『第89回国展を観て』2015/5/29

名古屋に行ったついでに愛知県美術館で開催されている国展を見て来ました。

国展というのは、国画会が開催している美術工芸の公募展で、東京、名古屋、大阪と巡回して開催されます。

目的は工芸部の染織なのですが、工芸部は出品数が非常に少なく、絵画、写真ばっかりだな、という感じです。

染織では沖縄からは祝嶺恭子先生、多和田淑子先生の作品が展示されています。

今回の国展では、私がお世話になっている他の方も数人入選されています。

染色部門を観ての感想は・・・

いつもの事ながら、『表現したければ、筆で描けばいいのに』という事です。

着物や帯が非常に少なくて、タペストリーや飾り布みたいなのが大半です。

染も、織もです。

国画会創設期に活躍した作家として挙げられているのは下記の人達です。

《工芸部》 富本憲吉、柳宗悦、濱田庄司、バーナード・リーチ、芹澤ケイ介、河井寛次郎、柳悦孝、舩木道忠、柳悦愽、黒田辰秋

民藝運動家がずらりです。

初期に活躍したのが民藝運動の人達だからと言って、民藝の趣旨に沿わなければならないという事も無いのでしょうが、沖縄に軸足を置く私としては、正直言って『なんなのこれ?』という感じです。

私も大阪芸大で少し学びましたが、織や染を表現の技法として見る傾向が強くなっているような気がします。

もちろん、商業主義ムンムンの作品ばかりが並んでも何も面白くは無いのですが、テーマが着けられた染織作品をみても、『ふーん、だからなに?』という感じしかしないのです。

私の感性が鈍いのかもしれませんが、『あーなるほど!』と感動する作品がない。

テーマを見ずに、作品だけをみて、意味をくみ取れる作品がない。

役所や公民館の吹き抜けに飾られるくらいしか出番の無い布・・・?

もしかしたら、そのうち、ファイバーアートと言われる繊維の立体造形作品も出てくるようになるかも知れませんね。

全体として感じる事は、まず色が甘い。

すごいなー!と思えるものは・・・あったかな?

技法と構成にばかり気を取られて、色の作り込みが甘くなってるんじゃないでしょうか。

お世辞じゃないですが、祝嶺先生の作品はやはり出色だったと思います。

色のパンチ力が全然違う。

あと、表面の感じがもたついている物も数点見られました。

仮絵羽したものは、仕立てが良くないな、と思ったものも。

染の方は、『もういいよー』という感じ。

でも、好きな作品もありました。

国展もそうですが、公募展を見ると、若手をどんどん育てて出品してもらおう!という気持ちになってきますし、実際にそうしています。

それは、賞を取らせてハクを付けさせようというのではなくて、常に創意工夫を忘れないためと、公募展自体を活性化させて、勢いのある作品を紹介したいと思うからです。

会員だから出しとくか、そんなやっつけ仕事臭のする作品も多々見られる事も事実です。

私は染織の要は『色』だと想っています。

どんなに複雑な技法を駆使した作品でも、シンプルな作品のひと色によって、心を打ち抜かれる事があります。

実は私にも、勝負色というのがあります。

この色系にかけてはどこにも負けない、という色があるんです。

私が染めるワケではありませんが、眼とカンで出してもらえるんです。

他の同じ立場の人にも同じ様に勝負色があるんだろうと想います。

特に染織に興味のない人でも、誰が見ても『染織ってすばらしいなぁ』と想ってもらうことは出来ると想うんです。

知識の無い人にとって技法なんて関係ないんです。

技法は色を引き立てるための手段に過ぎない、私はそう想います。

植物染料を多用する人も多いようですが、植物染料だから良い色がでるとは限らないと想います。

植物染料で、自分が狙った色を出せる技術がある人がどれだけ居るでしょうか?

陶芸家は、窯の中で起きる自然現象でさえ、コントロールして狙ったとおりの物を造ろうとするそうです。

一般の人は、工程の複雑さや長さを聞いて、その値打ちを感じるかも知れませんが、プロの世界は結果のみです。

こういう作品を造ろうと狙い、狙ったとおりの結果を出す。

そのための技法、工程であって、技法や工程に価値があるわけではないと私は思います。

茶道の道具に茶杓というのがあります。

御抹茶をすくうための小さな匙みたいなもので、よく『なんでこんな耳かきみたいなのが何百万もするの?』と言われる品物です。

茶杓は、ふつうの人が見ても善し悪しは解らないでしょう。

私も、なんとなくしかわかりません。

でも、普通の茶杓と良い茶杓は、持ってみたら一発で解ります。

良い茶杓を持つと、手にしっくりと来て、心が落ち着くんです。

そうでない茶杓は、なんとなく心がモゾモゾする。

実は『用の美』とはそういう事なんです。

『用の美』というのは、見た目だけではなく、使う人の精神状態にも反映されるんです。

染織も同じです。

だから、現実に使用される物の評価はあくまでも『総合評価』でなければならないんです。

国展を見て、ガッカリしたけど、ファイトも湧いてきた、そんな感じです。

名古屋では5/31(日)まで

大阪は大阪市立美術館で6/9(火)から14(日)まで開催されます。

『長崎ちゃんぽんと民藝』2015/5/13

私は仕事で年に数回長崎に行きます。

もう15年以上通っていて、一回の滞在がだいたい2週間ですから、軽く一年以上の日数は長崎に滞在している事になります。

長崎と言えば、ちゃんぽん。

たぶん、200杯以上のちゃんぽんは私の胃袋に入っているだろうと想われます。

長崎に旅行に来られる方もたいていは、まずはちゃんぽんを食べようと想うのじゃないでしょうか。

どの店で食べても、それなりにまずまず美味しいのですが、人気と言えばばらつきがあって、観光客に人気なのはダントツでK店です。

ところが、このK店、地元の人にはすこぶる評判が悪い。

味はそんなに悪くないのですが、作り方が手抜きだと言うことをみんな知ってるんです。

何時言っても一杯だし、待って食べるほどの味でもないので、もう10年以上行ってませんが、不味いことはありません。

どう手抜きかということは、ここで書くことは控えますが、『長崎の恥』という声も良く聞きますし、地元の人の評判が悪いことに対して、『地元ん人間はこんちゃよか』と店主はうそぶいているのだそうです。

でも、連日、観光客や修学旅行生で一杯です。

これが現実です。

なぜ、そういう事が起こるかというと、『K店は美味しい』とガイドブックにも書いてあるし、長崎旅行に行った人に聞いても『K店でちゃんぽん食べた。美味しかった』というからでしょう。

長崎に来て、ちゃんぽんの食べ比べをする人もマレでしょうし、プロの料理人ならいざしらず、作り方まで解析して味をみるひとはなかなかいないでしょう。

つまり、とりあえずは有名だから無難でしょう!という事なんでしょうね。

実は、他にもっと安くて美味しい店はたくさんあるんです。

でも、そんな情報はなかなか得られない。

ガイドブックには一番人気と書いてある、じゃ、そこに行こうよ!となるわけです。

昔K店に言ってよく食べた父の話を思い起こすと、『泣くほど美味しい』という事でしたし、地元の人も『昔は良かったとよ』と口を揃えて言います。

観光客は情報の真偽を見分ける時間も手段も無い、という事なんでしょうね。

大阪でも地元の人が行く店はちょっと味が落ちたら、すぐに広まってしまって、流行らなくなります。

ところが、観光客が食べる串カツ屋は、まずくても毎日行列するんです。

串カツは確かに美味しいけど、並んでまで食うモノじゃない、と私は思いますけどね。

つまりは、情報に振り回されて、消費者は重大な?機会損失をしているという事なんです。

私ならガイドブックなんて見ないで、地元の人に聞きます。

もちろん、インターネットとかガイドブックしか頼りがない時もありますから、その時は、慎重に内容を吟味します。

それでも、ハズレは多いです。

焼き肉だって、大阪に来たら、鶴橋に行くでしょう?

なんで鶴橋が美味しいと想うか?

有名だし、在日韓国人の方がたくさん住まわれていて、その方々が経営されている店だから。そういう感じでしょうか。

じゃ、韓国に行って美味しい焼き肉を食べたか?と言えば、たいていは、日本の焼き肉の方が美味しい、と言う。

それは、日本のお肉が美味しいからでしょう。

私は鶴橋で焼き肉を食べたことがありません。

なんでかといえば、羽曳野のお肉が美味しいからです。

でも、知る人ぞ知るなんですよね。

羽曳野にくると、安くて断然おいしい焼き肉が食べられます。

鶴橋もたぶん、羽曳野から仕入れているんでしょう。

本当の事は、なかなか知り得ない、という事なんでしょうかね。

それは食べ物だけじゃなくて、工芸に関しても同じ事が言えると想います。

なんとか焼が良いとか、なんとかいう作家のモノが素晴らしいとか良く言いますけど、それは本当なのか、疑ってみる必要はあると想うんです。

なんとか焼がすべて言い訳じゃないし、なんとかいう作家の作品がすべて良いわけでもない。

人間国宝の作品だって、駄作はいっぱいあります。

まさしく、すべての情報の衣を取り去って、モノを直に観て、直感で善し悪しを判断する。

そこが民藝を考える上での原点になるんだと想います。

染織の世界でも、ビッグネームを追いかけている問屋さんや小売店さんが居ます。

まぁ、それは商売だから良いとしても、鑑識眼を高めようと言う人は、有名作家のものを観るだけでは不十分だと想います。

展示場で数百と並んだ作品の中から、光り輝いている作品を選び出して、『これは誰がつくったんですか?』と聞き、作家を見つけ出す眼力は、どうしたらつくのか。

そのためには、すべての情報の衣を取り払い、できるだけたくさんの作品を、良いモノ悪いモノ含めて、じっくり観る事です。

チャンポンも串カツも、有名店だけで食べていたのでは、それがチャンポンや串カツの味だと想ってしまいます。

でも、実は違うかも知れない。

おかしい。

これ、そんなに感動する味か?

確かに美味しいけど、そんな評判になるほどでもないで。

そう感じるのは、口に入れた瞬間、食べている途中、食べ終わった後、そして店を出た後、それぞれです。

工芸作品も同じです。

ええのはええけど、これで人間国宝か?

有名やけど、センス悪!

とか、率直に感じたままを心に入れる。

たいてい、間違っていません。

人間、腐ったモノを口に入れたら、マズ!と想ってはき出すか、その前に、クサッ!と悪臭を感じて遠ざけます。

それを間違って身体の中にいれてしまうのは、感覚がおかしくなってるからです。

普通なら人間は正しい反応をするのです。

なぜ、異常になるのか。

それは、間違った情報で先入観を植え付けられるからです。

モノを観る眼は先入観との戦いです。

一般に良いと言われている物をくさすと、『あの人偏屈モノ』とか『良さが解らない』とか想われてしまう可能性があります。

しかし、それを恐れずに『これ、どこが良いの?』『そんなに美味しいか?』と私は口に出して言います。

もちろん、美味しいと想ったら美味しいと言うし、良いと思ったら良いと言います。

美の世界でプロになろうと想ったら、自分の感覚を信じて、口に出すことも訓練の一つだろうと想います。

ちなみに私がこよなく愛する大阪料理は、きずし、かす汁、そしてナスとキュウリの古漬けをショウガと醤油を入れてぐちゃぐちゃに混ぜた漬け物です。

『大阪日本民藝館 『絣の美』を見て』2015/4/24

昨日、万博公園内にある大阪日本民藝館に行ってきました。

『絣の美 模様の世界』が開催されています。

    http://www.mingeikan-osaka.or.jp

大半が鳥取県の絣で、後は久留米。

沖縄はちらほらで、首里の芭蕉布や宮古上布も展示されていました。

首里の絣では、大城志津子先生のタペストリー、多和田淑子先生の着物、手縞、諸取切などが展示されていました。

大城志津子先生の作品は、出口近くに展示されていて、経2m×緯1mくらいの大きなモノでしたが圧巻でした。

これだけ絣がズラリと並ぶと、さすがに感性が触発されます。

絣ってなんなのか?

絣の美ってなんなのか?

織で絵柄を織り出すこと?

たくさん展示されている絵絣はとても精緻でたしかな技を感じさせます。

すごいな、きれいに造ってあるな。

余程正確に設計して絣を括っていないとこうはいかないな・・・

なんて考えます。

民藝という視点でみると、そこには生活感、やさしさ、土の臭い・・・

なんてものが感じられます。

そういうやさしい、ほのぼのとした、それが使われている光景が思い起こされるような作品。

それが民藝の原点でしょう。

しかし、私がグッと引き込まれる作品はそういうものではありませんでした。

絣という技法自体が、自然に作り出す美。

『織味』という言葉があります。

経糸と緯糸が重なった所に染めでは出ない色と表情が出る。

その味を『織味』といいます。

経糸と緯糸のかすれ具合。

経の絣と緯の絣が重なった所にでる織味。

そこに生ずる織味。

濃淡、強弱、明暗・・・

直線的な絣ほどそれが強調されていたような気がします。

その生地の奥にグーッと引き込まれていく感じがしました。

まさに万華鏡を見ているような感じです。

内地の絣はたいてい紺に白の絣ですが、沖縄には色絣があります。

地を防染糸で括らないといけないので、とても手間でしんどい仕事ですが、これがまた美しい。

でも、織味という点からみて、それが充分に発揮されているのかというと、うーん、私自身、そのあたりの視点が欠けていたというしかありません。

手縞になると、経緯の太い格子にムディ(杢糸)が入り、格子の間に手結いの絣が入る。

まさに折り重なる様に表現される織味の中に手結絣の白は空間を与えているんですね。

織味を確認する為に私はマス見本を造ってもらう事もあります。

反物のデザインをするときに糸を重ねただけでは重なった所の感じがわかりません。

経10色、緯10色くらいで織ってもらいます。

(たいへんな手間がかかるのでたいてい嫌がられますが)

絣の織味を狙って織れば、もっと面白い作品ができるかもしれないな、と想いました。

絣の技は、もちろん技術の正確さや藍の美しさも必要です。

しかし、本質なのはそこじゃない。

シンプルな中に表現される豊かな表情。

経絣、緯絣、そして経緯の絣が交わる織味。

プロの陶芸家は、私達素人が偶発的にでたとしか想えない色や味わいも狙って出すと言います。

火襷や、灰のかぶり具合さえ、狙って造るらしいです。

経緯の色の重なりと空間。

織物って本当に面白いなぁ、と想います。

『絣の美』は7月20日まで開催されています。

『『のまんじゅう』と『星の砂』』2015/4/22

沖縄の首里に『のまんじゅう』というお饅頭があります。

中身はアンマンですが、それに食紅で『の』の字が書かれていて、熱々のを月桃の葉でくるんでくれます。

お饅頭から月桃の優しい香りが広がってとても美味しいのです。

その『のまんじゅう』は知らない人が居ないほど有名で、お祝いやお節句の時の祝い菓子として用いられるのだそうです。

有名になると物産展などへの参加要請もあるそうですが、絶対に出ないと聞いた事があります。

なんでも、内地にもって行ったのでは、同じ味がでないから、というのが理由だそうです。

確かにそうでしょうね。

沖縄で食べると美味しいのに、持って帰って食べるとさほどでもない。

海ぶどうや島らっきょうなんて、その代表格でしょうか。

私は日頃からデパートに出入りしていて想うのですが、いままで各種の物産展で、行列が出来る品物がありました。

主にスイーツ系ですね。

なんとかキャラメルやら、なんたらロール・・・

いっぱいありました。

でも、どれも大して長続きしてませんよね。

また、かつてはとても美味しくてひっぱりだったのに、手を広げたために味が落ちて今はだれも見向きもしなくなった食品ってありますよね。

大阪では馴染みの深いシュークリームや、塩昆布、新潟の鮭の瓶詰め等々・・・

一時は珍重された外国製のチョコレートもそんな感じでしょうか。

その事に関して、その会社の経営者はどう感じているんでしょうか。

たぶん、

『うちの商品は人気がある。たくさん造って販売チャネルを増やせばもっと売れる』

そう想うんでしょうね。

しかし、そこには

『なぜ人気があるのか』

という視点と分析が足りなかったのではないでしょうか。

一つのヒット商品から拡大して製品ラインを増やし、成長する企業もあるにはあります。

成功談というのは、めったにないから価値があるのであって、あまりアテになる話では実はありません。

マーケティング用語に『期待満足度』というのがあります。

その商品に対して持つ期待に対してどれだけの満足が得られるか、という話ですが、

たいして期待していなかったのに良ければ、満足度は高くなり、

すごく期待していたのに、想ったほどでなければ、満足度は低くなるんです。

品質そのものよりも、期待度によって満足度は変わるという事なんですね。

食べるモノは、口に入れてすぐに結果が出てしまうので怖いと想います。

満足度が低ければ、『失敗』『味がおちた』と想われてしまいます。

商店街でおばちゃんがつくってる『おはぎ』がめちゃめちゃ美味しければ、すっごく満足するわけです。

つまりは、ブランドに対して抱く期待にたいして、内容が低ければ満足度はさがるんです。

なんたらのチョコレートは世界的に有名やし、めっちゃ美味しいハズやと想って食べたら、なんやこれ!ということですと、もう二度と買わないわけでしょう。

それと食べ物でもなんでもそうですが、『飽きられる』という事があります。

どんなおいしいものでも、飽きるんです。

美味しければ、そこそこの売り上げは維持できるんですが、そんな爆発的な売り上げはいつまでも続けられない。

日本人はいろんなものを食べ、いろんな味を味わいたいと想うからです。

それを超越したのがソウルフードというものなんでしょう。

さて、売る方はといえば、物産展だとデパートとか最近は巨大SCなんかでもされるそうですが、今話題のスイーツなんて感じで、チラシにドーンとのっけます。

沖縄物産展で、『ちんすこう』なんて書いてもだれも買いに来ないでしょうが、かつてはなんとか食堂のラー油なんて出せば、わんさか、だったわけです。

そういえば、なんとか食堂のラー油、どうしたんでしょうね?

なんとか食堂のラー油は美味しいのですが、飽きられたのと、結局は食べるラー油が日本人の食生活に浸透することは無かった、ということなんでしょうか。

そういうのを『催事の目玉』といって、それで全体の集客をアップさせるわけですが、その時は、その目玉は飛ぶように売れるわけです。

それこそ行列する。

成功すればあっちからもこっちからもオファー、引っ張りだこです。

でも、長く続かないんです。

いままで根付いてなかったから珍しいのだし、ほんとうに美味しいモノはそんなにたくさん出来ないからです。

伊勢の赤福餅はみなさんご存じでしょうか。

一時賞味期限で問題になりましたが、売店で売ってるのと、本店で食べるのと、全然別物くらいに味がちがう。

味がちがうのにはいろんな要素があるんですが、一度本店でたべると、また食べてみたい!って想いますよ。

ちなみに、私は赤福の氷が好きです。

話はそれましたが、物産展を成功させるには目玉が必要です。

目玉の効力がなくなるとなると、新しい目玉はないか?そう物産展屋は考えます。

次は、ぬちまーす、次は、あぐー豚・・・

あぐーがそんなに沢山飼育できるわけないでしょって。

そして、かつての目玉は忘れられていくんです。

うちには、まだ大量の『星の砂』があります。

販促品をというので、買ってあるのですが、今は、タダで上げるといっても、持って帰ってくれません(^_^;)

北海道のマリモも同じような感じでしたよね。

『のまんじゅう』と『星の砂』

どっちがいいですか?

売る方、つまり物産展屋やデパート・SCは何でも良いんです。売れれば。

一世を風靡した商品が、いまは見向きもされなくなる、危険物を扱うように遠ざけられる、そんな話は、この和装業界でも枚挙にいとまがありません。

あなたが染織の作り手だとしたら、自分や自分の作品が『のまんじゅう』になるか『星の砂』になるか、どっちが良いですか?

問題は、『のまんじゅう』は『のまんじゅう』屋であって、『山城まんじゅう』は造れない、ということです。

私は551の豚まんを今日も食べました。

551の豚まんも、伊丹空港とアベノ近鉄で買うと美味しいそうです。

『ニセモノとクイモノ』2015/4/15

前にもご紹介したことがあったと想いますが、古い新聞記事です。

沖縄が祖国に復帰してすぐくらいだと想われますから40年くらい前の記事なんでしょうか。

私が小学校2年生の時、8歳の時に復帰したので、父はまだ三十代半ば。

私が社長になったのとちょうど同じくらいの年代です。

父が昔書いたノートやレポートを読むと、資料の少ない時代に良く勉強しているなぁ、と息子ながら感心します。

民藝論も完璧に理解していた様です。

私は父の影響を当然強く受けていますし、気質も歳を重ねるに従って似てきていると言われます。乗り移っているとも(^_^;)

真面目で一本気な父でしたが、この記事を読むと、やっぱり同じ事を考えていたんだなぁと、つくづく想います。

幸い、沖縄に自動織機が持ち込まれることはありませんでした。

沖縄風のモノが他産地や外国で造られたことは、父が心配した通りになりました。

自動織機が持ち込まれなかったのは良かったのですが、ではそれを本当に手放しで喜べる状況であったのか、というとそうとも想えません。

『心』はどうだったのか?

機械は使っていなくても、機械的では無かったでしょうか。

手作り、手織り、というにふさわしい内容が維持されてきたでしょうか。

沖縄の染織は有名になり、生産量もこの記事が書かれた当時とは比べものにならないほど増えたのだろうと想います。

しかし、作り手にせよ、商人にせよ、父のように熱い気持ちで取り組んでいる人がどれだけいるでしょうか。

父は貿易当時から沖縄に深く関わっていて、いろんな事を見通せたんだと想います。

復帰当時は、良いモノを造ろう、内地に沖縄の染織を広めようという気持ちがあった人も、次第に変わっていったのでしょうし、それにつけこむ商人が出てくるのは必然だったでしょう。

実は、貿易時代から、悪徳商人が沖縄に入り込んでいて、色々悪さをしていた、という話を聞いています。

その中で真面目で一本気な父が信頼をえて、沖縄の方々から支援をいただいた、という事の様です。

沖縄染織に関して言えば、当時のモノより今の方が品質的には安定していると想います。

でも、それと作品に魅力があるかどうかは別の話です。

ニセモノを造らせなくても、クイモノにしていないでしょうか。

沖縄に入り込んでいる業者で、本当に末長い沖縄染織の繁栄考えているのがどれだけ居るでしょうか。

また、作り手の方も、みんなが営々と仕事が続けられる様に自らを律して仕事をしているでしょうか。

もちろん、みんなお金が貰えないと困ります。

でも、お金と引き替えに大切なモノを犠牲にしていないでしょうか。

それをクイモノにしているというのです。

作り手も商人も、歴史と伝統の繋ぎ手として、『お預かりしている』という気持ちが大事だと私は思っています。

父から私に託された『京都、加賀、江戸に並ぶ沖縄染織の確立』はほぼなし得たかもしれません。

しかし、沖縄の染織が本当に良いモノ、最高の染織、と言われるにはまだまだ道のりは遠いと想います。

行く手は遠くとも、必ず到達できる目標であるとも想います。

一緒にそこを目指していきましょう。

『モノ選びの基準』2015/3/25

最近、しょーむないブログばっかりですみません。

ちょっといろんな環境の変化がありまして、前みたいに何でもぶちまけては書けなくなってしまいまして。

50歳すぎて、ちょっとは口を慎んで、穏やかで上品なブログにしたいと心がけております(^_^;)

今日は久しぶりに、硬い内容の話を。

私がよく話している『モノ選び』つまりは『どうやって良いモノを選びとるか』に関してです。

まずは、なぜそれが出来にくくなっているかを考えてみましょう。

どうやって選んだら良いか解らない=良いのか悪いのか解らない、という事ですね。

対象が人間なら、どうでしょう。

1時間ほど話せば、その人がいい人か悪い人か、ちょっとは予想がつくでしょうか。

その人に本を貸したらちゃんと返してくれるか?

さらに、お金を貸したらちゃんと返してくれるのか?

口だけ上手い人じゃなかろうか?

感じは良いけど、なんかうさんくさい・・・

等々、他人様と話をするといろんな事が頭を駆け巡ります。

つまりは、それまでの人生で経験してきたことを、総動員して、判断するわけですね。

そして、かつ、そういう判断をするときはたいてい、欲と二人連れです。

本を貸してくれ、お金を貸してくれ、というのも、考えるくらいなら端から断れば済む話です。

他人様のためとは言いながら、実は自分が善人である事を確認したいために、自分自身に決断を迫っている場合も多いと想われます。

50歳なら50歳なりの、30歳なら30歳なりの、知識と経験があって、それなりに適切な判断ができそうなものですが、それを誤るのは欲のせいなのです。

買い物に関して決断をするとき、ああでもないこうでもない、と考えますよね。

似たようなモノを買う、あるいは同様の用途を満たすために別のモノを買う。

また、あらたな利便性を求めて、買ったことのない商品を買う場合もあるでしょう。

その時の心理としては『失敗したくない』という気持ちが強いのではないでしょうか。

買って後から後悔したくない。

だから、慎重に色々検討するのでしょう。

高価なものであれば、事前にいろんな情報を集めもすると想います。

自分の知識や経験ではなく、外からにわかに取り入れた情報がそこに入ってくる。

実は、それが失敗の元なんですね。

Aという商品があったとします。

それはBという会社がCという便益の為につくった製品である。

Bという会社がCという便益の為という便益の為につくった同様の製品は他にもあるかもしれません。

それをDとすると、

AとDの違いはどうやって認識するのでしょうか?

また、Eという会社がおなじCという便益の為につくったFという商品もある。

A,D,Fはどうやって見分けますか?

その商品をその商品と認知するのは『銘柄』

つまり『ブランド』です。

B社、E社はそれぞれ、その商品が顧客に与える便益について、訴えかけます。

またB社はAとDがどういう違いがあるのかも言うでしょう。

今なら、楽天やアマゾンの顧客の意見なども参考にするでしょう。

レストランなら、食べログやホットペッパーの意見も、でしょうね。

いろんな情報を一杯頭に入れて、最後の決断をする。

消費するときは、まずは目的を定めて、購買決定をするときの条件の優先順位を自分の中で決めていると想います。

価格、品質、デザイン、ピンポイントの用途・便益、等々・・

実は、モノを造る側、売る側もこの優先順位を見抜いていて、それに合わせて商品づくりをします。

だから、惑わされるのです。

後回しになった判断基準で、落とし穴にはめられて、アララという買い物になってしまうのです。

ものごとは『当然こうなるだろう』とたかをくくっているところで、過ちを犯すものです。

では、どうすれば買い物の間違いをなくせるか、です。

結論から言って、間違いの無い買い物というのはムリだと想います。

とくに今のようにモノと情報が溢れている時代には、消費者の要求も高度になって、100発100中でそれを満たす事は困難です。

次善の策として、間違いを少なくするにはどうしたらいいか?

長い年月に渡って売られている、そんなに目立ちもしないが、継続して店頭に置かれている商品。それがいろんな意味で間違いが少ないのだろうと想います。

着物は?って・・・

眼の肥えていない人、良い染織品が解る様になりたいと想っていない人は、失敗して当たり前です。

一番大事なのは、解りたい、解る様になりたい、と想う事です。

長く着ている人が、着物を良く知っているか?

では、背広を何十年も来ている人が毛織物に精通しているでしょうか。

パンツやシャツを毎日きていても、綿製品やニットに詳しくなるわけではないでしょう。

でも、買うときに一つ一つ吟味して買う習慣をつければ、だんだんと解る様になります。

『吟味して買う習慣』これが大事なのです。

吟味しないで、ブランドと価格だけで買う。

これが大きな失敗の原因のひとつです。

買うことをしないで、初めから全部良い買い物をしようとするなら・・・

一番間違いのないのは、どなたか信用できる方の紹介で、良い呉服屋さんとお付き合いされることです。

それでも、すごく良い商品をすごくお買い得な価格で買うなんてムリですよ。

大きな失敗がない、そういう事なら上記の方法で大丈夫だと想います。

私みたいなプロの様に解る様になるには・・・

とてつもない修業と経験とお金が必要です(^_^;)

失敗がない仕入れというのは、すべての商品を買い取って、1点も見切ることなく、適正価格で全点売り切ること、です。

それを前提に仕入れ活動をしてこそ、仕入れの腕も上がるのです。

商品を借りて、たまに買い取りして、売れ残ったらホホイノホイでは、いつまでたってもダメでしょうね。

一般消費者のみなさんは、そこまでの事は当然必要ありません。

一番の失敗は着ないでタンスにしまったままにすることです。

着る場面を考えて買う。

これが一番でしょうね。

きちんと造られた着物は、そんなに着る人をガッカリさせることはありません。

あとは、自分が自信を持って、着ていけるかどうかですね。

『デザインとブランド』

デザインとブランド。

今ではもう聞き慣れた言葉です。

デザインというのは designですから、de sign。

つまり、サインを送る、簡単に言えばその品物に込めたコンセプトを受け手に発信するという意味です。

では、ブランドというのはどういう意味かというと、日本語で言えば『銘柄』です。

ブランド・ロイヤリティー=銘柄忠誠を如何に高めるか、というのがマーケティング戦略上重要なこととなってきます。

ブランドといえば、なんか高級品という感じがしますけど、日本語になおすと『銘柄』なんです。

たとえば、お酒。

日本酒というだけじゃ、自分が作ったお酒が選ばれる確率はアテモンみたいに低くなりますよね。

次は、灘の酒とか越後の酒とか、そういう風に言う訳です。

灘の生一本しか飲まない!とかいう人が出てくれば、他を差し置いて灘の酒ばかりを選ぶ事になるわけです。

その灘の酒の中でも、私は白鹿だとか、オレは菊正宗だとかいうふうにどんどん絞られて行く。

絞られて行けば、その酒蔵のお酒を反復して買うようになり、そのお酒しか飲まない様になります。

私は日本酒の次には泡盛、泡盛の次にはウイスキーが好きですが、自分で買うお酒は、

泡盛なら、『琉球王朝』か『海波』

ウイスキーなら『オールドパー』

と決まっています。

それは、琉球王朝ならこんな味、海波ならこんな味、オールドパーならこんな味と、味が予想され、品質と共に保証されるからです。

その品質・内容の保証は何によってされるかというと、それこそブランド=銘柄なんですね。

酒の他にも煙草はピースライト、車はトヨタ、ボールペンはジェットストリーム、手帳はモレスキン、ノートはツバメノートと、買う物はだいたい決まっていて、反復して買っています。

これがブランド・ロイヤリティー=銘柄 忠誠です。

ブランド・ロイヤリティーはどうやって形成されるかといえば、そのブランドが保証している品質・内容を良しとして、反復して消費し続けることが最高のメリットをもたらすと認め、実行することによるわけです。

そのブランドを狭義で は視覚的に、広義では内容全般において構築するのがデザインなわけです。

パッケージだけでなく、ブランドのコンセプトの 中にあるモノを商品の幅と深さ両方向に広げるのがブランド戦略です。

ブランド戦略というのは、そのコンセプトを中心にブランドをデザインするという事に他なりません。

ですからもちろん、コンセプトが無いとデザインできませんし、コンセプトから外れてデザインされたものは、ブランドの中に入れるべきでは無いのです。

ブランド・マネジメントをするためには、コンセプトを如何に的確にかつ鮮明に把握できるか、が最も大事な事であると私は考えています。

例えば、イブ・サンローランというブランドを考えてみましょう。

サンローランはNHKの朝ドラでも紹介されましたが、トラペーズ・ラインやサック・ドレスを考案した、天才ファッションデザイナーです。

オートクチュールでもプレタポルテでもその異才ぶりを発揮していました。

ところがです。

イブ・サンローランというブランドは、タオルからトイレのスリッパ、煙草まで生活のありとあらゆる所の商品にまで着けられるようになりました。

私の年代だと、サンローラン=ダサイ、時代遅れ、という感じです。

これは一番卑近なブランド・マネジメントの失敗例です。

タオルやトイレのスリッパにイブ・サンローランの名をつける意味があったのでしょうか?

イブ・サンローランの個性がひかる商品だったでしょうか?

私達の業界ではどうなのでしょうか?

一部のブランド=銘柄を挙げるだけでも、批判になりますから、ここでは避けておきます。

お読みくださったみなさんでお考えになってみてください。

ブランド、デザインが今、消費者の眼を欺く道具として使われている事を私は非常に悲しく思います。

ブランドの持つイメージを利用して、そのコンセプトから外れた品物の購買を誘う。

その商品がニセブランドでなくても、コンセプトが違い、消費者が持っている期待に背くのでは、そのブランド・デザインは間違っているのです。

たとえば、民藝品の看板をあげている店が、置いている商品のほとんどが機械製品だったりすれば、それはいわば羊頭狗肉でしょう。

民藝の看板を揚げていたら、民藝とはどういうものかを正確品把握して、それにそった品揃えをしてこそ、看板にふさわしいし、消費者の期待に沿うと言えるでしょう。

そうでなければ、その商品が良い物で適正な価格であったとしても、ダマシです。

手紬の糸を遣い、手織りで織っている事で有名な織物が、機械紡績の糸・機械織りでは、その織物がいくら優秀でも、ダマシであるのと同じ事です。

それは、ブランドに対して消費者が持っているイメージを『悪用』しているにすぎないのです。

ブランドの罪は、そのブランドに対して消費者が持つイメージ、期待によって、消費者が盲目になることです。

ですから、その分、ブランドを冠する商品はそれに対して的確に応える責任があるのです。

それができなければ、別ブランドをデザインし立ち上げるべきなのです。

わが業界では、消費者が勝手に思い込みをすることを想定して紛らわしいネーミングをしているきらいさえあります。

弊社は『もずや』を商標登録しています。

これは弊社が持つ唯一のブランドです。

我が家の屋号をブランドとして商標登録した理由。
それはただひとつ。

私が良しとする商品であり、内容・品質は私が保証する。

昔の呉服屋さんだったら、たとう紙がそのブランドだったでしょう。

つまり、ブランド・デザイナーがそのブランドについて全責任をとるということで無ければ、そのブランドは何の価値もないのです。

みなさんの周りのブランドをじっくり見てみてください。

そのブランドのコンセプトはどこにあるのか。

そして、その内容と品質について、ブランド・デザイナーは自信と責任を持っているのかどうか。

ブランドが乱立する今だからこそ、消費者のみなさんは、じっくりと商品を観察し、できれば、マーケティング技法を学ばれると良いかと思います。

『『せっかくだから』』2014/5/13

前々から聞いていた話が、最近、ちょっと気になっています。

日本民藝協団の機関誌『日本の民藝』には

『民藝ツアーなどで、窯場に行って、せっかく来たのだからと、駄作を買い求める人が多い様に見受けられるが、それは、作り手の為にならない。くだらない物は買わないで欲しい』

と何年か前に書かれていました。

また、宗匠のこのあいだのお話でも

『有名だからと言って、くだらない道具は買わないでください』

とおっしゃっておられました。

この言葉が意味するところは何なのでしょうか。

文化的にも、マーケティング的にも、非常に興味深い話なのです。

まず、なぜ、買ってしまうのでしょうか。

例えば民藝ツアーに九州に行くとしましょう。

福岡から、佐賀、長崎と廻る。

小石原やら、唐津、波佐見、伊万里、いろんな焼き物があります。

来ている人はみんな焼き物好きでしょうね。

民藝の会に参加しているのですから、それなりの観る目はあるハズです。

窯場窯場で、いろんな特色ある焼き物があり、作り手の話も聞く。

ところが、民藝協団の幹部の人から見たら、駄作の山、なんて事もあるんでしょうね。

バスに乗り込んでくる人達は、手に手に、焼き物が入った袋をもっている。

『あんなもの、買うなよ!なんの為の民藝運動なんだ』

と想う事もあるでしょう。

民藝運動が何を目指しているかについては、いまさら私が書くこともないだろうと想いますが、簡単に言えば『生活の中に美をとりいれる』という事です。

そして『用の美』普段使いのなにとはいわない様な雑器の中にこそ、美は宿るのだ、という美意識のいわば革命だったんですね。

ということは、その作品に『美』がやどっていなければ、それは民藝品でもなんでもない訳です。

それも『健康な美』でなければならない。

そこから、外れているから『買うな』という言葉がでるんでしょうね。

また、『有名だからと言って、下らない道具は買うな』という宗匠のお言葉はどうでしょう。

茶道具屋がどんな商売をしているのか、私にはわかりませんが、たぶん、千家十職だの、家元のなんとかだの、どこどこのなんとかさんの作品だの、とか言うんでしょうね。

その中に、宗匠から見られたら、『しょーむない』物もあるんでしょうね。

つまりは、

その器物自体ではなくて、そこにへばりついてる情報や環境が購買決定のキーになっている、という事でしょうか。

お茶道具の事はよくわかりませんが、お茶会を開くときは、かならず一つは新しい道具を披露せねばならないと聞いた事があります。

これも、『茶道具を買う』大きな動機なんでしょうね。

共通点を探っていくと、

『せっかくだから』

という所で交わるのかもしれません。

せっかく来たのだから、記念に買おう。

せっかく買うのだったら、名前のあるものを、権威ある人のシルシのついたものを。

そこでは、作品の善し悪しは二の次。

私も良く言う『ま、いっか』なんです。

産地に行って、また作り手を前にして、『なんじゃこれ、しょーむな』と言い、買わないで帰るというのは勇気が要ります。

有名作家の作品や、権威ある人の保証するものを、『えー、ウソやろ』とかは言えないものです。

でも、現実には、そんなのが山ほどあります。

実はそれを見抜くのがプロの眼だとも言えます。

私は陶器の場合、たいてい買って帰ります。

なぜかというと、そこまで観る眼がないからです。

良いかな、わりと好きかも、くらいで、自分が日常に使えそうな物を買います。

それで、眼を少しずつ肥やしていく。

使っていると、あ、しょーむないもん買うてしもた、と解るときも来るし、これ、案外エエわ!というのもある。

使わないでコレクションだけすると、モノを観る眼は育たない、民藝に関しては特にそれが言えるだろうと想います。

惜しげ無く使えるモノを買い、使って善し悪しを実感する。

たぶん、茶道具でも本来同じなのではないかと想うのです。

その眼、というか、自分の中の尺度が定まっていないと、間違った買い物をしてしまうのでしょう。

初めから百発百中の買い物、モノ選びなどできるはずはありません。

『買わないでください』と言われたら、何も買えなくなるかも知れません。

しかし、今は間違っていても良い、未熟でも良い、自分を信じて、自分の生活や価値観に合うと思うモノを買えば良いのだろうと想います。

他人に判断の尺度をゆだねていれば、自分の価値尺度は育まれないし、定まりません。

『なんとなく』止まりです。

もちろん、それでも、失敗します。

それも、自分の未熟ゆえ、と想えれば、次に活かすことが出来ます。

これは、消費者のみなさんでも、ご商売の上で仕入れをなさる場合でも同じ事です。

他人がどう想うおうが、関係ないのです。

自分のお気に入りのモノに囲まれて、お気に入りのモノと共に、楽しく美しく暮らす。

これが民藝の精神だと想います。

今のように、モノと情報が氾濫すると、ひとつのモノをジックリ見るというのが難しくなってきています。

購入するかどうか決めるとき、きちんとモノを観ていますか?

観ているようで、他の情報や価格が頭を駆け巡っていませんか?

作り手がどんな人だとか、その人が人間的に素敵な人だとか、経歴がどうとか、誰がその人の作品のファンだとか、その作品の価値には全く関係がありません。

作品の価値はだれが決めるのか?

それは、購入してお使いになる方自身なんです。

ですから、作り手の意図とか、そんなのも全然関係ない。

自分にとって良いか悪いか、その一点です。

『せっかくだから』買おう、から、『せっかくだから』使いたおしてやろう、が良いのではないでしょうか。

何度も繰り返し使って愛用すれば、結論は自ずから、見えてくるはずです。

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『コピー商品について考える』2014/5/2

最近、あちこちの和装関係ブログでコピー商品問題について取り上げられていましたので、ちょっと。

どこのどの商品をどこがコピーしたのか全然わかりませんが、

基本的に繊維製品にはコピーはつきものです。

肯定しているのではありませんが、現実にはそういう事です。

昔、『あかんたれ』というドラマがあって、主人公がステテコを開発したんだけども、出回る前に、別の販売力のある問屋の息子が、コピー商品を作るという、話がありました。

結局その事をコピーした側の店の主人が知って、息子をどやしつけ、元々の主人公から仕入れて売るようになり、双方とも繁盛した、という話で決着したんだと記憶しています。

それ以外のドラマでも、色つきシャツを考案して1枚100円で売り出したと想ったら、近くの店がそれをまねして、レインボーシャツという名前で、5色セット300円で売り出した、なんて話もあったように想います。

うちは元々、毛織物の貿易商ですが、大手の紡績や毛織物メーカーからサンプル帳をもらって、それに似たようなものを作って商売をするなんていうのは、普通だったみたいです。

糸を変えたり、整理を変えたりすれば、安く作れて、欲しい所がたくさんあったからです。

ですから、そんなもんといえば、そんなもんなんです。

沖縄でも、ある作家が、永年かけて探し当てたヒットデザインを、他者にコピーされて、広められてしまい、泣きの涙だったという話も耳にはさんでいます。

そもそも、南風原という産地は、首里織のコピーからスタートしたんですから、そもそもがそういう関係にあるんです。

でも、首里織の中でコピーはなかなか難しいと想います。

みんな、首里織の作家同士、だれがどんな物を作ってるか良く知っています。

私が『これこれ、こんな感じで作ってみたらどう?』と言っても、

『それ、○○さんがやってるからイヤ』

と、言下に断られてしまいます。

それに、自分の手に合わない、気に沿わない、そういう状態で作品を作っても良い物が出来ない事を、みんな良く知っているんです。

私も、そのことは良く理解しています。

コピーじゃなくても、うちの留柄を他所に流すなんて事もあります。

これはコピーどころの話じゃありません。

これは『泥棒』です。

うちが図案師に図案を描かせて、型も発注して、それを染め屋に持ち込んで染めるワケですが、

そのデザイン、つまり型を使って、他社から注文を取る。

これはコピーじゃなくて、そのものを『横流し』してるわけです。

でも、案外彼らには罪の意識がないんです。

要はね、『して良いことと、悪いことが解っていない』ということなんです。

倫理観とかいうのじゃなくて、ちょっと昔までは、鷹揚に許されていたんです。

まぁまぁ、いいじゃーないか、で済ませて来たんです。

でも、市況が厳しくなって、そうも言っておられなくなった。

だって、沖縄のモノをコピーしている産地なんて山ほどあるでしょうよ。

花織なんて、いまじゃ、どこでも造られているし。

紅型なんて、ホンモノの方がはるかに少ない。

本紅型なんて、言われちゃって、それ以外が紅型ですか?

ニセ紅型とか、コピー紅型とか?言わないですよね。

それとデザインやアイデアをコピーすることは違うって?

そんなことないですよ。

紅型のあの独特のデザインと色彩は、沖縄の人達の大切な財産であるはずです。

手結の絣だってそう。

色絣だってそう。

パクリまくられています。

でも、やっている人はパクってるとは想ってないですよね。

花織だって、浮き織と表示すれば済むはずなのに、わざわざ、花織ってする。

花倉織なんていうのも、つかわれちゃって。

花倉織は登録商標ですから、勝手に使えないんですよ。

でも、知らないでしょう?

じゃ、どないしたらええねん?って、事ですが、

現実にはどうにもなりません。

決して肯定して言うのではありません。

無くならないのです。

始めはコピーと言われても、それが本当に良いモノなら、だんだんと広まって、スタンダードになるんです。

歯止めを掛ける方法があるとすれば・・・

締め上げることです。

コピーが蔓延するのは、それを買う、あるいは望んでいる、問屋、小売店、消費者がいるからです。

私は道に外れた行為をした仕入先は、バッサリ切ります。

これは、あくまでも、私の尺度での話です。

私が、『これはアカンやろ』と想った事をしたら、取引しない。

図案も型も引き上げます。

自分が迷惑していなくても、他社がえらい目にあっていて、それがおかしな事だと想ったら、そうします。

罵詈雑言を言い放つとことはしませんが、悪人との関係を絶つことが、自分のためにもなると想うからです。

他人がされたことは、きっと、自分にもされる。

他人が泣いて、自分だけがいい目を見ることなどできないと私は思ってます。

でも・・

それが出来ない業界なら、そんな程度なんですよ。

国なら民度と言われますが、業界民度というか、会社民度、そういうのもあるんだと想います。

私が、作品の画像を公開しないのも、お分かりになるでしょう?

似た様なものは、簡単に造れるんです。

私の立場なら、精魂こめて作家がつくったものをまもってあげないといけないんです。

それは、その作品を買ってくださるお客様の為でもあります。

でもねぇ。

せっかくコピーするなら、元の物より良いモノを安価で!くらいの根性を持って欲しいですね。

それなら、プラスの工夫が加えられて、そのメーカーは勝利した、とも言えるわけです。

昔のナショナル=松下電器がそうでしたよね。

劣化コピーを重ねれば、だんだんと根性も腐ってくるんです。

当たり前です。前向きな仕事じゃないんですから。

コピーはなくせないし、なくならないと想います。

でも、同じコピーするなら、経営資源を総動員して、もっと良いモノを作るんだ!くらいの気概があってほしいと想いますね。

そもそも、みんなコピーなんですから。

西陣織だって、堺に来ていた南蛮渡来の織物を応仁の乱で逃げてきた京都の人が真似て作ったのが始まりです。

いま広まっている物、元々と想われている物がオリジナルなんて事は無いんです。

でも、元から工夫を加えて、どんどん良い物を作ってきた。

これが文化でしょう。

いつの時代も、前向きな人、後ろ向きな人、良い人、悪い人、色々います。

上への力が強くて、世の中を良くしていけるか、下への力に負けて、どんどん社会が劣化していくのか・・・

和装業界だけでなく、私達日本人の真価が問われているのかもしれませんね。
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『もずやの『歴史的妄想』(長文)』2014/4/18

たまにはちょっと得意の歴史的妄想を・・・

私はライフワークとして、自分のルーツ、つまり、萬代家がどんな家なのかを調べています。

インターネットが発達して参考文献なんかも検索しやすくなって、飛躍的に調査が進みました。

萬代あるいは万代という姓は、元々は土師氏で、今でいう堺市の百舌鳥地区に住んでいた土師氏が萬代・万代と改姓したのだそうです。

百舌鳥は昔は万代(もず)と書いて、うちの姓も元は『もず』と読んでいたそうです。

萬代と万代がいつ別れたかというと、明治になってからだと堺の萬代寺から聞いています。

土師氏はさかのぼれば野見宿禰が始祖で、埴輪や石棺を始め、古墳造営や葬祭を司っていた豪族です。

ところが、仏教が導入され、ケガレの思想が広まると共に、土師を名乗ることを止めてたんだとか。

菅原道真も土師氏で、うちの近くにある道明寺は別名土師寺と言って、道真が作ったお寺です。

私が住んでいるすぐ側に『土師の里』(はじのさと)という所があって、このあたりが土師氏の本拠地なんですね。

だから、百舌鳥古市古墳群があるわけです。

ケガレの思想が広まるにつれ、土師氏がどんな扱いをされたか、想像するにたやすいでしょう。

菅原道真という大天才の出現で一時は表舞台に返り咲いたものの、藤原氏などと違って、歴史上、語られない一族になってしまったんです。

それもそのはずで、野見宿禰は、出雲から来て埴輪を作ったそうですし、出雲大社に行けば、野見宿禰がまつられていて、その先祖は天日穂命となっています。

出雲大社の宮司さんは代々天穂日命の直系子孫だといいますから、天穂日命、野見宿禰とつながる土師一族は、バリバリの出雲族なんですね。

古事記に書いてある出雲の国譲りの真偽についてはよくわかりませんが、大和朝廷とは一線を画した立場にあったのかも知れません。

そのせいかどうか知りませんが、うちは先祖のどこをたどってもお百姓さんというのが居ません。

薬種商が主だった様ですが、薬というのは、今とは違って賤業だったんだそうです。

伝え聞く話では魚屋もしていたそうですし、堺鑑をみると萬代屋は醤油屋として姿を見せています。

海に近いところに醤油屋が多いのは、もともとはヒシオ(魚醤)を作っていて、そこから原料を変えたからなんでしょうか。

昔、親鸞の本を読んだときに、漁師が親鸞に、

『私は毎日の様に殺生をしていて、生きるのがつらい。これで浄土に行けるでしょうか?』

と問う場面があったのですが、非常に驚いた記憶があります。

それだけ、ケガレの思想というのは広く広まっていて、ケガレの部分で生きる人は苦しんでいたんだな、と強烈に感じたんです。

その後に、うちのルーツが土師氏で、土師氏がどういう一族か、ということを知ったんですが、

そう考えると、堺という所がどういう所だったのか、堺の人達の想いはどうだったのか、なんとなく解る様な気がしたのです。

堺というのは室町時代、織豊時代に、『東洋のベニス』と言われた大商業都市・大文化都市でしたが、それが堺の起源ではありません。

水軍によって瀬戸内海の通航が安全性を欠き、兵庫の港が使えなくなってからが堺の貿易港としての隆盛は始まります。

その前はどうだったかというと、都(天皇)や住吉大社に魚(鯛)や塩を納める漁港だったんです。

南北朝時代に南朝に荷担したことをとがめられて、堺は足利尊氏に商業を禁止されたことがあります。

ところが、正親町天皇が仲裁してくださり、堺の商業は元に戻りました。

それだけ、堺の力が強かったのは、経済力だけでなく、祭祀に関係していたからだと想います。

そういう役割を負いながら、国の体制の中では、武士や農民の下とされた。

常に『自分達は浄土に行けるのだろうか』と苦しんでいた。

堺には他所からたくさんの人が移り住んできています。

武野紹鴎もそうですし、今井宗久も、奈良の今井町から来た人だろうと私は思っています。

千宗易も先祖は他所から来た人だと言われています。

ルイス・フロイスは『堺では皆が自由で、分けへだてなく、黄金に輝いている』と書いて居ますが、つまり、堺は『別天地』だったわけでしょう。

なぜ、他所から来た彼らが堺で名をなす商人・文化人となり得たかは、土師氏の改姓と意味を同じくするように私は思います。

堺で会合衆による共和制がしかれていたのも、自由・平等の想いがあってこそではないでしょうか。

堺御坊を建て、また、石山本願寺の建立にも寄与した堺衆の願いは、『自分たちだって、浄土に行ける』というものだった様に想うのです。

石山本願寺も堺も、信長とは徹底抗戦し、その後、謎の和睦をし、双方とも最後は火をかけて、あるいはかけられています。

本能寺の変で失われたのは信長の命だけではありません。

多くの唐物の大名物も失われました。

秀吉が開いた北野大茶会。

予定を大幅に短縮して、終わっています。

宗易と秀吉の間には、その後大きな溝が出来たと言われています。

なぜでしょうか。

宗易は、町人の茶が盛んになることを望んでいたと言います。

町人の別天地である堺の人が望んでいたこと。

それは、下級武士を天下人に押し上げて、分け隔てのない自由な社会をつくることだったのではないでしょうか。

しかし、信長も秀吉も裏切った。

信長は安土城を造り、自ら神になろうとし、秀吉は藤原姓を名乗り、貴族になろうとした。

家康も一向宗や堺と戦いましたが、彼は江戸をつくった。

江戸は、町人の町です。

堺からも多くの人が移り住んでいます。

新しい町、大坂・江戸は、町人のまさに別天地だったんでしょう。

私は、町人の分際として、私達の祖先の歴史を受け入れると共に、誇りを持って様々な事に挑んで行きたいと想うのです。

町人・商人といえども、利の為に義を欠いてはいけない。

否、町人・商人だからこそ、武士以上に大義を重んじなければならないと想うのです。

そうでなければ、先人の永年の苦労がむくわれないのでは無いでしょうか。

今は身分制度の無い時代です。

宗教的価値観に基づく差別もほぼなくなりつつあります。

しかし、先人の気持ちを忘れてはいけないし、戦いはまだ続いていると想います。

文化人・言論人があからさまに商人を悪く言うのを私は何度もこの耳で聞いています。

そして、また、商人が悪く言われても仕方のないと想う様な事が今また、続いています。

私は悲しい。

先人がどんな想いで、戦ってきたか。

町人や商人の歴史を学ぶ事にも、大きな意義があるように想います。

歴史は、為政者だけのものではありません。

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