからおいしいはずだ、というのはタダ単なる傲慢であり怠慢です。

沖縄県民自ら、着物を着る事です。

まずはじめに、染織に関わる者から始めましょう。

それが最大のマーケティング活動になると私は思います。

7−3 市場細分化—多様性への対応

ここは、じっくりやりましょうね。

市場細分化というのは文字通りマーケットを属性ごとに切り分けて、誰に狙いを定めるかをはっきりさせることです。

思い違いしてはいけないのは、これは、最大市場を対象とするのではない、ということです。

つまり、ここを狙えば最大のマーケットシェアが獲得できる、という話ではないのです。

実例をあげて考えていきましょう。

わかりやすく、今回は特別にもずやの戦略を見てみましょう。

紬市場。

日本全体を見ると、紬のマーケットというのは、大島・結城を筆頭に、素朴さ、手織りの質感というところから、地味、粋という所にイメージが行っています。

大島や結城のデザインを思い起こしてみてください。

色も柄もあっさりとしていて、淡彩な味わいがあります。

ほんの一部の商品を別にして多彩さや華やかさとうものは無い。

しかし、地味や粋を解さない、それを『貧乏くさい』『ババくさい』と感じる人も少なからず存在する。

そういう人たちの需要を紬市場は無視し続けてきたのです。

なぜ、そんなことになったのか、というと、西日本の多くが友禅市場で、関東に織物市場が大きく開けていたからです。

ですから、西日本では圧倒的に染めが強かった。それと比例してフォーマルの着物を着る場面も多かった。

東京を中心とした関東圏では、冠婚葬祭がかなり前から簡略化されていたこともあり、着物というと、普段にも着るいわゆる着物好きという人が多かった。

自然にしておくと、マーケットの大きさに合わせて、紬は地味に、染めは派手になっていくのです。

しかし、日本で唯一華やかな紬を織る産地があった。あったというより帰ってきた。それが沖縄です。

他産地の紬が地味で似たり寄ったりなのに対し、沖縄の織物だけが華やかで強い独自性を保っていた。

マーケットを地味・派手、織り・染めで区分けしてみると下記の様になります。

 染め好き織り好き
派手好き ☆沖縄☆
地味好き  

ここの、織り好きで派手好きのセグメント(細分化された市場)がガラ空きだったのです。

他のセグメントは強敵が一杯です。言っちゃ悪いですが、沖縄の技術で勝てる道理はありません。技術で勝てなきゃ感性で勝てばいいのですが、400年以上もわびさびに接しているヤマトンチュウにウチナンチュが対抗するのは至難の業です。

大きな市場に割り込むと大きな市場が得られると想ってしまいがちですが、一時的には押しのけられても、必ずまた揺り戻しがくるものなのです。

地味に造った沖縄物が一時的には市場でブームを造っても、結局は、もとの自分たちの慣れ親しんだ物に戻るはずだ、私はそう読んでいました。

しかし、沖縄の人に近い美意識を持った人や、華やかな着物、それも織りの着物が大好きだとかいう人にとっては、全くと行っていいほど、品物が無かったのです。せいぜい色大島くらいでしょうか。

教科書にも書かれているように、人間の価値観といのは決して一つでくくれるものではなく、人それぞれバラバラです。

沖縄の生産体制を考えたら、その供給を裁くのにそう大きなマーケットは必要ないし、長い目で見れば市場の拡大をはかるよりも、沖縄の一番の特長であり魅力である物を発揮させるのが最善だ、と私は考えたわけです。

なにも、沖縄の染織の美しさに惚れただけで、みなさんにいろんな提言をしてきたわけではありません。

きちんとしたマーケット・セグメンテーションによる戦略立案があってのことなのです。

ところが、マスマーケットを信じすぎた問屋などの指導で内地寄り、つまり地味な紬を造らせようとした。

沖縄ブームがある間は良かったのです。

沖縄ブームは時とともに去り、大半の消費者は自然の摂理でわびさびにへの方向へ帰って行った。その反面、本来、ターゲットとすべき派手な織物が好きな消費者の期待に添うことも出来なかった。

結果として、沖縄染織はどのマーケットも完全に把握することが出来ずに、ブームを終えてしまった、ということです。

私の仲間が造ってくれた作品は、私の鑑識眼で選ばれた作品たちですから、華やかな織物・しゃれ物が好きな方の満足をある程度は得ているはずです。そのおかげで、長い間に渡ってご愛顧を頂き、もずやファンのお客様は弊社の着物を継続してお作り頂けるのだと想います。

そもそも、趣味の着物というのは、どれだけのファンを得られるかが勝負であって、多くの人になんとなく買ってもらうのでは、決して長続きしないのです。

ファンを造るというのは、デザインであったり、色であったり、着心地であったり、作家さんの人柄であったりが、その誘因となります。

なのに、中森明菜が松田聖子のまねをしてブリッコしてもファンはつかないのです(古!)

私の恩師の村田昭治慶應義塾大学名誉教授は『恋愛もマーケティングだ』とおっしゃいましたが、まさにそういうことです。

恋愛は相手に合わそうとしてもうまくいかない。ましてや、大衆受けする自分を演出しても相手の心をうつことは出来ない。自分らしい自分をいかに相手に理解させるか、そして自分を受け入れてくれる異性がどんな人なのかを的確に選び出す事が、末永くうまくいくかどうかの鍵なのです。

7−3 消費者をいかにリードするか

昨日、疲れて寝てしまって(^_^;)、1日遅れのアップです。

失礼致しました<(_ _)>

この項で書かれているのは、いかに『マーケティングの独善化』に陥らないか、ということですね。

マーケティングの独善化に陥らないためには、市場細分化の軸を『製品・サービスの属性』から『消費者の属性』へと切り替える事が突破口になると書いてあります。

言い換えれば『ライフスタイル・マーケティング』という事でしょうか。

つまり、どんな生活パターンや趣味趣向を持っている消費者の為に商品づくりをし、マーケティング・ミックスを構築するか、ということです。

着物の場合はどんな感じに考えたらいいでしょうか。

『製品・サービスの属性』という面で市場を切っていくと、着物の場合は振袖・留袖・訪問着・付下げ・色無地・小紋・紬、そして帯の場合は袋帯・名古屋帯・半幅帯と分けられますね。

それぞれに区切って商品開発を行えば、どうなるかというと、着物・帯の場合は着用シーンとひっついてきます。

留袖なら結婚式、振袖なら成人式、訪問着なら結婚式のおよばれやお茶会、小紋・紬ならカジュアルですね。帯もその格に応じて決まってきます。

つまり和装の場合は製品ごとに細分化すると生活シーンごとに自ずとセグメントされることになる。

つまり、和装市場自体は高度に成熟化していて、市場全体を見ると縦横共に敢然な網の目が張られているということです。

生活シーンごと、産地ごと、色柄ごと・・・あらゆるアイテムがそろいに揃っている。

問題はそれを売り手が意識していないということです。

呉服屋さんというのはほとんどが儀式用の着物でご飯を食べています。

儀式用の着物を買うお客様というのは、昨今では儀式の予定が決まってから買いに来られる事が多い。

ですから、いつ、どんなお客様が来られるのか、呉服屋さんには解らないわけです。

だから、店頭には無難な物、どこにでもある普及品が並ぶことになり、実際に売るのは大がかりな展示会になるわけです。

着物というのは専門的に言えば『専門品』(=事前に様々な情報を集めて購買にいたる、日常買わない商品)なので、本来は店ごとに店主の好みというのが反映されているべきだと私は思います。

ところが、先の銀座での展示会でも聞いたように『どこに行っても同じような商品ばかり』というのが実情です。

これは、店主がマーケット・セグメンテーションというものを理解していない、あるいは、品揃えにおいて無策である事が原因です。

私の場合は、デパートの売り場に変わって品揃えをしているわけですから、大手の問屋が出来ない、私ならではの商品構成を考え、商品づくりもします。

それは大手に囲まれて生き抜くための常套手段ですが、もしそれをやらないとすれば、大手と同じ品物をディスカウントして売る以外生きる道はなくなります。

そういう道もあるにはあるのですが、私は選択しませんでした。

いま、どんどんデフレになっていっているのも、和装をはじめとするすべての市場の品揃えに特徴が無くなっている事が大きな原因ではないでしょうか。

つまり、生産が大手によって寡占的に牛耳られていて、流通もこれまた、大手の寡占状態にある。

そうなると、商品はコモディティ化するのです。

コモディティというのは、お米や豆のように差別化されない、簡単に言えば相場で動く商品です。

こういう商品は一つ一つ吟味されることなく、丼一杯いくら、1トンいくらで取引される。着物なら一山なんぼ、という世界です。

現実にそうなりつつあるんですよ。

ちょっと前に、ある商品が10点で5000円という話を聞きました。

私は、パジャマ代わりに病人用のガーゼの寝間着を愛用していますが、他の着物も同じような事になりつつあるわけです。

だいぶ話はそれましたが(^_^;)、そもそも、着物というのは嗜好品なのですから、お客様はもちろん、扱う方も、造る人も自分の好みを最前面に打ち出すべきだと思いますし、その事が自動的に市場細分化、ターゲットマーケティングに繋がると思うのです。

もちろん、中にはセンスの悪い人もいるでしょうが、誰にも認められないセンスしか持って居ない人がこの仕事に携わっていること自体が無理なわけですし、

転廃業を考えられた方が業界のためだと思います。

私は、私が好きだ、美しいと思う着物は、他の誰かも同じように思うはずだという信念を持っていますし、制作をお願いするときも、買い付けをするときも、そういう気持ちでやっています。

『お客様の顔を具体に的に思い浮かべて』仕入れする、という話をよく聞きますが、『じゃ、外れたらどうするの?』と私は率直に思います。

私の選んだ、あるいは指図した着物を買ってくださる方が私と同じ美意識や価値観を持って居るとするならば、つねに誰かが買ってくださるはずです。

ですから、私とお付き合いある作家さんは耳にたこ焼きが出来るくらい言われているのが『自分の好きな物をつくりなさい』という言葉です。

『あなたが良いと思って造る着物は必ず誰かが好きと思ってくれるはずです。それともあなたはそんなに自分のセンスに自信がないのですか?無いなら今すぐやめてしまいなさい』いつもこんな事を言って作家さんを脅しています(^_^;)

もちろん、売れ筋の傾向や、コーディネート、着用機会(お茶席など)の観点からのアドバイスはします。

しかし、織るとなれば、少なくとも1ヶ月はその作品と作家は向かい合うのです。

嫌いなヤツとそんな長い間向かい合えますか?

良い作品ほど、早く上がってくる物です。

言葉は悪いですが、『これがワテの作品や。どや!!』と言うくらいの気合いを作品に載せて欲しいのです。

着物市場は高度に成熟化し、飽和しています。

そんなマーケットに規格品をどんどん売りつけようとすることは理に適っていない。

自分の好きな物が具体的にイメージできないとしたら、美術館や画集で絵を見て、好きな絵を探す。その色の構成を真似てみるというのもいいでしょう。

私はやっぱり絵画も、カラフルで力強い作品が好きです。

あなたの目指す市場はあなたの中にこそあるのです。

第6章 事業の定義

6−1 マーケティング近視眼を避けよ

ここは面白いですね。

マーケティング近視眼というのは英語でマーケティング・マイオピアと言って、私が学生のころはカルピスが題材として使われていました。

いまは、ほとんど見なくなりましたが、私が子供の頃は『初恋の味 カルピス』と言って、ほとんどの家庭の冷蔵庫に入っていたはずですし、お中元にもよく使われていました。夏は水で割って氷を入れて冷たくして飲み、冬はホットカルピス。ところがあまりにもこの白い濃縮液が強力な商品であったために、商品開発を怠ったのです。フルーツカルピスやカルピスソーダは出ましたがどれもぱっとせず、いつのまにか市場から消えていったのです。もし、カルピスが自分たちの提供する商品が『カルピス』という濃縮液でなく、『生活に潤いを与える清涼飲料水』だと考えていたら、幅広い商品展開ができたはずだということです。その後、カルピスは、『おいしい水で割ったらおいしい』という社員からのヒントによって『カルピスウォーター』という形で大ヒットしました。これは、ある意味で家庭で水で割って飲まれていた事からチャネルと場所を変更したわけですね。つまりカルピスを味わう機会を広げたわけです。昔は、家でしか飲めなかった。つまり、商品というのはその品物ではなくて、品物が与える便益であると考えれば良いわけです。

では、沖縄染織について考えてみましょう。

沖縄染織は数年前まで何度目かの興隆期を迎えていましたね。本当によく売れたでしょうし、作り手も潤ったことだろうと想います。もちろん、沖縄の染織が素晴らしい物であったこともあるでしょうが、マーケティング近視眼に陥らないためには、視点を変えて見ることが必要です。

消費者は、沖縄染織の何に興味を持ち、何に魅力を感じて購入に至ったのか?ということを考えてみましょう。そのためには、他の染織品と比較してみるとよくわかると想います。結城紬と沖縄の絹織物を比較してみると、どうでしょうか。織物としての完成度、着心地、体が感じる部分での機能性では圧倒的に結城紬が勝っています。結城は経糸、緯糸とも手引きの真綿糸です。かつ地機で織られています。沖縄はどうですか?論じるに値しませんね。

では、なぜ、消費者は結城を買わないで、沖縄の織物を買ったのか?

答えはズバリ、『それが沖縄の織物であったから』です。

それが証拠にほとんどの消費者は琉球びんがたや花織の帯を1本持っていたら、それ以上買おうとしません。

なぜだと想いますか?一つあれば十分だと想われているからです。

大島を数枚持っている消費者はざらにいても、久米島紬を2枚以上持っている人はまれです。

なぜ?そのもの自体に強い魅力を感じていないからです。

なのになぜ売れた?

沖縄にスポットが当たっていて、沖縄染織ブームだったからです。

悪く言っているのではなくて、客観的に考えなければいけないということです。

本来、魅力を感じた物なら、繰り返し繰り返し、その満足を与えてくれた物、あるいは周辺の物を購入するはずです。

私はカレーライスが好きですが、毎日カレーライスでもOKです。

本当に好きだというのはそういう事です。

でも、ブームは起こせても、根強いファン、久米島紬にせよ、読谷山花織にせよ、リピーターを作る事は出来ていない。

なぜ?

作る人、あるいは作らせる人が、沖縄の染織によって消費者がどんな便益=魅力を感じるかを理解していなかったからではないかと私は思うのです。

沖縄染織と聞いて、なにをイメージするか。

まず、青い空と青い海。照りつける太陽、そしてそれに映える琉球びんがたの衣装。そして芭蕉布を着た涼しげな姿。

これがナイチャーが思い起こすイメージです。

基本的に、ナイチャーは沖縄が大好きです。

沖縄が嫌いだという人に私は会ったことがありません。

私の周囲では私が一番沖縄嫌いかもしれません (^^;)

そして、沖縄のイメージといえば、素朴で純情な人たち。

そして、オバア。

ここで普通の人は止まってしまいます。

沖縄を観光するだけでは、沖縄がいかに素晴らしい文化と歴史を持っているかなど伝わっていないはずです。

沖縄染織の強みってなんでしょう?

豊かな自然、暖かい気候、染織に適した水、そして、豊穣な文化。

沖縄というのは日本の他のどこよりも染織に適した土地なのです。

そして、沖縄ほど多様な技法、多様な素材、多様な色彩感覚に恵まれた所はないのです。

そして、最大の付加価値を生み、私たちナイチャーが逆立ちしてもまねが出来ないのが、沖縄の人たちの美意識なのです。

沖縄染織を永年みていると、内地の作家では絶対に作らないという作品にたびたび出くわします。

想いもしない配色が見事に調和している。

そして、私たちナイチャーでは絶対に作り出せない色を生み出す。

そして、おおらかで力強い線。

これが沖縄染織の最大の魅力であり、強みなのです。

この魅力にはまれば、絶対にリピーターになるはずですし、たとえ沖縄の名前を出さなくても、一瞥しただけで、見入ってしまうはずなのです。

それを忘れて、特長を抑えた物を作ればどうなるでしょうか。一時期は口当たりが良く食べやすいので、多くの人がとりあえずは買ってみるか、と求めるでしょう。でも、次がない。流行のラーメン屋みたいな物です。

伝統染織というのは商品ラインの拡張に限界があって、そもそもマイオピアにならざるを得ない部分があります。伝統というのは近視眼を乗り越えてまだ、生き続けているという超ロングセラーなのですから。

しかし、いまの沖縄染織は伝統のロングセラーではない、と私は思います。

なぜかというと、一番大切な物、一番魅力的な物を忘れて、食べやすいけど、それほど美味しくない商品になってしまっているからです。

大阪に『551の豚まん』という大ヒット商品があります。デパートで行われる『うまいもの市』ではどこでも行列が出来るそうです。私たち大阪人は子供の頃から食べていて、並んでまで、とは想いますが、今でも定期的に食べる癖になる味です。

ところがこの豚まんは、クサイ。電車に乗って持って帰ると電車の中に充満するのです。でも、みんな持って帰る。

そのにおいが、豚まんを食べる光景を思い起こさせる。つまり豚まんと一緒に暖かい家族の団らんがイメージされるからです。

むかし、『551の豚まんがあるとき(笑顔)無いとき(がっかり)』というCMがありました。

つまり、551の豚まんはその味だけでなく、暖かい家族のシチュエーションを提供しているということなのです。

では、沖縄染織は何を提供できるのか?

美意識の強い人は必ず、『沖縄の染織(=もずやのコレクション)を見ると元気が出てくる』とおっしゃいます。

私は、これが沖縄染織の魅力の本質だと想います。

そして私もそれを実現できる染織品づくりを目指しています。

染織家は布を織り、布に染めているのではありません。

みなさんが織り込み、染め込んでいるのは、歴史と文化そのものである問うことを忘れないでください。

それが、マーケティング近視眼を廃し、永遠の染織となる道だと私は信じて疑いません。

6−2 製品ポートフォリオ管理との関係

ここでは『何を軸にして事業をとらえるか』について書かれています。

わかりやすく言えば、機能=用途(なんのため)、顧客(誰のため)、技術(どうやって)という事業の見方の切り口によって、ポートフォリオ戦略は変化するということです。

沖縄染織の場合なら、機能の観点から見ると、着物・帯を造るという事になるでしょうし、誰のためと言うことでは呉服の問屋・小売店のため、そして、技術面なら、染めたり織ったりすると言うことを事業と定義づけすることになります。

たとえば、私がびんがた染をやっているとしたら、

①機能=着物・帯→別の技法で着物・帯をつくる

②顧客=呉服屋→帯締め、帯揚げ、草履、バッグなどをつくる

③技術=びんがた染→インテリア製品、デザインをプリントに転用

などなど、新事業の拡大が考えられると思います。

②③はすでにやっている人も多いと思いますが、なかなかそれをメインにというのは難しいようですし、①に関してはほとんど行われていないのが現状です。

  • の他の染織技法の導入は琉球びんがたに対する沖縄県民の熱い想いとプライドがそうさせるのでしょうが、私はそれはそれでいいと思います。

ただ、顔料に樹脂顔料が使われ、酸性染料が導入され、蒸しがされるようになってから飛躍的に品質が安定したように、消費者の便益になるものは積極的に学んでもいいだろうと思います。

②③がなぜ、主力にならないかといえば、一つはやはり着物・帯にしたほうが高く売れるということでしょうし、せっかく造った物を切り売りするのは忍びないという作り手の気持ちもあるでしょう。また、着物・帯を造ってこそ、一流の作家という世間の見方も大きく影響しているのだろうと思います。

手工芸の作家の場合、作る事の出来る量が限られているわけですから、利潤を高めて豊かになるためには、作品を高く売る事と、売れ残りを出さない事に尽きるわけです。作品を高く売るためには、『作家の格』と言う物が大きく影響してきます。この格付けには、必ずしも納得できないものも多いのですが、高く値付けをしても受け入れられるためには、日本工芸会や国画会でどのランクにいるとか、人間国宝であるとか現代の名工であるとかいうのがモノを言うわけです。でも、値付けしたからと言って、消費者段階で値段が通るかというとそんなに甘くない。消費者が価値にあった価格であると感じなければ売れ残り、発注も来なくなります。しかし、『格』に伴わない値付けをしようとすればよほどの魅力がなければ通りません。これは現実です。

話がそれたようですが、染織作家はやはり帯・着物を造って、工芸界に認められなければ、多くの利潤を得る事は出来ないと思います。また、技量の向上のためにも、常に着物・帯の制作にチャレンジすることは意義の大きな事だと思います。

その上で、安定した仕事を続けるためにはどうするか。それを考えるために、このポートフォリオ管理を役立てられればいいと思います。

例えば、城間栄順さんは、琉球びんがたを代表する作家さんですが、みずからデザインしたプリントハンカチを販売されています。これには、批判も多いと聞きますが、私は多くの弟子を抱える工房主として当然の戦略であろうと思います。城間さんは自身の名を載せるからにはそれなりの品質管理をされているでしょうし、これによって、高価なびんがたの着物・帯を買えない人も、身近に紅型の美しさを生活に取り込むことが出来ます。だれも、このハンカチがいわゆる伝統技法の『琉球びんがた』で造られているとは思わないでしょう。もちろん弊社でも『城間栄順デザインのプリントハンカチです』と名言して販売しています。

製法上、素材の特性上、どうしても不適切な用途というのはあると思いますが、もっと幅広く作品を捉えてみても良いように思います。

バッグや財布などの小物の場合は、カッティングの仕方や、小物そのもののデザインまで総合的にプロデュースすれば、それは間違いなくその作家の作品になるわけです。

①〜③までの切り口を総合的に展開しても、事業領域を広く見積もりすぎたと言うことにはならないだろうと思います。それはそもそも、沖縄染織というものがどの市場においても超ニッチ市場だからです。

芭蕉布が好きな人、上布が好きな人、紅型が好きな人、あるいは沖縄が大好きな人・・・そんな消費者の身近に作品を投入できればよいわけです。

ただ、その場合、手作りなのですから、単価が高くなるということは計算にいれなければいけません。

まずは、自分の生活のなかで楽しめる作品を作って見ることから始めたらいかがでしょう。そして、お母さんやおばあちゃんへのプレゼントを自分でつくってみたら。そんな中に大きなヒントが隠されているかもしれません。

生活を楽しくする、沖縄の伸び伸びとした美を生活に取り込んでもらえれば、別に着物・帯でなくても良い、私はそう思います。

そもそも、自分が着物を着たことが無い、着物に興味がない若い作家が着物を作る事自体に無理がある、と断言しておきます。だって、自分が着物を着ないのに、着ている姿や着心地など、想像できるわけがないし、工夫のしようがないでしょう。

沖縄では着物姿を見ること自体が少ないわけですから、自分で着物を着る努力をしなければ内地の作家に太刀打ちできません。いままでが夢だったのです。これからそんな甘い世界は戻ってきません。ここのところは沖縄の作家の大きな反省点です。

私が、女物の着物を着るのは、着心地や着姿を自分でチェックする為ですし、文楽や能を見に行くのは、現実のコーディネートがどうなっているのかを学ぶためです。

最近になって、ようやく、若い作家さんが自分で造った着物を着て、国立劇場おきなわへ、組踊りや舞踊を鑑賞にいく動きが出てきたと聞き、非常に喜ばしく思っています。

消費者に生活の中に取り込んでもらうためには、自分も体で感じなければなりません。そこに工夫が生まれます。創造も生まれます。

私達商人もそうですが、ものづくりをする人達も、自分たちが『文化の当事者』だという認識を強く持つべきだと私は思います。

そのためには、とくに若い人達にはもっともっと幅広く勉強して欲しいと強く願います。

6−3 事業を定義し、成長への指針を描く

ここではスカンジナビア航空やゼロックスの実例が書いてありますね。

マーケティングを通して学んで欲しいのは、世間にある何気ない事柄からその奥にある企業や人間の戦略・思惑を読み解くという事です。

前に書いた様に、マーケティングを考える上では、たくさんの解決方法を持っている方が有利です。引き出しが多く、またその引き出しに処方箋がたくさん詰まっている方が勝負に勝てる可能性が高い。その処方箋がどこにあるかといえば、本に書いてあるわけでも、誰かが教えてくれる訳でもありません。そのタネは世間に転がっているのです。それを見過ごしているだけです。たとえば、自分のライバルとなる作家がどういう作風なのかを分析してみる。売れている人は何故売れているのか考えてみる。あんなのダメだ、とか運が良いから売れているんだ、とか思っていたらいつまでたっても進歩はありません。結果にはそれなりの必然性があるのです。数々の選択肢から自分がどれを選択するか、それだけのことなのです。ですから、街を歩くとき、市場を歩くとき、売れている店と売れてない店。売れている店でも、売れる人と売れない人。売れる商品と売れない商品。どこがどうちがうのか、じぶんなりに結論を見つけてみる。逆に、売れない店、人、商品がどこをどう改善したら売れる様になるのかを考えて見る。それが何よりの訓練になります。そして、私達、商売人は日常的にそれをやっています。商売人というのは商売をする人の事ではなくて、商売を人生としているひとの事を言います。政治家なら政治を、教育者なら教育をつねに考えている様に、商売人はどうしたら売れるのか、どうしたら儲かるのかを考えている。おなじようにものづくりをする皆さんは、どうしたらよいもの=消費者が喜んでくれるものを作れるのかを常に考えていなければプロとは言えません。

今日は事業の定義から派生して、『誰に売るのか』という事について考えて見ましょう。教科書の中の2つの事例で中心になっているのも『顧客を誰に設定するのか』という事です。

私が書いたのを読む前に、ちょっと自分で考えてみてください。・・・・・

問屋?・・・・ブーです。

染織家の顧客は消費者、つまり着る人、身につける人だと考えなければなりません。問屋や小売店は、そこへ持って行ってくれるパイプだと考えるべきです。貯水池に水があっても、田んぼに届ける水路がなければ田植えはできません。でも、水路に入れるのが目的ではない。あくまで田んぼに水を入れ、苗に水をやるために水があり、水路を引くのです。

では、消費者ってどんな人?

イメージ湧きますか?

あなたがつくった着物や帯を着けた人、見たことありますか?

それはどんな人ですか?

まず、あなたたちが造っている着物ってどんな着物?

着物ってどんな種類があるか解っていますか?

そんな事さえ知らないで、成り立っていたというのが奇跡なのです。

そこまで言わなくても、って?

いいえ、致命的な事なのです。

陶器を例に考えて見ましょう。

その陶器が飯茶碗に使われるのか、湯飲みに使われるのかで作り手は認識が違って当たり前なのです。

なぜか?

飯茶碗は手に持って箸でご飯を口に運びますが、湯飲みは口を直接つけるからです。

つまり、飯茶碗と湯飲みでは必要とされる品質がビミョウに違うと言うことです。

あなたの造っている着物はどんな時に着れられているの?

着物には『格』というものがあります。

第一礼装という最高の格を持った着物は既婚女性なら黒留袖・喪服、未婚女性なら振袖・訪問着です。その他、色留袖、付下、色無地は準礼装・略礼装ということになりますが、家紋の入れ方によって変わります。それぞれがどんな形状をしているかは、本やネットで調べて勉強してください。

じゃ、みなさんが造っている着物はどこに分類されますか?

基本的に上記の礼装類には属しません。紅型ならたいていの場合、小紋という街着・おしゃれ着に分類されますし、織物はさらに下の普段着の分類となります。ちなみにこれはあくまでも和装における分類です。

つまり、和装というくくりの中で着る上では、沖縄の着物は一部の例外を除いて結婚式には着られないと言うことです。

一部の例外というのは、紅型の中にも絵羽模様と言って縫い目のところで柄が切れずに連続しているものがありますね。これは振袖としていままでも着用されていますし、中には訪問着と同じ柄着けのモノがありますので、これは全く区別無く礼装として着用できます。しかし、どんなに柄が連続していても織物は結婚式には不向きです。また、どんなに高価なものでも格とは関係がありません。

宮古上布や芭蕉布がどんなに高価でも、結婚式には着れない。これが和装の『しきたり』です。久米島では久米島紬を結婚式で着ると聞いた事がありますが、それは日本全体からみれば特殊な事なのです。

ですから、みなさんは基本的に晴れやかな場所では着られない着物を造っていると思わないといけない、と言うことです。

これは着物そのものの優劣とは全く関係がありません。たとえプリントの着物であっても、それが留め袖や訪問着の形をしていれば、礼装として着用されるのです。ですから、沖縄のものでどうしても礼装に適うモノをつくりたければ、紅型で留め袖や訪問着をつくればいいわけです。でも、それは現実のは非常に少ない。

沖縄の着物を着る場というのはせいぜいパーティー、軽いお茶席、観劇、お出かけなどなどです。

反対に考えれば、その気になればいつでも着られる着物であると言うことですね。

つまり、着る機会を日常的、定期的に持って居る人、着物が好きな人、そして大事なことは着物を自分で着られる人だということです。

私は基本的には、自分で着物を着られない人にはお勧めしない事にしています。

若い女性ならお母さんやおばあちゃんに着せてもらうというのもあるかと思いますが、本当に着物が好きなら、自分で着られるようになりたいと思うのが人情だと思います。

ですから、みなさんの造る着物をきてくれる消費者というのは着物を自分で着られて、着る機会をそれなりにお持ちの方だということです。そして、価値観こそ多様でも、基本的には好きで着物を着ている、ということです。

晴れ着をホテルに持って行って、着付けをしてもらうしか着る機会を持たないと言う人と、自分で自分の家で着て、街を歩く人と、当然ながら、趣向が違います。

どういえばわかりやすいですかねぇ・・・

お祝いしようというときに、我が家で手料理でもてなそうという人と、料理屋でおいしいモノを食べようという人が居ます。どちらがどうという事は別にして、同じお祝い、同じ料理でも、全く意味が違うと言うことです。

晴れ着はお祝いが終われば、さっさと脱ぎ捨てられてしまう。しかし、普段の着物はいつまでも着られる。なぜか?普段のきものは着て心地よいものだからです。

でも、普段着だといっても、TシャツやGパンとは違うのです。そこが、大和のそして沖縄の服飾文化のすごいところです。普段でも素晴らしい文様が色とりどりに書かれた染めものや、趣向を凝らした織物が着られていた。こんなところは世界中探してもないと思います。それが民衆レベルにまでひろがっていたのですから驚異的です。

そして、この着物の文化というのはその延長線上にあるのです。

ですから、本当の意味で消費者に受け入れられるモノをつくるには、どんな消費者か、を知らねばならないわけで、みなさんが相手にしている人達は、高価な着物を普段に着るだけの財力と鑑識眼がある人だと考えるべきだと言うことです。

ちょっと前までの事はただのブームでした。

真価が問われるのは、これからですし、ブームが終わった後の愛好者が本当の沖縄染織ファンだと言うことを忘れないで欲しいと思いますね。

みなさんは、その人達の期待に応える素晴らしい作品を世に送り出す責任があるのです。