プロデューサーとしての物作りと才能2017/9/18

私は染織、とくに沖縄染織のプロデューサーと自称しています。世間的に見ればただの問屋です。『自分で織ったことも染めた事も無いクセに何を偉そうに』そう想う人も多いでしょう。でも、実はちょっとやったことがあります。しかし、プロとして活動するには技術と共に才能が必要です。染織に関しては、私は『手を動かす』という事において全くの無才能です。全く不器用なのは、私の図画工作の成績が物語っています。プラモデルもろくに作れたためしがない。染織家としてプロになるどころか、工芸全般において、まったくの圏外にいると言っても良いでしょう。だからこそ、素人としていろんな物作りや芸術に触れて、『感性』だけを磨いているんです。それで、素人だから出来る事もあるんです。プロにとてつもない提案をするのも素人ならではです。それがそのプロにできるモノであり、乗り越えられるハードルであるかどうかを判断する。それが物作りのアマチュアであるプロ・プロデューサー?の真骨頂だと私は思ってます。そのためには、物作りは知っていないといけないし、頭の中に完成された自分の作品を持って居ないと行けない。こないだのラジオ番組でなかにし礼という作詞家が、少年の頃の体験を、ある歌手との出会いがキッカケで歌にした、と言う話をしていました。なかにし礼は、少年時代に父親がニシン漁で大もうけして、その後失敗して路頭に迷ったそうです。それをいつか歌にしたいと想っていた。それで現れたのが『北原ミレイ』でした。北原ミレイの声を聞いて、『この女に歌わせよう』と想ったんだそうです。そして出来たのが『石狩挽歌』です。https://www.youtube.com/watch?v=UpEioKGUEcY

『そこまでの想いを込めた歌なら自分で歌えばいいじゃいか?』
シンガーソングライター全盛の今ならそう想うかも知れません。でも、その詩情を伝えるには、その世界を表現する、『歌い手』が要るのです。作詞家はもちろん自分でも歌えるでしょう。自分が歌うのが一番と思えば、そうするでしょうし、もっと、良い表現者が居ると想えばそうする。それだけのことです。京友禅とかだとわかりやすいですが、優れた作品はたいてい分業で成りたっているんです。作家といわれる人でも、実は全部自分でやってるわけじゃない。図案も図案家に描かせている人も居るし、自分では刷毛を持たない染色家もたくさんいます。でも、その染色家、染織家が、『自分の世界』を持って居れば、それは作家と言われるにふさわしいのです。でも、私は作家じゃないし、作家とも呼ばれたくない。染織家と出会ったら、その人の特長をよく把握して、自分の世界との接点を見出して、共に作品づくりをしていくというのが私のスタイルです。ですから完成された人や、自分の世界から一歩も動かない人は、お互いやりにくい。自分の世界を構築し、それを相手に伝える、それも出来るだけ具体的に伝えたい。だから、シコシコ勉強したり、チマチマとヘタなりに物作りをしてみたりするんです。趣味でいろんな物作りをしたり、絵を描いたりしてる人は、自分のジャンル以外の事に踏み出してみても面白いと想いますよ。絵を描く人が、『これこれこんな感じでバッグに刺繍してみて』とかね。そのかわり、出来てきたモノはドーンと受け入れる度量は必要ですよ。自分の伝え方が悪かったのか、あるいは、自分が思う世界にその刺繍するひとが合わなかったのか。その繰り返しがまた、自分の世界をさらに突き詰めるキッカケにもなりますしね。まぁ、いずれにしても、楽しく物作りしないと、良い作品にはならないです。それが私の一番のモットーです。

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紬のたのしみ2017/5/16

いきなりですが、紬というのは紬糸を遣っている織物の事をいうのであって、シャレ物の織物全般を言うのではありません。

沖縄でも南風原の絣は昔、多くが経緯生糸(平絹)を遣っていましたし、首里の織物、特に花織、花倉織の類はたいていは生糸遣いです。

生糸が繭から糸を引き出す方法で糸を造るのにたいし、紬糸というのは繭を湯で解いて、角真綿にし、その真綿から糸をつむぎだす方法をとります。

こうすると繊維の間に空気がいっぱい入りますから、温かくふんわりした風合いになるという訳です。

江戸時代、奢侈禁止令が出たときに絹織物の着用が制限された時代がって、オシャレな人が苦心して綿織物に見える絹織物としてつくらせ、愛用したという話です。

そもそも、養蚕あるいは絹糸生産が伝統的に日本で盛んであったのか、といえば、そうではありません。

綿糸、あるいは絹糸のほとんどは輸入に頼っていたんです。

糸割符舟というの出て、堺や京都の許された商人だけが独占的に扱っていたんですね。

と言うことは、紬は、捨てるようなクズ繭からひいた野良着である、などという言い方は全く当たらないということが良く解ります。

逆に紬織物というのは、日本人の美意識がつくり出した最高点の衣類であると言って良いと想います。

なぜなら、庶民が幕府から規制をかけられながらも、オシャレ心を忘れなかったということの象徴だからです。

羽裏にしゃれた物をつける、というのが日本人らしい美意識だと言われますが、それと同じ、いや、それ以上の象徴的存在なんですね。

私は紬以外の織物も、染め物も手がけていますが、正直言って、紬が一番好きです。

なぜかというと扱っていると気持ちが安らぐからです。

まずは温かい風合い。

経緯の糸が織りなす『織味』

とくに絣は、そのかすれ具合が絶妙になって、引き込まれそうになります。

紬は、造って良し、見て良し、触って良し、着て良し、持って良し。

そして一番はね・・・

自分で作り上げる、あるいは完成させることが出来るという魅力なんです。

染め物というのは出来上がった時にすでに完成されていて、あとは劣化していくだけです。

しかし、織物、とくに紬織は、そこから自分が着ることによって進化させることができるんですね。

染め物は30年くらいしか持ちませんが、紬織なら、いいものは50年、100年と持ちます。

30歳で買って80歳まで着ると、どんどん風合いも見た目も変わってきます。

まるで、使い込まれた茶器の様に味わいを増してくる。

それを楽しむのも紬の楽しみのひとつです。

最近はみんな、せっかちになってしまって、ジーンズでも履き古したもの、あるいはそういう感じを新品のときから出した物が好まれるそうですが、繊維好き、布好きの私からしたら、あーもったいない!という気がします。

紬は自分で着ることで完成させる過程を楽しむことができるし、それが一番の楽しみだと想うのです。

八掛がすり切れて、エリも汚れて・・・

いろんな事が出て来ますが愛情を持って、お手入れをする。

5年、10年、20年、30年・・・

着るごとに表情が変わってくるはずです。

それはまさに、美術館で展示された茶碗と、何百年も遣われ続け、あるものは金継までされた茶碗の差を見るようです。

50歳で紬の着物を買ったとしたら、あと30年、40年、どんな風になるかな?と楽しみをもって見て頂けたらと想います。

そして、子から孫へ。

大事にすれば100年前、ひぃおばあちゃんの着物だって着ることが出来るんです。

代々に渡ってタスキを渡されて、着物を完成させる・・・

こんな素敵な事があるでしょうか。

・・・

話が止まらなくなってくるので、今日はこのへんで(笑)

堺更紗 (小谷城郷土館)2017/2/21

堺の小谷城郷土館に行って来ました。

うちから車で30分ほど。

小谷城とはこんなところです。

古い農具やら家具、土器などが置いてあって、時節柄、小谷家に伝わるひな人形が展示されていましたが、今回の目的は『堺更紗』です。

堺更紗とは、長崎、鍋島に続く、和更紗の事で、ダイナミックで力強い色彩と構図が特徴です。

江戸時代までは盛んに造られて居たようですが、いまは史料で見るのみです。

本で研究しているのですが、一度現物を生で見たいと想ってここに行って来た、と言うわけです。

残念ながら館内は撮影禁止で写真はありません。

所蔵品はたくさん有るようですが、退色するという理由で展示されていたのはわずか2つでした。

ひとつは比較的細かい図案で割によく見る感じでしたが、もうひとつは幾何学模様で非常に面白い図案でした。

どちらもかなり退色していて、遺っているのは茶系の色だけ。

それで頭の中で塗り絵をしてみました。

当時は河内地方で盛んに綿が栽培されていて、堺更紗もその河内木綿の布に染められていたと言われています。

後染めですし、実際に長い年月使用されていたものなので、劣化は激しいのですが、それでも非常に趣深い布でしたね。

ただ、残念なのは、額に入って高いところに展示されていたので、生地の風合いや染め味の細かい所がチェック出来なかったところです。

やっぱり、布というのは、間近で見て、手にとって風合いを確認したいです。

染め物じゃなくて布なんですから。

生地と染めがばっちりとシナジー効果を発揮してこそ、良い布になるんです。

もうちょっとたくさん見たかったし、出来ればもう少し、保存状態の良い物を、近くで見たかったですね。

それでも写真で見るよりは遙かに良かったです。

堺更紗もいろんな使われ方をしてきたでしょうし、生活のなかでどのように彩りを加えてきたかを想像するのも楽しい物です。

布は着物や帯としてだけ活かされるものでもないと想います。

大切にタンスにしまわれて、美しい姿をそのまま今も伝えてくれる布はもちろん

有り難いですが、それにも増して魅力を感じるのは、使いたおされて、朽ち果てそうに

なっている布です。

民藝運動家の外村吉之助氏が『木綿往生』という言葉を残していますが、

最後は雑巾としてまで使われる事が布として幸せなのだろうと想いますね。

いまは高速織機になり、生地は大量生産されて、あちこちに溢れかえっています。

しかし、堺更紗がまだあったとき、布は貴重なものだったはず。

先日の夜咄の茶事と同じように、手織、手染というのは、昔の暮らしを少しだけ感じさせてくれるものなんでしょうね。

電気もガスもなく、すべてを人の手で,自然と共に暮らしていた時代。

薄暗い部屋の中で見る堺更紗は人々にどんな幸せを与えたでしょうか。

私も、使う人が幸せになって、末長く最後は雑巾になるまで使って貰える布が作りたいな、と想いました。

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日本の美術と工芸 第11話2017/2/10

『我々は芸術の様式が発達していくのを目の当たりにしているが、それはいかなる外的要素や異質の要素にも影響されずに、生来の進化の力で発展したのである。』

ジェームス・ファーガスンというイギリスのインド建築史学者の言葉だそうです。

つまり、芸術の様式というのは、それ自体が自律的に発展するのだということです。

その発展には外的、異質な要素の影響は関係無い、そういうことですね。

私は日本中あちこち行きますが、人の往来の多い港町、比較的少ない山間部、どっちが

文化度が高いということも一概に言えず、それぞれが特色のある文化を培っているという

感じがします。

私の感覚では、新しい異質な文化が入って来ても、その表面を理解するだけで精一杯で、

その奥にある意味とかまではなかなか入っていけない感じがします。

同じ国の中でも、もう長いことお付き合いしている沖縄県の文化や習慣は微妙に解らない

事が多いです。

正直言えば、知れば知るほど解らない事が増える。

それが遠く離れた外国で、そもそも交流がないのであれば、ちんぷんかんぷんであるのも

当然だろうと想うんですね。

日本人は、解らない事でも、なんかグチャグチャに消化して自分たちの中に取り込んでし

しまうとう、とてつもない強力な胃袋を持って居るのかもしれません。

開国以来、いろんな外国の文化がドーッと入って来たのでしょうが、それでわが国独自の

文化といえるものが果たして生み出せたでしょうか?

外国のモノを採り入れて、まねごとをするだけが精一杯、そんな感じかも知れません。

あ、ありますね。

カラオケとか漫画(アニメ)

気付かないけどもっとたくさんあるかもしれませんね。

明治維新とか大東亜戦争の敗戦で、いろんな環境が大きく変わってしまいましたから、

まだまだまとまっていないだけで、そのうち大天才が登場して体系化すれば、それも

日本を代表する文化として歴史の残るのかもしれません。

短歌や俳句だって、けっこうな人がボチボチ楽しんでいたりしたのが、ある時突然、

天才が登場して、世に残る事になったんでしょう。

茶の湯でも、婆娑羅茶や闘茶の歴史があって、村田珠光、武野紹鴎ときて、利休で大成したんです。

能も歌舞伎もみんなそうじゃないんでしょうか。

それとその天才を生み出す、時代背景も大事でしょうね。

はなしはまたまたずれてしまいましたが、同じ文化の流入があったとしても、その国民・

民族のもっているものによって、芸術の様式というのは変わっていくんでしょうね。

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日本の美術と工芸 第10話2017/2/9

そうした絵には『画面そのものに芸術的欠陥があっても損なわない真実性と力強さがあり、そうした力強さと真実性とが混ざり合ってグロテスクであるにも関わらず存在している』

画面そのものにある芸術的欠陥・・・

写実性でしょうか?

たぶん、これは浮世絵をみて書いているのでしょうが、まぁ、確かにグロテスクといえばグロテスクな感じはしないではありません。

絵というものにはいろんな機能があると想うんです。

私は芸術に関しては専門家じゃないので、詳しい事は解りませんし間違っているかもしれませんが。

ひとつは記録に残す。

貴族や大富豪が有名な画家に自画像を描かせたのは自分の絶頂期の記録をこの画家に描かせて残しておきたいという名誉欲からでしょう。

あとひとつは絵解きです。

歴史やら、人物伝が漫画形式で出版されている様ですが、これは何故かと言えば解りやすい、とっかかりが掴みやすいからでしょう。

昔の事ですから識字率も低い。

それで、お釈迦様やイエス・キリストの教えを絵に描いて説明した。

どちらにしても時間を止めて、それを記録して、だれもがそれを観れるようにする。

そが絵のもつもともとの機能だろうと想うんですね。

歌舞伎役者の絵はブロマイドだったんだろうし、東海道五十三次は、いまでいえば旅行雑誌。るるぶみたいなもんでしょうか。

その目的を達成するにはまずは、パンチがあること、伝えたい事、知らせたいことが、一目瞭然に眼に入ってくることでしょう。

今で言うならポスター的な役割が求められたはずです。

ロートレックミュシャを観たら、グロテスクとは言わないですけど、なにか平板的で浮世絵とよく似た感じを覚えるのはそのせいじゃないでしょうか。

例えば、顔写真をポスターにするのと、割にザッとした版画で似顔絵を表現したものをポスターにするのと、どちらがインパクトがあるでしょうか。

私は後者だと想います。

それにあまりに精密な絵は通りがかりでは眼に入ってこない。

食い道楽の人形やかに道楽のカニも、グロテスクで幼稚性を残して居るからインパクトがある。

一回観たら忘れられへん!

理屈じゃなくて、ドーンと強引に土足でずかずか入ってくる。

それは、まだ完全に分析できていないですけど、多分空間の採り方なんだろうと想うんです。

私の専門の絣や紅型でもね、本当に良い造形のものは、ほどよい空間を残して居て、意識的にそこに眼が行くように仕組まれているんです。

配置や空間というのは、それ自体の美というのももちろんありますけど、それは、勝負どころに視線を集中させる仕組みなんですよ。

超一流の作家というのは、この作品のこの部分の良さを解って欲しい、そう想っているハズなんです。

私がパッとその作品を観て、『ここ、すごいですね!』と静かに言うと

ニヤリ・・・

このやりとりがたまらないんですね!!

西洋がにはテーマがあるでしょう?

絵の下には、必ずお題目が書いてある。

日本のは?

○○の図

観たらわかりますやんね。

お題が無いんです。

観たら解るからです。

剛速球のストレートだから、力強く真実性を感じるんです。

うそくさいけど、伝えたい事が伝わる。

西洋画みたら、『うまいこと描いたぁるなぁ』と想いますけど、

浮世絵観ても、『?』て感じでしょ。

でも、昔の人は『これが団十郎ちゅうやっちゃ』とか

『富士山てこんなんか。金剛山とどっち高いんやろか?』

とか話してたはずです。

そのためには、『すごいな!』『えらい変わってるな!』『きれいやな!』

という感動が心に打ち込めれば十分なんですね。

私としたら、作り方から来る浮世絵の効果も考察したいところですが、それはまたこんど。

(つづく)

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日本の美術と工芸 第9話2017/2/8

『彼らのデザインは、家族およびその国民の生活を感嘆するほどいきいきと描写している』
そして、その生活とは
『何百年にもわたる長い鎖国状態にあった人達が異常な生活で身につけた民族としての日本人のスタイル』は特に日本人のデザイン性を示す物として当てはまる。
私には何を言っているのか良く解りませんねぇ。

何百年にも渡る長い鎖国状態にあった人達が異常な生活で身につけた・・・?

鎖国状態で他国との交流が無かったことが異常?

鎖国していたといっても、長崎は開かれていたし、糸やクスリなどは入って来ていたはずで、それともに、ヤミでいろんなものも入って来ていたはずです。

大陸で地続きであるにしても、今ほど頻繁に外国人が行き来しているはずもないし、江戸時代の日本人がそんなに『異常』と言われる程の環境にいたとは想えないんですけどね。

私が思うにはですよ、文化・芸術の担い手の違いじゃないかと想うんです。

英国を初めとするヨーロッパは、貴族階級がそうであったのに対し、わが国では、鎌倉時代以降、一般庶民=町人がそうであった。

今、伝統文化といわれるもので考えてみるとどうでしょう?

茶道、華道、能楽、文楽、歌舞伎、和歌、短歌、俳句、多くの音曲、絵画・・・

すべてに対して細かく調べた訳ではないですが、主な主体は町人だったのではないでしょうか?

鎖国がもたらしたことは、外国から新しい文化が入ってこなかった事と共に、天下太平をもたらしたとも言えるでしょう。

じゃ、国際港として開かれた堺や、江戸時代の長崎で、外国との交流で欧風文化が花開いたか?と考えたらどうでしょう?

感覚的に言って、現在を見る限りはそんな感じはないですよねぇ。

かえって日本的であるような感じさえします。

特に堺は『モノのはじまりなんでも堺』という位、外国の文物を吸収して、新しいものを発信してきました。

でもそれは、外国から入ってきたそのままではなくて、完全に日本のものとして全国に広まっていったような感じがしています。

それは、皇族や貴族ではなく、町人がやったのです。

鎖国が無かったら?って、タラは海の中にしかいてませんが、鎖国がなかっても、日本の文化力は同じように培われていったのだろうと私は思います。

それは何故かと言えば、国民の文化力が違うからです。

そして、政治的な支配と、文化的な支配が別のところで行われて居たような気がするんです。

つまり、町人は非常に自由で、文化を生み出し、楽しむ余裕も資質もあった。

文化というものが一部の特権階級だけのものではなく、国民みんなもの、特に町人がその主役だったというところが大きく違うところだったんだろうと想うんですよ。

だからこそ、今で言う『民藝』が日本各地にあるわけです。

町人の豊かな審美眼がなければ、すぐれた民藝など出現するはずがないのです。

そもそも、鎖国鎖国っていうけれど、わが国には『環濠集落』というのが各地に点在していて、まったく外界との交流を絶って、独自の生活圏をもっていた場所があったのです。

そこがすごく遅れていたかといえば、全く逆で、驚くほどの洗練された文化と習慣をもっている場所もある事を私は何度も目にしてきました。

もちろん、その地域の民度にもよるのでしょうが、文化の醸成には開かれていることは必ずしも良いとは言えないし、逆に、孤立していたり外界と謝絶していて、熟成できる環境にある方が良い場合が多い、私はそんな感覚をもっています。

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日本の美術と工芸 第8話2017/2/6

『今回の私の目的は、新しくかつ非常に独創的な装飾デザインのスタイルを作りだし、それを芸術産業という大きなグループに新しく適用していく上で、美的および文明化の観点から、日本人が芸術というものを対して何をなしえたかを示すことであろう。逆に芸術が日本人に何をなしたかを示すのではない。とりわけ芸術の才能を使う際に、展開されれる原理をたどる事が私の目的であるが、この原理は、日本人の作品にあるすばらしさの根底になっている』

芸術に対して何をなしえたか?

その後のアールヌーボー、アールデコの流れに大きな影響を与えたのが日本の工芸であったことは、今までも書いた通りです。

それは『装飾』という事でまとめて良いでしょうか。

1番代表的でわかりやすいのがクリムトでしょうかね。

衣裳や背景に抽象的な文様が描かれてますよね。

工芸品だけでなく、美術品にもこういった装飾が加えられるようになっているのです。

私もあまりよく知らないのですが、西洋というか、キリスト教文化圏では、現実的に偶像崇拝が行われて居たために、新興の対象としてはイエス・キリストやマリアの絵や像が造られていたのにたいし、イスラム文化圏では、偶像崇拝が禁止されていた為にアラベスクなどの抽象的な文様が美しく組み合わされた造形が生まれたんだそうです。

日本では、仏教がホトケとして、仏像を拝む習慣がありますが、その他は、山岳信仰であったり、神道は具体的な形となった信仰対象はないですね。

なんなのか解らない柄や文様を『装飾』の為に描く。

つまりは、美しさだけを追求する道具として『文様』が採り入れられたのです。

何の為ではなく、ただ美しさの為。

『これ、ちょっと、ここにこんな柄入れたら、ええ感じやんか』

その延長線上には・・・

意味は無いけど、タダ美しいモノを造ろう・・・

写実的ではなく、徹底的な抽象化。

日本のキモノなどに着けられる家紋がそうですよね。

西洋人はあの紋を見て、腰を抜かしたに違いないのです。

私達がキモノや陶磁器に描いてある絵をみて、これは何の花だ、どの植物だと判別できるのは、見慣れて知っているからです。

たいていの文様は汎用的で、その組み合わせによって伝統文様は造られています。

梅とかキキョウとか桜とか松とか。

それはただの『柄』である場合が多い。

その柄が如何に美しく表現されているか。

全体の中で統一感があり、妙を得ているか。

そこが問題なんですね。

だからこそ、日本の美は『空間の美』と言われるのです。

そして、その延長線上に、シュール・レアリズムがあったのだろう・・・

私はそう考えています。

これはまぁ、私の勝手な解釈ではあるのですがね。

(つづく)

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日本の美術と工芸 第7話 2017/2/2

『この国の人々が発展させた東洋固有の特質や文明を生み出すのに、芸術と芸術文化がどのような影響を与えたか』

ということに、オールコックは疑問が湧き出した、と書いています。

おかしな事を言うなぁ、と私は思います。

特質や文明があるから、芸術が生まれるんじゃないんですか?

芸術が特質や文化を生む訳じゃない。

芸術というのは、その民族に根ざした習慣を土台にして、突然生まれ出た一人の天才によって、芸術というレベルにまで高められるんだと想うんです。

能だって茶道だってそうです。

田楽・申楽があり、観阿弥・世阿弥の登場で、芸術の域まで到達したし、

お茶を飲む文化はずっと前から民衆の生活にも浸透していて、そこに村田珠光、武野紹鴎、千利休をバトンが渡されて、これも芸術となった。

芸術と芸術でないモノの境をどこに設けるかというのも難しい話ですが、それはおいておいても、高いレベルで体系化されたのは確かでしょう。

でももし、観阿弥や利休が生まれなくても、申楽の延長線上にあるものは続いて来ていたかもしれないし、お抹茶も飲まれていたかも知れない。

また、総合芸術としての能や茶の湯がまた新たな芸術を生んだのも確かでしょう。

しかしそれもこれも、それを受け入れる、私達日本人の高い精神性と文化力があってこそです。

なぜ、日本人はそうなのか?といえば、それはDNAによるものも大きいのでしょうが、1番は風土・自然環境だろうと私は思います。

四季に富み、緑豊かで、美しい川や海。

そして1番は豊穣な国土でしょう。

豊かな農水産物があって、食が足りて居てこそ、文化は生まれるのです。

明日食べるものもなくては、文化は生まれにくい。

わが国は、ほっといたら土から食べられる草が生え、秋には様々な木の実がなる。

短く急な流れの川は時に人間生活にダメージを与えるが、それがまた土地を豊かにもする。

豊かな森は、河口の小魚の餌となり、その小魚はまた大きな魚の餌となり、針を投げ入れただけで魚が釣れる豊かな海が造られたのです。

わが国では皇族や貴族などの上流階級だけでなく、庶民階級によって文化が創られ、浸透していったのは、一般庶民も食うに事欠かず、自由な暮らしを謳歌していた事によるものだと私は考えています。

民藝の中に素晴らしい物があるというのは、まさに庶民の生活レベルの高さを示す物なのです。

(つづく)

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日本の美術と工芸 第6話2017/1/25

『他のいかなる近代的な国の人間よりもはるかに日本人は「平凡なものを作ることを楽しみ、そしてささいな工芸品であっても、芸術的に価値あるものとして、その芸術的価値のみでなく、一般的な生活においても、もっと満足できるように空想力に働きかけるのである」』

ささいな工芸品であっても、もっと満足できるように空想力に働きかける・・・

どういうことでしょうか?

たとえば、備前焼の火だすきを見て、登り窯の中の火の様子を想像したり、

波佐見や有田の茶碗を見て、その絵付けから風景や自然を想像する・・・

そういうことでしょうか。

一つの湯呑みに描いてある絵を見て、例えば鳥の絵を見て、私たちは鳥の存在だけを感じるのではありませんよね。

そこに、ストーリーを見出し、感じる。

里山の風景が描いてあれば、その中にいるような気分になってその器に向き合う。

それがいい絵だとかあんまり考えずに、薬の色や絵付けを見てその話しかけてくる世界に入っていく。

焼き物の表情見て日本人は『景色』と表現したりします。

特に意図して作られたものでなくても、そこから何かの自然や風景などの趣を感じ取ろうとする。またそれが面白みであると想っている。

繊維の世界で言えばテクスチャでしょうか。

その布の表情によって、味わいや情緒を感じ取ったりします。

様々な凝った技法を盛り込んで細かい細工がしてあるよりも、シンプルだけどその『味わい』のあるものに惹かれて、魅力を感じたりします。

これは『芸術品』として特別に作られたものでなくても、日常の雑器にも感じているわけです。

それがすごいのだ!とオールコックは書いているのでしょうね。

日本人よりも外国人の方が日本の文化の良さをよく知っている、という人が居ますが、私はちょっと疑問に想います。

本当の文化というものは、生活の中に深く溶け込んでいるもので、事さらに文化と意識されるものは実は、非日常的文化というべきものなのです。

お茶碗とお箸でご飯を食べるのも日本の文化ですし、それもご飯茶碗とお箸は自分専用のものがある。これも日本の文化です。

いただきます、ごちそうさま、というのもそう。

なぜだか理由は知らないけど、誰に教えられたか知らないけど、いつのまにかそうしている。

どんな子供だって、緑茶に砂糖やミルクを入れる日本人はまずいないでしょう。

なぜか?

日本人だからです。

日本人なら、割れるお茶碗でご飯が食べたいと想うでしょう。

何故ですか?

割れないプラスチックや金属のお茶碗が何故普及しないのでしょうか。

大人なら木や竹で出来たお箸で食べたいですよね。

私たちは身体で、そういう素材のほうが良いと知っているからです。

スプーンやフォークで食べている人にとってはとてつもなく優れた事に感じるのかもしれません。

韓国料理を食べる時、金属のお箸で食べると口に冷たい感触が伝わって、美味しくないのです。

民藝運動というのは、私達が本来身体で知っていることを、改めて意識させるものであったのです。

まったく新しい美を見出したのではありません。

私達が先祖から受け継いだDNAの中に刻み込まれたものを柳が解説し表現したのです。

ですから、誰が作ったとか、どこの産地だとか、いつごろ作られたものだとか、全然関係ない。

そのモノをただただ見て、ただただ感じる。

そして使ってみる。

五感で味わう。

日本人の生活の中でそれが普通の様に行われている事にオールコックも驚嘆したことでしょう。

そしてそういう消費者がいるからこそ、日本の工芸は世界に冠たる地位を占めてきたのです。

(つづく)

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日本の美術と工藝 第5話2017/1/24

『工藝と絵画の間に明白な線をひこうとするある種の試みがなされてきたし、またこれまで言われてきたように芸術の市場性の投機性の間にもそのようなことはあった』

芸術と工藝のちがい。

私のような工芸に関係する商売をしていると度々直面するのは『作品と商品のちがい』です。

作り手によっては、公募展などに出す作品と、問屋に出す商品を明確に区別している人もいます。

ある全国的に有名な作家の中には、問屋に出すのはすべて駄作と言う人もいるようです。

つまり作品は真剣に入念に造るけれど、商品はいい加減で良いという考え方ですよね。

もしかしたら、作品を見る側、買う側もそう想ってませんか?

はっきり申し上げて、トンデモナイ事です。

自分の名前がついて世に出るものに対して軽重をつけるなどというのは、いわば恥知らずのすることです。

私がおつきあいさせていただいている作家さんの作品はそれが国展に出るものであっても、私にいただくものであっても、全く差はありません。

作品を見た時に、やっつけ仕事で作ったものか、心を込めて作ったものかはすぐに判断できます。

紅型の場合は型があって、柄的にはそのリピートになるのですが、それでも解ります。

一番は型がきちんと彫られているかどうかですが、色の作り込み方でも真剣味が感じられるものです。

紅型に気が抜けたスカスカの商品が多く感じられるのはそのせいです。

紅型の人は悪く言えば芸術家気取りで、工芸論などをぶつ人も多いですが、熱意の割には作品にそれが入っていないのは、初めて作るときと、リピートの時に『気の差』があるからだと想います。

『気の差』というのは、微妙なところでの妥協の積み重ねで起こるんだと想います。

これは実際にものづくりを体験してみると解ります。

良い作品を作ろうと想ったら、すべての工程に集中して納得行くまで突き詰めるという作業の積み重ねが必要です。

一つでも妥協したら、そこが『甘さ』として作品に出てきます。

見る人が見れば解ります。

甘甘の作品か商品かが、自分の名前を背負って世の中に出て衆目にさらされても良いと想っている人・・・

それは作家とも工芸家とも言いません。

工芸と芸術の違いというと、工芸は実需に即した物で、芸術はそうではないという分け方もあるかと想います。

しかし、現実に工芸展を見に行くと、実需に則さないオブジェの様な陶芸や、染織ならタペストリーもあるわけです。

芸術が崇高なもので、工芸は大衆的なものかといえばそうでもない。

芸術=art

artという言葉が本来どういう語感?を持つものなのか、私にはわかりませんが、辞書を引くと

芸術、技術、などと共に書かれているのは、作為、狡猾さも書かています。

つまり『つくりもの』ということですね。

つくりもの、つくったもの

それに対し、工芸は

使うもの

使うものは作り込む必要がない。

簡単に言えば、打製石器も工芸といえないこともないわけですし、私が土を丸めて作ったお茶碗も工芸になるわけです。

でも、私が何にも考えずに作った、干支の置物は芸術とは言わない。

そもそも干支の置物は芸術なのか?

曼荼羅は?

書き出すと美術史を紐解かねばならないので、やめときますが、歴史的にも芸術の定義は少しずつ変わってきている感じがします。

おそらくは、芸術と工芸は分けて考える必要はないのだろうと想います。

クリムトに見られるように工芸的な絵画もありますし、絵画的な染織も今は存在するので、意味はないでしょうね。

芸術が工芸より崇高だというのもちょっと違和感があります。

少なくとも工芸が芸術と言われているものよりも優れているところがあります。

それは『五感』で感じられるところです。

眼だけではなく触覚、聴覚、そして陶芸・漆芸なら味覚、嗅覚・・・

あとは、オールコックにゆずりましょう(^^)

(つづく)