『商道 風姿花伝』第14話

【法師】

私も能を見始めた頃に想ったのですが、びっくりするくらいお坊さんが出てきます。

たいていの場合、動きがゆったりと重々しく、威厳に溢れています。

たいていはワキ方と呼ばれる能楽師が担当するのですが、始めにちょっと演じたらすぐにワキ柱という能舞台の向かって右側の柱の前に座ってじっとしています。

なんか暇そうに、眠たそうにしているときもあって、時々表情を見て、面白がったりしています(^_^;)

それはさておき、世阿弥はこの『法師』を演ずるのに、『威儀を本として気高き所を学ぶべし』と書いています。

つまり、作法通りの重々しい所作を基本として、気品ある様子をまねよ、ということです。

商いにおいて、一番これが大切なのが、初めと終わりです。

つまり、お客様にお会いしたとき、そして、最後に挨拶してお見送りする、あるいはおいとまする時です。

そのお客様とどんなに親しくても、ここはビシッと決めなければいけません。

初めと終わりは恭しく、品格と礼儀をもって御挨拶するのです。

真ん中の商談は、ある程度親しさをもってお話しするのが良いのですが、ここが肝心です。

『どんなに親しくても』です。

あるデパートでお客様にアンケートしたところ、ほとんどのお客様が『馴れ馴れしい接客は不快だ』と答えられたそうです。

こちら、つまり商人がいくらお客様と親しいと想っていても、お客様にとっては『客と商人』なのです。

これを忘れていけません。

しかし、あんまりしゃっちょこばった話も面白みに欠ける物です。

ですから、始めと終わりはどんな事があってもビシッと決めるのです。

笑顔と礼儀、オーバーすぎるくらいでちょうど良いのです。

そして、これは大阪弁かも知れませんが、お客様を絶対にいじってはいけません。

自分がアホになるのはいいですが、お客様を話のネタにしてはいけません。

どうしてもどうやっても、自分の得意とするお客様のタイプというのがあります。

ノーブルなお客様とざっくばらんなお客様、両方を得意とするのは難しいと想います。

ですが、初めにきちんとされて、不快に思う方は皆無だと想います。

それから、だんだんとお話しを伺いながら、こちらが合わせていけばいいのです。

最重要ポイントは『お客様にご満足いただく』という事以外ありません。

あと、大切なのは電話です。

お得意先、お客様からかかってきたとします。あるいはこちらからかけた時。

声を2オクターブくらい上げるのです。

馬鹿馬鹿しいと想うかも知れませんが、電話というのは、普通に話すと顔が見えない事と独特の心理状態のせいで、不機嫌に聞こえるそうです。

ですから、機嫌良く、『はーぃ!もずやでございまーす!!』と笑顔もつけて第一声。

そして、ハイテンションで、受け答えする。

『何がそんなにうれしいねん』と想われるくらい、実際にお会いしているときより3倍くらい愛想良くお話ししましょう。

それが出来ないときは、できるだけ電話に出ないことです。

今は、携帯電話に電話すれば誰から掛かってきたか解っているとお客様、お得意様も知っていますから、表示された名前を見た瞬間、覚悟をして、演じきる事です。

これは、大変大事なことなのです。

逆にいえば、電話でもめ事が解決しにくいのは、電話での会話が難しいかを示しています。

得に男性は注意が必要です。

野太い声で『はい。○○でございます』と貫禄たっぷりに言っても、全然好感は持たれません。

私もついつい調子に乗ってしまうことがあるのですが、常に『大切なお客様である』という想いを表現しなければいけません。

それは卑屈であることと同じではありません。

卑屈になってはいけないのです。

プロとしての堂々たる姿勢を保ちながら、自信たっぷりに、余裕をもって、それでいながら、可愛らしく、あかるく、優しく、丁寧に対応できるかどうかが大切なんですね。

簡単な様でこれが一番難しいのですが、実行するためには、常に平常心を保つ事です。

平常心の話はまた別の機会に。

『商道 風姿花伝』第13話

『商道 風姿花伝』第13話

【物狂(ものぐるい)】

週に1回のペースでは一年かかってしまうので、ちょっとペースを上げますね。

まだ、他に書きたいシリーズもありますし、週2回くらいでアップしたいと想います。

能では、この【物狂】というのが出てくるのがあります。

物狂というのは、文字通り気が狂うことと、何かに取り憑かれた状態を言います。

この本の解説にも書いてある『卒都婆小町』は世阿弥の作です。

99歳になった小野小町に深草四位少将が憑依して、突然、変な事を言い出すのです。

この話を書くのに、今でDVDで『卒都婆小町』を見返しました。

物狂が演出上、どんな役割をしているかを確認するためです。

私はまだ全く未熟ですので、感じ取れることに限界がありますが、この『物狂』によって、面白みを増すというか、話に厚みが増すように想います。また、現実の能としては、ここがシテ(主役)の見せ場なのでしょう。

つらつらと小野小町のやつれた姿を書くだけではおもしろさは半分も出ないかも知れませんし、演技としても一人二役的なおもしろさも出てくるでしょう。

商いにおいて、厚みを加える、面白みを加えるためには、どうしたらいいでしょうか。

一度限りの商売ならガンガン押しの直線的なトークもアリかもしれませんが、私のようなカジュアルやお茶人相手のアイテムですと、いかに継続してご愛顧頂くかが、非常に大切になります。

そのためには、お客様に楽しい話が出来なければなりませんし、話自体も面白く無いといけません。

つまり、自らがエンターティナーであることが必要です。

物狂になぞらえて考えて見れば、商談から、一転、話題を変えることも大切な技です。

また、時には、商売抜きにして世間話や趣味の話だけで終わる事も自分で組み込まねばなりません。

売らないつもりが売れちゃった、なんて事もたまにあります。

ほとんどのお客様は、私の事も知らないし、ブログも読んでいらっしゃらないわけですから、はじめは『そのへんの呉服屋のオッサン』です。

私の場合、通常は、お客様との架け橋には外商さんがなってくれるわけですが、店頭ではそうは行きません。

まず、自分から声を掛けるところから始まるのです。

そこから商品の説明に入る。

そして、だんだん煮詰まってくる。お客様は購入に対して前向きに考えている様子。

何度も何度もポイントを繰り返しお話しする方法もありますが、これでは、ファンになって頂くのは難しいかも知れません。

ポイントは、どこでどう話題を切り替えるか、です。

着用法や用途など、新しい提案を加えるのもいいですが、全く今、説明している品物から離れた話をする場合もあります。

そのためには、お客様に出来る限り話をしてもらって、説明しながらもその情報を分析していなければなりません。

茶人なのか、舞踊をされているのか、はたまた、布が好きな人なのか、知らぬフリをして心に持っておくのです。

そして、さりげなく、そのポイントに近い話を持ち出すのです。

例えば『こないだ、大阪能楽会館に能を見に行った時、こんなコーディネートの方がいらっしゃいました』とかですね。

もちろん、茶会でも良いわけです。

うちの様なアイテムなら、沖縄のいろんな事を知っていた方が、絶対に有利ですね。

作家さんの実像なんかもお客様は知りたかったりします。

それを如何に自然な流れの中で、持ち出すかが大事です。

唐突だとそれこそ、物狂いになってしまいます。

これは、その場で成約に至るかどうか、の話ではありません。

もちろん、そのための効果もありますが、『楽しい買い物シーン』を提供するために必要な事ですし、それが積み重なって、自分のファン作りができると私は思っています。

私の場合、1年に2回くらいしかお客様とお会いすることが出来ません。

その間には、他の商材の売り込みもあるでしょうし、他所の呉服店からも誘いがあるでしょう。

それを半年間思いとどまってもらうためにはどうしたらいいか、と言うことになるわけです。

沖縄物なんて、いまどき、どこの呉服屋でも扱えるし、値段もうちより下をくぐってくるかもしれません。

それでも、『もずやから買いたい』と想ってもらう為にはどうしたらいいか、です。

何の義理もコネもないお客様に、そう想ってもらうのは至難の業です。

呉服屋さんは、着付けしたり、しみ抜きしたり、常にお客様をコンタクトを取れます。

それに勝つには、作品の魅力に加えて、『すごく楽しい』場の提供が必要な訳です。

でも、過剰なサービスは価格を押し上げてしまう事は前述しましたね。

コストを掛けないためには、『まじめおもしろい』というか、剛柔、強弱をとりまぜた、話法を会得しなければならないのです。

デタラメを言わないで、面白い話をするには、やはり努力と勉強が必要です。

アホな事ばっかり言っていたのでは、信頼されにくい。

硬いことばっかりでも、面白く無い。

それは、作り手さんに対しても同じですね。

相手が女性であるかぎり、楽しんでもらうという姿勢が絶対に必要だと私は思っています。

必要なのは知識と『間』です。

間は本を読んでも身につきません。

どうしたら身につくか。

たくさん女性とお話しして、『笑わせる』事だと想います。

こちらが二人なら、ボケとツッコミで行けますが、一人なら、両方演じなければなりません。

お客様も煮詰まってしまいます。煮詰まってしまえば、考える事をおやめになってしまう。

煮詰まりかけた時に、タイミング良く、他の話を出すんです。

もし、それで商談が不成立になっても構わない。

前に反物をしまってしまう話をしましたが、これも目的は同じです。

お客様に冷静な頭と気持ちで、きちんと考えて納得して頂く為です。

それでも、『よく考えたら・・・』なんて事もあります。

その時は、自分の説明が甘かった、お客様の知りたいことを察知しきれなかった、と反省すべきです。

商売人なら誰だって売りたい、買って頂きたい。

私やメーカーのみなさんが販売の現場に出るときは、まさに『一期一会』一発勝負です。

限られた時間と空間の中で、いかに満足していただくか、なんですね。

『商道 風姿花伝』第12話

【直面】

これは『ひためん』と読みます。

お能というと、面(おもて)を着けているというイメージがあると思いますが、面を着けないお能もあるのです。

ある能楽師の方が、丸顔でぽっちゃりされていて、面から顔がはみ出すので『はみだし王子と呼ばれています』などと、笑いをとられていたことがありましたが、私のお師匠様によれば、お能というのはあくまで幻想の世界なのではみだした方が良いのだということです。

この世の出来事ではない事を演ずるために面を着けるということだとしたら、直面はその反対ということになるのでしょうか。

そういう意味では私の商いはいつも直面です。

面を着けるのが幻想の世界の表現のためだとすれば、私の商いが目指すところはそこには無いからです。

面を着けることを商いになぞらえれば、上品に振る舞うとか、仰々しい事を言うとか、派手なアトラクションをするという事になるのでしょうか。

お客様を夢見心地にする、お姫様気分にする、というのがその目的でしょうか。

私は、理想主義者でありますが、リアリストでもあるので、お客様の現実、そして作り手の現実を、正面からとらえて、それにお応えしていこうと考えます。

作り手は良いモノを造って豊かになりたい。

お客様は、ご用途たお好みに合うキモノ、良いモノを安く手に入れたい。

沖縄のキモノというのはそもそも、上品ぶって売る品物ではありませんが、それ以外の素晴らしい魅力があります。

私自身も、お上品な人間でもありませんし、上品ぶるつもりもありません。

ブログやフェイスブック、ツィッターなどで発言するのも、もうちょっと柔らかく言えば良いものを、心のままに書いてしまうので、たぶん誤解?されている事も多いと思います。

でも、そんなことも含めて、すべてがもずやという男なんですね。

商道風姿花伝とか言って、これは教本のつもりでもありませんし、単なるエッセイというか、ぼやきです。

京都の上品なキモノをやっていたら、私ももう少し上品になれたかもしれませんが・・・(^^;)

なれそうも無いので、諦めて、力強く伸びやかな沖縄の染織を愛し、その美意識に沿うモノを造り、集め、自身もそれを体現しようという魂胆です。

そもそも、茶道だって、上品ぶってするモノなのかどうか、私は疑問に思っています。

私が加えて頂いている養心会はほんとうにざっくばらんな楽しい会ですし、みなさん笑いながら稽古をしています。

千利休が上品だったかといえば、当時の堺の人の気性からして、とても生意気な商人だったんだろうと思います。

こんな逸話があります。

ある大名が堺に鉄砲を買いに来た。

『鉄砲をうってくれ』

『鉄砲はうつもんですわ』

『で、ねはいかに』

『ポンていいますねん』

いかに堺商人が大名を馬鹿にして、生意気だったかがよく解る話でしょう?

そのせいで、あとでえらい目に遭わされるわけですが、今でもこの気位の高さは受け継がれています。

和物が全部京風でお上品なものが良いのか、といえば、私はそうでないと思うのですよ。

日本人のアイデンティティというか美意識には、本来多様性があって、京風のはんなり上品としたものというのは、その大きな部分であるとは思いますが、すべてではない。

お江戸の粋というのもそうですが、大阪には大阪の、沖縄には沖縄の、その風土が生んだ美意識とか価値観があるわけです。

美は時代も映しています。

奈良時代から平安時代へ、仏像の姿も変化しているのもそのせいです。

人間、心の内はそれぞれで、人生の場面によっても違います。

静かな気分になりたいとき、明るい気分になりたいとき、その助けの一つが『衣』というものじゃないでしょうか。

自己表現のためのアイテムとしても『衣』は役立ちます。

元気なキモノが着たい時、シュンとした商いでは元気はでません。

だから、私はいつも元気いっぱい。

大阪の元気をそのまま表して、お客様の前に出ます。

でもね・・・美しいモノに共通したもの、っていうものがあるんですよ。

それがつかめれば、良いモノとそうでないものは解るようになるんです。

それは、なんというか言葉では難しいのですが・・・『気』というのですかね・・・

私が品物を仕入れるとき、そこを大切にしています。

一通り説明は聞きますが、それより自分の感性を信じます。

ですから、そこそこで仕入れたのは、やっぱり力が入らないんですね。

良いのは、見たときにグンと心に入ってくるんです。

その感動を、お客様にそのまま伝えるということなんですね。

ですから、私はいつも直面ですかね。

まぁ、ここで世阿弥が書いているように直面でも、表情はできるだけ押さえ、高ぶらないようにするのですがね。

『商道 風姿花伝』第11話

【老人】

今日は、昨年東日本の震災があった日ということで、大阪能楽会館で義捐能があり、私も行ってきました。

そもそも、謡曲・仕舞を習い始めたきっかけが、震災直後の公演の最後で被災者鎮魂の為の『砧の一節』を見た事でした。

『能というのは、ただ単なる芸能に終わらない、大きな意味をもっているんやな』と感じ、私もその中に参加してみたいと思ったのでした。

ちょうど、芸大もいざこざがあって退学していたころでしたし、茶道の稽古も始めていましたので、思い切ってお稽古を始めました。

師匠の藤井丈雄先生との出会いにも恵まれました。

まだ、半年ですがいろんな方とのご縁もたくさん頂いて、とても楽しくお稽古させて頂いています。

さて、本題に入りましょう。

ここでは老人を演じるときの心得について書かれています。

その極意を世阿弥は『老木に花の咲かんがごとし』と書いています。

美しく上品に老人の物まねをせよ、というのです。

非常に難しいですね。世阿弥も難しいと言っています。

私は商売の時に『ぎんぎらぎんにさりげなく』という私と同い年のかつてのアイドルの歌をたとえに使います。

物を売るときには熱意が無ければなりません。

しかし、前につんのめりすぎてもダメです。

特に高額の着物を売る場合、販売員の上品さも要求されます。

私は、上品ぶるのが苦手ですので、まさに『地』で行きます。

地で行くから、知識でカバーしようとしているのだ、と言ってもいいです。

上品に感じてもらう為にはどうしたらいいか?

一つは、あまりしゃべらないことです。

二つは、動作をゆっくりとすることです。

三つは、笑顔を絶やさないことです。

四つは、身だしなみを整えることです。

五つは、教養を身につけることです。

簡単でしょう?

でも、やるのは難しいんです。

もう20年選手の私でも、完全に感情をコントロール出来ません。

機嫌の悪いとき、体調の悪いとき、結果がでないとき、どうしても焦りますし、短気になります。

1度のミスがお客様との長く続くはずのご縁を断ち切ってしまうこともあります。

だから、商売は怖いのです。

お客様に、良い感じの人だな+信頼できるな、と思ってもらわねばならないのです。

調子が良いときは、自然にそれが出来るのですが、調子が悪い、結果が欲しいときには逆にうまくいかないのです。

調子が悪いときは、『お客様に会いたくない』という感情まで生まれてきます。

会わなければ売れるわけがないのに、そう思ってしまうのです。

つまり、前向きな気持ちが無くなっているのですね。

それでいて、つんのめってはいけない。

お客様は敏感にこちらの心理を察しておられるものです。

表情がこわばったりしていると、うまくいく商談もうまくいきません。

だから、何より、自分の感情を上手にコントロールして、淡々とゆったりとお話しする『型』を身体と心にしみこませなければならないのです。

ある意味では、あまり考えすぎると上手くいかないので、教養と平常心は両立しにくいものだと思います。

作品をご覧になって、一発で気に入られた場合は、スッと進むこともあります。

初対面のお客様で、お好みも解らない場合、どうしたらいいか?

まずは、じっくり見て、考えて頂く時間を、自ら工夫して作る事です。

良い時代は、怒濤の押しで、お客様を攪乱して、強引に成約に持って行くという事が通用しましたが、今はそうは行きません。

きちんと納得して買って頂かないと、店の看板も、自分の評判も汚してしまいます。

表現が非常に難しいのですが、オーバースローで速球を投げ込むのではなくて、ソフトボールのスローピッチの様な感じで、フワッと投げるのです。

販売員による強い営業をプッシュ戦略、CMや販促による営業をプル戦略と言いますが、私たちの場合は、フワッと引く。

この変は、ほんとうに呼吸と度胸なんです。

場合によっては、お客様が気に入っている作品をわざと巻いてしまうこともあります。

荒技の時は、積んで風呂敷をくくることも。

それで、再度お出しして、上手くいかなければチャンチャンです。

なにをしているのかというと、お客様に考えて頂くようにしているのです。

今は熱心な営業だからと言って、買ってくださる時代ではありませんし、私くらいの年齢になると押しつけがましくなって逆効果です。

これをやる為には、自分が作品に対して絶対の自信をもっていなければなりません。

やんわり、世間話や作品の説明をしながらお見せしていても、心の中は『ドヤ!』と思えなければダメです。

だから、作品の絶対的魅力と適正な価格設定が必要なんです。

本当によい作品には説明なんて要りません。

でも、お客様がいろんな事を考え始められた時、的確な回答をせねばなりません。

だから、考える時間を持って頂いて、不安を取り除き、納得へとお誘いするのです。

『そんな甘いこと言ってたら売れないよ!』と多くの人が言うかも知れません。

そんなことないです!と反論します。

良いモノが適正な価格なら、お客様はお求めになります。

売れないと思うのは、商品や価格設定に自信がないからです。

作品と自分に万全の自信があれば、かならずお客様は的確な答えを出される事だろうと思います。

もし、ダメなら、それがお客様の答えであり、そこから、また新たなモノを生み出せば良いのです。

それが、お客様第一主義ということでは無いでしょうか。

『商道 風姿花伝』第10話

【女】

ここでは、若い女性を演ずるときの心得について具体的に書かれています。

その中でいちばん大事なのが、『扮装』であると世阿弥は書いています。

先日、『呉服屋はいつも着物着てないとダメか?』という話を書いて、多くの反響を頂きました。

ダメな呉服屋かどうかは別にして、お客様は呉服屋には着物を着ていて欲しいと想っていらっしゃるのは確かなようです。

今回の銀座での展示会では6日間中、4日は着物で出ました。

あと2日は、雨がひどく、やむを得ずスーツで出たのですが、あきらかにお客様はがっかりされていました。

扮装という意味では、呉服屋にとって、着物を着る以上の物は無い様です。

それも、経済的なことが許す限り、内容の良い筋の通った物を着る。

着飾るのはいけません。

あくまで、お客様の参考になる装い、お客様に何かのメッセージを込めた姿をお見せするという事だろうと想います。

あと、いろんな意味で、ライフスタイルを提案することも大事でしょうね。

着物の着方やコーディネートもそうですが、着て行く場所、シチュエーションもです。

自分で試してみるのも大切な事ですね。

草履やカバンなども、実際に着物に合うかどうか試してみる。

帯も他の素材から転用したものを自分で締めてみる。

女性用を転用したりすのもそうですね。

私は、うちの反物の余り切れで造った半幅帯を締めてみたりしています。

柄が紅型なのですが、案外面白かったりします。

消費者にダメです!と否定する前に、自分で試してみる姿勢は必要な事だと想います。

お客様を笑いものにする前に、自分が笑われれば良いのです。

常識的な感覚を持って、これなら違和感がない、と想えばオシャレの部分なら少しずつ提案していってもいいと想います。

もちろん、常識を持つ、基本をわきまえる、と言うことが大前提ですが。

いまは、基本を忘れた呉服屋が多く見受けられるので、基本ばかりを訴えなければならない状況にあるのですが、私自身ももっと遊んでみたいのです。

琉球びんがたはそもそもは男性も着ていたものですし、絣はもちろんそうです。

絣は近々着てみるつもりですが、琉球びんがたは、さすがに勇気がいりますね。

でも、角帯にしたら、コジャレたものになるんじゃないか?とか、想ったりします。

私達もお客様と一緒に着物あそびをさせていただけば、もっともっと楽しくなると想いますね。  

『商道 風姿花伝』第9話

【風姿花伝第二 物学(ものまね)条々】

物まねとは、能の演技の事で、ある人物に扮してその役を演じることを言う、と書いてあります。

その演技をどれだけ写実的に表現するか、と言うことについて書かれています。

天皇やお公家さんのマネはなかなか難しい。賤しい民の物まねは余りに写実的にすると興ざめだ、などと書いてあります。

商売の上で、写実=どのくらいそのままあからさまに真実を伝えるか、を考えて見ましょう。

これは、非常に難しい問題です。

商売人は、商品の欠点をできるだけ隠したい。これは人情であり、真実です。

良い所だけをアピールして、成果に結びつけたいとは誰でもがそう思うのです。

天然の藍が色落ちするとか、芭蕉布がシワになるとか、出来ることなら言いたくないわけです。

正直に言った商売人が売れなくて、言わなかった、あるいはウソをついた商売人が売れるということになってしまいます。

これは情報の非対称性から来る物で、悪貨が良貨を駆逐するということになってしまうわけですね。

多くの商人は『触れない』事で、なんとかごまかすというか、逃れるのだろうと想います。

でも、最終的には、必ず結果として、その隠したことは明るみに出るわけです。

そして、『そんなの常識ですよ。言うまでも無いことです』と言うのが常套手段です。

品物に対する情報をどの程度、詳しく、そのままに伝えるか、それはまさしく『究極の選択』なんですね。

白い帯が汚れるか?汚れるならガード加工したら汚れにくくなります。しかし、その分、風合いは損なわれます。

芭蕉布はシワになる。では、シワにならない芭蕉布があるのかといえば、無い。

苧麻で織られた上布類でもシワになります。

天然繊維、天然染料、手仕事、それぞれ、良い点の裏腹に欠点もあるのです。

それは化学や機械を使った物でも同じです。

どんなものでも完璧な物はなくて、良否は裏腹なのです。

では、短所から眼をそらして、無視して、お客様に伝えないのが正しい態度かと言えば、それは違いますよね。

ウソは論外だとしても、どれだけの情報をお伝えするか、というのが非常に難しいのです。

お客様とお話する時間というのは限られています。

品質や性能という部分についてお話しする時間といえば、さらにもっと少なくなります。

基本的にはやはり、普通に着用するのに問題がある品物は扱わない、というのが基本だろうと想います。

2、3年着れば、膝やおしりが出るような物や、スリップするもの、退色するものはやらないに越したことはないと私は思います。

色落ちやシワに関しては、それを超越した便益を提供できる物は、きちんと説明して解って頂けるお客様だけにお勧めするというのが正しい態度ではないでしょうか。

また、この品質に関しては若干の個体差があります。

全品検査はできないにしても、品物がダメになるのを覚悟で抜き取り検査はしなくてはならないだろうと想います。

始めて扱う品物に関しては、自分や従業員に着せて、テストしてみるべきだと想います。

太鼓ー腹、つまり、お腹とお太鼓の部分だけに文様のある帯は、お客様のサイズによって合う合わないがあります。

ですから、基本的に私は、こういう帯を発注しませんし、買い取りしません。

うちの名古屋帯は全部六通です。そうしておけば、安心だからです。

一番難しいのは『似合うか似合わないか』です。

これは、主観的なものですし、お客様の好みや想いもあるので、いかんともしがたいのです。

お客様が気に入ってらっしゃる着物を『似合わないからやめておきなさい』とは言えないものです。

私だって、着物姿の女性を見て、『もっとこんな色を着たらこの人は映えるのにな』と想うことは多々あります。

結論から言って、そんな事は余計なお世話なんだと想います。

お客様が着たいと想う色があれば、それが似合うように小物や帯などで調整するアドバイスをするべきです。

髪型やお化粧によってもずいぶん違います。また、表情によって、周りの環境によっても、見え方は違います。

ただ、お客様が迷われているときに、どちらの作品が適しているかはきっちりとご提案できる見識はもっていなければなりません。

それは、似合う似合わないだけでなくて、ご用途や、季節、社会的地位などです。

最近の呉服屋さんは、トリッキーな提案をされる所も多い様に見受けられますが、基本的には、はやりすたれのない、上品な品物、コーディネートを提案するのが良いのだろうと想います。

セオリーというか、基本を大切にした方が、応用がきくからです。

コーディネートもしやすいし、着用範囲も広くなります。

今回の話は、本当に、非常に簡単そうに見えて難しい問題なのです。

結論としては、自分がその品物の長所・短所をしっかりと把握しておく。

そして、長所と短所が二律背反である場合には、短所を伝え、それを受け入れても長所を楽しみたいという方にお勧めする事だろうと想います。

最終的には、『覚悟を決めて、信念を持っておすすめする』という事になるのではないでしょうか。

『商道 風姿花伝』第8話

【五十有余】

世阿弥は『ねぬならではの手立あるまじ』と書いています。

しないのにこしたことはない、ということです。

でも、商人はそうは行きませんね。

年金の受給年齢もどんどん上がってきていることですし(^^;)

また、年齢を重ねても出来るのが着物の仕事の良いところでもあります。

私は今年48歳になりますが、この業界ではまだ若手で、業界はおっちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、ばっかりです。

また、年かさがはるほど、『着物に詳しい』と思ってもらえるというメリットもあります。

事実は別にして、そう思ってもらえます。

ですから、大ベテランの境地にはいったら、その期待を裏切らないような修練をして、商談最後の〆にまわるようにすれば良いと思います。

つまり『私が保証します!』という事です。

私は生意気ながら、それなりの勉強と研究を積んできているつもりですが、この47歳のオッサンでも『私が保証します!』にいまいち説得力がない。ところが、70歳くらいのおじいちゃんが言うと、『あ、ほんまなんや』と思ってもらえる。これが人間の心理というやつです。

大阪人が言うより京都人が言ったほうが信用される、というのもあります。

大阪の人はうまいこと言うて買わそうとする、という警戒心が働くのでしょうか。

そんなことはないのですけどね、私なんか口下手でっし。

そういう事ですから、年かさが行くと、嘘くさいことでも本当に聞こえます。

『おばあは嘘つかない』というのと同じですね。

ですから、軽々な発言は慎まねば、お客様に大きな損失を与えてしまう可能性もあるとも言えるわけです。

いまは、染織の技法も、着物の着方も流行も変わってきています。

価値観も美意識も違う。冠婚葬祭なんて20年で大きく様変わりしています。

それをちゃんと踏まえないと、着物に関して的確なアドバイスはできません。

昔はこうだった、は通用しないのです。

もし、70歳ちかくなって、自分が販売の第一線に立つとしたら、いま結婚式や披露宴はどんな風になっているのかを常に見なければなりませんし、茶道の場もおなじです。

それでいて、伝統を踏まえて、きちんとした正式なアドバイスをしなければいけません。

それが大ベテランに課せられた仕事だろうと思います。

それと、やっぱり若手の指導でしょうね。

私も、もうベテランの域に入ってきましたから、若手、後継者を育成せねばならないのですが、そのあたりはちょっと自信がありません。

この仕事は、伊達や酔狂の世界だからです。まともに考えたらやってられません。

それでもやりたい!と想い、その気持ちを一生貫いていかなければならないのですから、常人では難しいと思います。

でも、作り手との交流し、共に物作りをし、消費者によろこんでもらえる仕事は楽しいです。

正直、大手を向こうに回し、多勢に無勢の中で戦っていくのは大変です。

歯に衣着せず正論を吐けば、かならずその何倍もの批判を浴びます。

でも、これは私の年代しか、大阪に居る私にしか、手作りのものを扱っている私にしか、出来ない事だと思うのですね。

私が偉大なご先祖の名前を拝借しているのも、そういう中でも決して節を曲げない為なんです。

このブログを読んで、私のようにやってみたい、という人が、もし1人でも出てこられたら本望に思います。

『商道 風姿花伝』第7話

【四十四五】

この頃は、商売の世界に入って、25年〜30年たったころでしょうか。

私がまる23年目ですから、もうそろそろこの時期に入ります。

世阿弥は、『ワキのシテに譲れ』と書いています。

体力や見栄えなどいろんな事で衰えが見えてくるから、二番手を前に立てて、自分は少し後に下がることを勧めています。

着物の商売で言えば、男女で差があると想います。

男性は、信頼感が増すと共に、今まで可愛がってくれたお客様が高齢化したり、自分自身も横着になってきたりで、この風姿花伝にもかかれてあるとおり、商売の形を変化させねばならないときです。

女性の場合は、お客様からすれば20代30代の同性ですから、なかなか大きな商売は難しいかもしれません。

それが20年キャリアを積むと、それなりに貫禄もついてきて、お客様と共通の会話も出来、ようやく一人前のセールスになってくる感じです。

着物の場合、お客様のほとんどが女性ですから、売り手が男性か女性かによって大きく違うのです。

『ワキのシテ』に任せろ、と言うことですが、男性の場合は、一歩引いた方がいいと想います。

女性は、ガンガン押しても良いですが、男性は『引き』の商売を心がけるという事だと想います。

私のような50前の男がガンガン押しの商売をして、良い事になることはないと想います。

展示会に行けばよくある光景ですが、畳に座ってガンガン押しているのは、たいていマネキンのおばさんです。

マネキンさんは、その場限りだと言う事もありますが、女性ならではの語り口の柔らかさというのがギリギリのところで、救いになっているのだと想います。

もし、今の私が同じ事をしたら、大クレームになることでしょう。

男性でも、小柄で語り口の優しい人や、ちょっとナヨ系の入った人なんかは、結構いけるみたいですが、

私のような巨漢で、声の大きいオッサンが、立て続けに押しまくると、逆効果なようです。

前述のように、商売人には『かわいらしさ』が必要ですから、それを脂ぎったオッサンがいかに演じるかが大事なのです。

これは、決して卑屈になれ、という事ではありません。お客様に話しをじっくりと聞いてもらうための演技です。

立て板に水のごとく、セールストークをまくし立てるよりも、将棋や囲碁で一手一手打ち込むように、お話しを勧めていくのです。

この時期に一番具合が悪いのは、『慢心』『おごり』なんですね。

どうしても、押しつけがましくなってくるのです。

『私はもう30年ちかくやってるんだから』とか『私のセンスが信じられないの』とか、今までの自分の実績や経験を過信して、お客様にそれを押しつけようとする。

でも、そんなことはお客様には関係ないのです。

実はお客様の多くは、『センスの押し売り』を非常に嫌がっておられます。

『お客様はこんなのがお好みでしたよね』と毎回同じような着物を勧める販売員がいます。でも、これは案外、息苦しいものなのだそうです。女性なら、たまには冒険したいし、自分の好み以外の物も見てみたい。とくに経済的に余裕のある方ならそうです。

また、大きな展示会場の場合は、マネキンがたくさんある商品の中から、数点を取りだしてお客様に着装してお勧めすることが多い様ですが、この時、マネキンが取る商品は実は『そのマネキンの好みの着物』なんです。

とくに女性販売員はそうです。自分の好みをお客様に押しつけがちです。

これは、好みがお客様と同じ場合は大きな戦力となりますが、逆の場合は、どうしようもありません。

男性販売員は、お客様の好みに応じてお勧めする、ここが大きな違いだと想います。

男女、それぞれ、有利な点、不利な点があります。

私の場合は、扱っている品物が私の好みなので、私の意に沿わない品物が展示会や外販の商品の中にあることは希です。

ですから、とりあえず、パッパパッパと、お見せしていきます。

私が対応している展示会に来られた方は、ご存じでしょうが、そのお客様の年代とご用途によって、ある程度はしぼりますが、どんどんお見せしていき、一息ついたら、どんどんしまいます。

お客様の目線を追いながら、気になっていらっしゃる作品だけを残していきます。

これは、熟練しないと非常に怖いやり方です。

お客様が何も反応なさらないで、全部しまってしまったら、それでチャンチャンだからです。

でも、その時は、チャンチャンなのです。

20年以上やっていれば、お客様が関心を持っていらっしゃるかどうか感覚で感じ取らなければいけません。

それで、感じ取れないということは、気に入っていらっしゃらないということなのです。

気に入っていらっしゃらないものをお勧めできませんから、チャンチャンです。

ですから、私は『売る気がない』『商売気がない』とよく言われます。

『どれがいいかしら』と迷っているご様子なら、それを察知して、さらに詳しくお聞きして、お勧めします。

私の場合、超初心者の方をお相手しているわけではないので、お客様はある程度自分の好みやタンスの中身を把握してらっしゃると私は考えています。

好みが先行する品物と、『提言商品』と言って、一つあれば着物ライフに役に立つ、という物もありますから、これは説明が肝心です。

初心者の方にはそれにふさわしい内容の品物がありますし、進め方もあります。

中級者にも、上級者にも、それぞれの作品と進め方があります。

いずれにしても、こちらが押しつけるのではなくて、『まずはお伺いする』という姿勢が大切なのだと想います。

それを『聞き出す力』が本当の販売力なのだろうと私は思っています。

私の年代になると、どうしても『自我』が前に出てきます。

お客様を押さえつけようとするのです。

お客様より上に立とうとする。

これは、どんな理由があってもしてはいけないことです。

太閤秀吉のまわりには、彼に進言する『おとぎ衆』という人達がいたそうです。

私達、呉服商はこの『おとぎ衆』なんですね。

自分の知識や教養は、出来ることなら言葉にせず、『気』や『態度』『しぐさ』で示す。

言葉にする場合も、にじみ出るような話し方をする。

これは非常に難しく、私も修練していますが、なかなか上手く行きません。

どうしても、カッときたり、言葉が荒くなってしまったりします。

どんな事があっても、顔や態度に表してはいけない。

笑顔も演じるのです。これは安っぽい演技という意味ではなくて『自分を完全にコントロールする』という事です。

私はよくプライベートで『起こってるのか、悲しいのか、嬉しいのか、よく分からない』と言われます。

これは、感情の抑揚・起伏をなくすように、普段から修練しているのです。

大きく喜ぶ人は、大きく悲しみ、大きく怒る。

それが、真剣勝負の場に出ては負けです。

はらわたが煮えくりかえっている時でも、ニッコリと自然な笑顔が出来るようにならなければ、一人前の商売人とは言えません。

だから『役者が違う』という言葉があるのです。

泣き笑いは、普段思いっきりやればいいのです。

舞台に上がったら、それこそ、能面を着けているかのように無表情でそこから、自分の意思で表情と声色をコントロールできなければいけません。

私達は、お客様に喜んでもらって、満足してもらってなんぼです。

そのために全身全霊を傾けるのです。

『商道 風姿花伝』の極意はまさに、そこにあるのです。

『商道 風姿花伝』第

6話

『三十四五』

世阿弥はこの時期までに『天下の許され』を得ていないとダメだと書いています。

天下の許されとは、将軍の愛顧の事です。

つまり、三十代半ばまでにトップに登っていなければあとの成長はおぼつかないということです。

商いの世界では20年くらいキャリアを積んだ40歳すぎた頃でしょうか。

もうベテランの域という感じになってきます。

呉服業界というのはイメージが先行する商売で、年配の女性が着物に詳しいと想われがちですが、実際はそうでもありません。

着物を永年着ているから着物に詳しいかと言えばそうでもない。

男性が何十年背広を着ていても、背広や毛織物に無知なのと同じです。

オシャレと言われる男性で着る物にもこだわりを持っている人手も毛織物に対する知識といえば、空っぽの事が多い。

洋服屋でも毛織の事は知らない人が多い。

なぜかというと、専門知識というのは、漫然と使っていたり見ているだけでは身につかないからです。

芭蕉布の良さは、芭蕉布を着てみないと本当の良さは解らない。

私も昨年、自分で芭蕉布を着てみて、それがよく分かりました。

本題にもどりますが、芸術の世界というのは基本的に『てっぺん丸取り』です。

トップに居る人が市場の美味しい所のほとんどを取ってしまいます。

ですから、一定の領域・ジャンルでトップに立つことが大事です。

それは、たとえば、久米島紬でトップになるとか、首里織でトップに立つという意味では必ずしもありません。

そのもっと細分化された、狭い領域でトップに立てば良いのです。

久米島のグズミでNo.1になるとか、手縞を織らせたらこの人に適う物は居ないとか、それでいいわけです。

そのためには、自己の存在領域=自分がどこで勝負するかを決めなければなりません。

この40歳くらいのころまでにそれをしなければなりません。

『なんでもあり』は『なんにもなし』なんです。

また、自分の制作や商いのスタイルも決めなければならない。

公募展を中心に制作を回していくのもいいでしょうし、1軒の問屋だけに決めて取引するのも一つのスタイルです。

また、自分で個展をして売るんだ!というのもいいでしょう。

宗旨替えというのが一番いけません。

厳しい様ですが、沖縄の人はこのあたりのモラルが非常に低いように想います。

商いというのは点で捉えてはいけません。線で繋がっているのです。

いくらお金の為とは言え、それまで支えてくれた問屋に不利益なことをしたり、商売敵に安く流したりするのは、商道徳に反します。

それで一時は楽になるかも知れませんが、最後はだれも支えてくれなくなります。

そういう歴史が復帰後、何度となく繰り返されてきているのです。

例えば久米島紬ですが、無形文化財指定された後、産地出し価格は高騰しました。

その時、すでにかなりの増産をしていましたから、問屋はかなりの在庫を未だに抱えているはずです。

しかし、景気がさらに後退し、市場価格が下がりだした。

この時、産地が価格を下げたらどうなりますか?

それだけでなく、品質も下げて同じ証紙を貼る。

以前に買った業者は高い価格の在庫を抱え、最悪の場合逆ざや=仕入れ値が市場価格を上回ることになります。

こうなったら、にっちもさっちもいきません。

後出しじゃんけんが得をすることになります。

沖縄はブームになりやすい。

だからこそ、商売のスタイルというのをきっちり決めておかねばならないのです。

自分の作品のポリシー、そして商売のスタイルをきちんともって貫いていく。

それをこの時期に決めておかねばなりません。

うちの場合は、あくまでも私の審美眼と価値観に沿った『ちょいちょい着てもらえる着物』を目指しています。茶道や舞踊などお稽古ごとをしていらっしゃる方や着物好きの方を対象にしています。

ですから、基本的に自分で着られない方にはお勧めしない事にしています。着ないと言う方にも無理強いしない。

私は私の好きな着物を造って、集めてご紹介していますので、まずはうちの着物のファンになって頂く事が第一義だと考えています。

決して万人向きではないと想いますし、万人に向く事を目指していません。

しかし、一方方向に流れがちな着物の趣向の中で、うちの作品を見て楽しい、元気が出る、明るくなると想ってもらえたら良いと想います。

そこから、価格帯や着物のジャンルも決まっていきます。

振袖や留袖もやらないわけではありませんし、実際お世話させて頂いておりますが、あくまでも、軸足は私の造った集めた作品に置いています。

良く着る方の為の品物ですから、生地や染色堅牢度には気を配りますし、着具合や、仕立て映えも考えます。

ポリシーとスタイルが決まらないと、そこからの絵図が描けないのです。

フォーマル中心のお店や、廉価品、超高級品をやっているお店はまた別のポリシーとスタイルがあるはずですし、そうあるべきです。

いけないのは、『なんでもあり』です。

確かに、いま需要が縮小する中で、狭い範囲にしぼってやるのは大変ですし、ご飯が食べられないかもしれません。

あくまで軸を決めておくことです。

『わたしらしさ』『うちらしさ』を軸に範囲を広げていけば良いと想います。

それが無くて、いま流行だからと扱うのはやっている方も面白く無いし、長続きしません。

つまり『自分の世界』を造る、わたしなら『もずやワールド』を造る事です。

私の場合、造る、仕入れる、売る、それぞれに私らしいスタイルがあると想いますし、品物にも『らしさ』を大切にしています。

それに適さない品物が入ってくると、なんかイヤなのです。結果的に売れない。

なんというか『売ったるわい!』という気力が湧いてこないのです。

『まぁ、これくらいが無難か』と想って仕入れたのは、無難なんだけどなかなか売れないことが多いのです。

逆に『これ好きやけど、難しいなぁ、売れるかなぁ』と作品の前で座り込んでしまうようなのは、不思議と売れるのです。

いかに、商売において『自分』というものが大切かということです。

マーケティングというのは消費者に対応していく術である様ですが、本当は自分が売りたい物を作って売るのが基本なんだと想います。

自分が良いと思わない物は誰も良いと想わないのです。

ですから、着物を売るという仕事は、自分の美意識を、自分の価値観に乗せて消費者に届けるということなのです。

その人の作品や商売のやり方を見ると、その人の内面が解るのもそういう事があるからなのです。

その考え方の軸をこの40代前半くらいにしっかりと持っておく、という事ですね。

『商道 風姿花伝』第5話

【二十四五】

商売の世界でいえば、ほぼ十年すぎたころ、年齢的には30〜35位でしょうか。

このころが、営業マンとしては花です。

知力・体力とも充実し、いくらでも無理が利きます。

トークもこなれてきて、商品知識も顧客対応には十分なくらい備わってくる時期です。

逆にごまかしも多くなります。

また、知らないことを知らないまま放置してしまいがちな時期です。

それはすべて、『慢心』から来ることです。

10年すれば、まわりも一人前と判断するでしょうし、自分の考えで思う存分動けるでしょう。

でも、風姿花伝に書いてあるとおり、ここが大きな分かれ目です。

努力しなければ、良くて現状維持、普通はどんどん落ちていきます。

なぜかというと、若さ、ひたむきさ、という魅力がなくなるからです。

私は商売の世界に置いて、熟練や経験というのは大して必要ないと思っています。

商売には商う人の人格が投影されます。

いい加減や人はいい加減な商売しかできなし、嘘ついても平気な人は商売でも必ず嘘をつきます。

友人との金銭関係にだらしないひとは、商売でも支払いが悪い。

そんなものです。

商売というのは、商人とお客様との間だけで行われるのではありません。

仕入先ー自分ー得意ー仕入先ー自分ー得意先・・・・と品物とお金が循環しているのです。

いま、我が国がデフレで苦しんでいるのを見てもよくわかりますね。

モノの値段が下がれば、生活しやすくなると思ったら、自分の給料もさがって、さらに買えなくなるから、また物価がさがる。

これをデフレスパイラルというのですが、経済だけではなく、すべて繋がっているのです。

自分だけ安全な所に居るつもりでも結局は、巡り巡って自分の所にもまわってくるのです。

この10年目くらいからしなければいけないことは、体力・知力・徳力にさらに磨きを掛けることです。

三十代も半ばを過ぎる頃から、体力はどんどん落ちていきます。

若さもなくなる。人によったら頭も禿げてくる。

つまり、見た目の魅力がなくなるのです。

しょぼくれた人や、愚鈍な人、いやしい考えの人、すべて顔や態度に表れてきます。 

この人に売りたい、この人から買いたいを思ってもらえるように自分を磨かなければ、よい商いは続けられません。

歳をとれば、とくに男性はカサが高くなり、煙たがられるようになります。

20代の頃は気軽にいろんな注文をくれたのに、歳を取ってくると、そうはいかないとお客さんが思い始めるのです。

その、気軽さ、かわいらしさが無くなることが、もっとも恐るべき事なのです。

前にも書いたと思いますが、この頃から、笑顔の練習をするのです。

お客様と楽しい会話ができるように話題をあつめるのです。

面白く話ができるように、ロールプレイングするのです。

そして、もちろん、いろんな事に興味をもって、自らを磨くのです。

どこにでもいる、そこそこ売るだけの営業マンを目指すなら、そんな努力はいらないかも知れません。

また、そんな努力をしても売れるようにはならないかも知れません。

でも、自分の仕事に意義を感じて、お客様に信頼されるようになりたい、と思うなら、努力しなければいけません。

小手先の工夫は小手先でしかありません。

とくに着物の場合、品物と一緒に、そこに乗っかっているさまざまなモノを買ってもらうのです。

それを知らないのは、電気屋が電気製品の使い方を説明できないのと同じ事です。