『商道 風姿花伝』第4話

『商道 風姿花伝』第4話

【十七八より】

七つから稽古を始めるとありますから、この年代は10年たったころ、そして、変声期を経て、少し安定し出した頃という感じです。

世阿弥はこの時期が一生の分かれ目だと書いています。

そして、無心に稽古に励めと書いています。

商売の世界で言えば、10年に足らない位のキャリアの時期でしょうか。

この時期、商売のスタイルも変わってくるように思います。

まずは、慣れが出てくる。

会話も流ちょうになり、冗談も交えて、楽しい商談ができるようになるのがこの位の時期からです。

その代わり、若い頃と違って、お客様からの見られ方も変わってくる。

キャリアからして、それなりの専門知識が身についていると判断され、間違いが許されなくなります。

それとは逆に、慣れから来る慢心が出始めるのもこの時期です。

そして、商売の世界の『花』が褪せだして、傲慢さ、横着さが顔をだしはじめます。

頭の悪い人は、もっと早く傲慢・横着になります。

この時点で、商売人としての成長は止まります。

商売というのは『あきない』=『飽きない』というくらいで、同じ事をコツコツやるのがいいのです。

牛のよだれという言い方もしますね。

でも、だからといって、勉強しなくて良いということはないのです。

仕事に慣れて、それなりに売れるようになれば、多くの人は勉強しなくなります。

そして、自分が一人前の商売人であると錯覚してしまうのです。

本当に勉強が必要なのは、ある程度モノも解りだしたこの時期からなのです。

今は、着物に関する本もたくさんありますし、インターネットでも情報が得られます。

でも、そこに書いてあることは必ずしも本当ではありません。

着物が好きな消費者もそういう情報は常に接しているわけで、消費者の方はよく勉強されています。

でも、反対にプロが勉強していない。

プロが勉強しないから、呉服商が軽蔑される事になってしまいます。

30歳台は商人にとって一番充実した時期ですが、この時期に勉強してないと、あとになってアホ面をさらす事になります。

プロなんですから、圧倒的な知識が必要なんです。

商売において経験とカンというのは大切なモノですが、これほどいい加減なモノもありません。

時代が変わると対応できないのです。

知識が豊富であることと、商売が上手であることは違います。

でも、知識を持っていれば、売るにも買うにも大きな支えになります。

商売とは売るだけじゃないのです。

経験と知識が無ければ良い仕入れはできません。

また、仕入れが出来なければ、一人前の商売人とはとても言えないのです。

いまは、委託が中心の業界になっていますから、商売人が育たないのです。

10年ちかくなると、どんなモノがどんなストーリーで売れるのかが解ってきます。

そのストーリーを実証的に解明していくために知識が必要なんです。

『感じ』ではなく、具体的な指示をだせなければ、仕入れや物作りはできません。

商売人の最終到達点は、『ものづくりをする』という事なのだと思っています。

そうでなければ、モノを右から左に動かして利ざやを稼ぐ、本来無用な人達と言われてしまうのです。

あくまでも、商人はモノ以外の『ソフト』の部分を担当するのです。

また、前述の通り、売ることには才能が左右します。

努力だけでは、天才的販売員に勝てません。

基本的に、着物の販売において、男性は女性に比べて不利です。

それは異性であるために共通の話題が少ないからです。

そして、着装が出来ない。

それを何で埋めるかです。

品物をみて、品名や作者を当てられたって、モノが解ることにはなりません。

そんなものは書いてあります。

もちろん、必要なことですが、書いてない本当の事を知り、消費者に適切に伝える事が必要なのです。

そのためには、着物の雑誌や着物好きの芸能人や作家が書いた娯楽本ではなく、専門書を読み、現実に作っている人の生の話を聞く。

その次のステップとして、自己表現としての品揃えや、買い付け、製造指図が出来るようになるのです。

ですから、商売人というのはお客様に育てられるのです。

お客様から頂くヒントや情報の中から自らの商売のスタイルとうものが構築されていくのです。

この頃、10年が経とうとしたころには、特に謙虚さを持ち続けるという事が必要なのだと思います。

『商道 風姿花伝』第3話

『商道 風姿花伝』第3話

【十二三より】

7つからお稽古を始めて、12,3歳ですから、商売で言えば3年目くらいですかね。

そのくらいになると、そこそこ前が見えてくるかも知れません。

何事もビギナーズラックというのがあって、営業でもスタートしたときは、不思議と売れるのです。

無心でやっているからだとか、熱心だからだとか、色々理由があるとおもいますが、結果として売れます。

作り手が販売するわけですから、同じトークを年がら年中話すわけで、なんで3年も、と想うかもしれませんが、

これは着物というものが四季のある日本の着衣であることが理由です。

そして、着物にはTPOがある。地域差がある。だから3年くらい経たないと、よちよち歩きにもならないというのが本当のところだと想います。

ですから、扱っている商品がシャレ物であろうが、帯であろうが、着物全般の事、とくにTPOや紋などについて、正しい知識を完璧にもっていなければいけません。

売ればいいというものではないのです。

その商品が、お客様がご要望になる加工形態に耐えられるのかどうかも、判断できなければいけません。

たとえば、お客様の体型をみて、この反物や帯がお使い頂けるのかどうか、瞬時に判断し、ダメだと想ったら、ハッキリとそう申し上げなければなりません。

着物を売るときに大切なのは、そのあたりの基礎知識です。

それが、まぁ、一通り飲み込めてくるのが3年目くらいという感じです。

もちろん、一生懸命勉強しての話で、いつまでたっても、知らないで居る人もいます。

それで、売れてしまうこともあるから怖いのですが・・・・

売れてしまうことがあるのは、お客様の目的買いの場合です。

3年くらいやれば、訪問着と留袖を間違える人はいないですし、振袖に名古屋帯を合わせる人はいないでしょう。

この時期の心得として世阿弥は『やすき所を花にあてて、わざをば大事にすべしはたらきをも確かに、御曲をも文字にさはさはとあたり、舞も手を定めて、大事にして稽古すべし』と書いています。

この時期の能は魅力的で花もあるが、本当の花ではない。だから、基本をきっちりと稽古しなさい、と言っているのですね。

営業マンの花といえば、30歳台です。

着物のばあい、女性の販売員で30代というのは難しいでしょうが、男性なら、いちばん良いのが30代です。

私のように47歳になると、そろそろ花が衰えてきて、50代になれば営業マンはそろそろ終わりです。

それはやはり花がなくなるからです。

着物の販売と言うことに関して言えば、若いということは有利に働きません。

年かさがいくほど、着物の事をよく知っているように『みられてしまう』からです。

現実はそんなことありません。

ベテランでも着物の事、織物、染め物の事を解っていない人はうじゃうじゃいます。

また、解っていても平気でウソを言う人はもっと多いかも知れません。

私は25歳でこの仕事に就きましたので、知識では絶対に誰にも負けまいと、必死で勉強しましたし、自身が沖縄に行くようになってからは作家さんにいろんな事を教えてもらいました。

ですから、いまは沖縄染織のことなら、流通業界においては、誰よりも知っていると自負しています。

話はそれましたが、知識面での充実と、真っ直ぐなトークというのがこの時期、心得なければならない事だと想います。

手を抜かない、逆に、言い過ぎない。過不足無く、必要最小限の言葉を的確にお客様にお伝えする。

知らない事は、正直にお詫びして、誰かに聴くか、調べて返事することです。

3年くらいたつと変な慣れが出てきて、いい加減なことで商談を閉じてしまうことが出てきます。

話術も知識も不十分なのですから、まずは誠実に、そして基本に忠実に、お客様に接することです。

そして、営業の根幹は『お客様から可愛がって頂く事』だと肝に銘じることです。

営業マンの花とは『かわいらしさ』です。

対面販売の怖いところは、いくら商品を気に入っても、販売員が嫌いであれば、まずほとんど成約しない、という事です。

私も個性が強いので、私を可愛がってくださるお客様と、私が嫌いで離れたお客様がいらっしゃると想います。

それはそういうものだと想って、あきらめるしかないのですが、できるだけ、後者を減らさねばなりません。

それとともに、商品とともに自分のファンになってくださるお客様を増やさねばならない。

あまたある作家・メーカーの中で自分の商品を選んでもらうには、そこのところの努力も必要なのです。

だから、『花』が必要なのです。

販売員によって、それぞれ持ち味がちがいます。

ぼくとつさが売りの人もいれば、楽しい会話が魅力の人も居る。怒濤の押しを続ける人も居ます。

でも、3年ではそんな味はまだ出てきません。

やはり、そうですね・・・6〜7年やれば、まずまずいける線でしょうか。

最終的には営業はセンスです。才能です。天才的に売る人がいます。

これは、なぜなのか分析できません。

でも、そんな特異な才能がなくても、そこそこいけますし、ない方が良い販売員にはなれます。

知らなくても結果がでれば、努力しないからです。

知らない人から買って、迷惑するのはお客様です。

『着物は日本の文化ですから』と着物業界の人は口を揃えて言いますが、文化を説明するにふさわしい知識をもっていて初めてプロと言えるのです。

この時期は、まず、着物に関する基礎知識をきちんとおさえて、ひたすら真面目に基礎知識を習得すること。伝統文化に関する知識はそのあとでいいのです。もちろん、自分の専門外に関しても、深くなくて良いですから、広く浅く、正確な知識の修得に努められたらよいかと想います。

ここまでの事をきちんとやれば、本業の『つくる』仕事にもよい影響が出てくるだろうと想います。

『商道 風姿花伝』第2話

【七歳】

ここでは能の稽古を開始する7歳の頃の教える側の心得が書いてあります。

ずいぶん早いように感じると思いますが、私の師匠によれば3歳で初舞台というのも珍しくないそうです。

三つ子の魂百まで、という事でしょうね。

商売も同じです。昔は、実際に商売をしなくても、商売人の子なら日常的に商売の話を耳にしていました。

店と住居がひっついていた、あるいは同じだったからです。

ところが今は、会社と住居が別々になった。

ここが、世襲による強みが無くなった最大の問題点だと思います。

昔は、幼い頃から声かけや集金に子供はかり出され、商売の現場を経験したはずです。

職人でも同じだと思いますが、二十歳過ぎでは遅いのです。

商売の心得の前に学問が入ってしまうと、学問が優先されてしまいます。

理だけで動かないから、経験やカンが要るのであって、それはいかに早いうちから商売に接するかによって大きく違ってきます。

さて、本題に入りましょう。

この『七歳』に書いてあることでポイントだと思うのはここです。

『ただ、音曲・はたらき・舞などならではせさすべからず』

謡いや、はたらき、舞など以外はさせてはならない、と言っているのです。

それも基本的に好きなモノからさせよ、としています。

まず、興味あるものから、そして基礎的なモノからということでしょうね。

セールスに置き換えれば、『定番商品』といいかえて良いでしょうか。

定番商品というのは、一番売れる商品であり、売りやすい商品でもあります。

商売を学ぶ上でも一番大事なのは商売の楽しさ、喜びを実感することだと思います。

丁寧に説明して、お客様が納得して買ってくださったときの喜びは何にも代え難いものがあります。

ですから、商売人は商品とお客様に育てられるのです。

その『定番商品』を前にして、何を学ぶか。

商売の『型』を学ぶのです。

セールストークというのは、一定の論理とテンポを踏みながら進みます。

これを反復練習して、寝言でも言えるようにならなくてはいけません。

1.金屏風・・・商品の権威付け

2.差別化点のアピール・・・他の商品と何処が違うのか

3.購入後のメリットのアピール・・・この商品を持つことでどんなメリットがあるのかを伝える。

4.購入を決断してもらうための多角的なアドバイスと応答。

5.クロージング

一度、自分の作品、自分が勤めている会社の商品で最も売れ筋のものを材料に、トークのパターンを紙に書いて組み立てて見てください。

もっとも大事なのは、クロージングです。

ここに至るには、経験とカン、経験2割カン8割が必要です。

クロージングに関しては秘術なので(^^;)、聞きたい人は、直接会って教えます。

このパターンを組み立てて見て、同僚や友人を相手にセールスの練習をしてみてください。

そして、その相手から様々な質問をしてもらってください。

そこから、想定問答集を自分で造ってみてください。

私があたらしい商品を扱う場合、同じようにセールストークを造って、想定問答集をつくります。

そして、お客様からの質問はその問答集で90%以上対応できます。

つまり、消費者の方々は、たいてい同じ事を購入のポイントとされていて、同じ事でお悩みだということなのです。

そうすることで、いい加減な説明をしたり、お客様に合わない商品を売りつけたりすることが無くなります。

帯なら、どの年代の人に、どんな着物に合わせて、どんなシチュエーションで、・・・等々、あらゆる質問を書き出してみる。

そして、『型』を造るのです。

どんなに品質が良くても、どんなにデザインがすぐれていても、お客様のご希望に添うモノでなければ、最終的には良い品物ではなくなります。

それは、品物の価値は、その提供する便益によって決まるからです。

つまり、宝の持ち腐れにしてしまってはいけないし、そうならないように的確な説明・アドバイスをしなければならない、ということです。

あれもこれもしなくて良いのです。

まずは、定番の売る自信のある商品、売ってみたい商品、自分の好きな商品で1つ筋の通ったトークパターンを造ってみてください。

ポイントはそれが、その作家、そのメーカーの定番であることです。

珍品では汎用性に欠けるのです。

実戦で反復することが大切なので、定番であることは非常に大切です。

そして、同僚や友人を相手に練習する。

これを『ロールプレイング』といいます。

本当は、手本は作家さんやメーカーの社長さんが造るのが良いと思います。

私も、この仕事に入ったとき、先代から徹底的にたたき込まれました。

そして、その定番商品のセールストークは今でも毎日毎日、お客様に語り続けています。

トークが出来上がったら、あとは実戦して、補足していけばよいのです。

だんだん、語り口もなめらかになり、自信に満ち、世間話やよもやま話も出来るようになるでしょう。

そして、定番を売り込む力が付けば、お客様のご希望を聞き出す事ができるようになります。

お客様ははじめから、これが欲しい、なんて言ってくださいません。

定番をお勧めする事から始まって、それを買って頂くもよし、お好みに合わないなら、どんなものが良いのかを聞き出せば良いのです。

そのための斬り込み隊長が、この定番であり、それを強力に後押しするセールストークの『型』が必要なのです。

それをしないで、やみくもに勧めるから、強引だとか、強要するとか言われてしまうのです。

はじめはまず、『型』を学ぶ事、そしてそれを反復することが大切なのです。

『商道 風姿花伝』第1話

【序】

皆様、あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

いきなり水曜日なので、『商道 風姿花伝』を始めます。

マーケティングの話の時は、テキストの著者の一人がゼミナールの先輩だったので、甘えて引用させてもらったのですが、

今回は原文を除いてはほとんど引用できません。注釈も引用できないので、出来ればテキスト(風姿花伝・三道)を購入して

このブログを読んでくださいね。書物は邪魔になりません。

さて、始めましょう。

あらかじめ申し上げておきますが、この『商道 風姿花伝』では『生産者、あるいは生産者に近い人が販売の場に出たときに役立つ知識の習得の手助け』になれば、という想いで書いていきます。ですから、小売を専門とする方の参考には成らないと思います。そのつもりでお読み頂ければと思います。

序の部分では能=申楽の起源と能楽師の心得が概要的に書かれています。

ここで注目すべきなのは、当時から数種類存在したであろう、『演劇』の中で能楽の位置づけをしていると言うことです。

『推古天皇の時代に聖徳太子が秦河勝に命令して、天下太平の祈りのため、また人々の娯楽のために造らせた物である』

『大和・近江の申楽が両者の神事に参勤することが今も盛んである』

能楽にはそれだけの由緒と高尚かつ幅広い目的を持っているということですね。

そして、

『古きを学び、新しきを賞する中にも、まつたく風流をよこしまにすることなかれ』

古い物を取り入れたり、あたらしいものを試してみる中にも、けっして伝統をないがしろにしてはならない、ということです。

この『商道 風姿花伝』は染織品をいかにして売るか、をテーマにしています。

マーケティングの時は作るときの話でしたが、今度は売るときの話です。

そこから焦点を当ててみましょう。

能=申楽がどういう由緒と目的を持っているか。

商売に置き換えてみれば、自分のあつかっている商品がどういう歴史と目的を持っているか、ということです。

そして世阿弥が生きた時代にも他に演劇はあった。その中で能楽の位置づけを敢えて行っているのです。

着物なら、自分の売ろうとしている物がどういう位置づけなのかを明確にして置かなければ、どんな話をしても始まらないということです。

沖縄の染織なら、その歴史があり、何百年と受け継がれてきた技法、服飾文化を考えなければ、造るのも売るのも、方向性を見失います。

着物というのなら、紅型柄のプリントでも着物は造れます。

では、それが沖縄の着物でしょうか。

違いますね。沖縄の伝統技法に則って織り、染めたものが沖縄の着物なのです。

つまり『風流をよこしまにすることなかれ』ということです。

ですから、造るにしても売るにしても、ここでいう『風流=伝統』をきちんと正確に踏まえていなければならないのです。

それが、申楽=能と同じく、由緒と高尚な目的を持った伝統文化の使命であり、宿命なのです。

ですから世阿弥は『この道に至らんと思はんものは、非業を行ずべからず』と書いているのです。

厳しい道だけれども、この道を行く物は脇目もふらずに邁進しなければならない、そう言っているのです。

伝統染織の道は厳しいです。時には脇道にそれたり、別のことをしたくもなります。

しかし、そのときに思い起こさなければならないことは『行く道の気高さ』なのです。

伝統染織を売る。

ただ着物を売るという仕事と何が違うのか。

そこには、歴史・伝統・文化、そして人の汗、愛、心が織り込まれ、染め上げられているからです。

合繊やプリント印刷の着物でも着物は着物です。

でも、そういう品物とどこが違うのか。

それは目に見えない多くの資産がそこに盛り込まれているのです。

売る人間は、その価値を解っていなければならないし、それを適切、的確に消費者に伝えなければ成りません。

ですから、製法や技法を知っているだけではダメなのです。

織物や染め物の歴史だけでなく、造られた地域の歴史、そしてその染織品がどのように流通したか、どのように愛されてきたかまで、

精通していなければ、売る資格がない。それが『伝統文化』の世界に生きる者の道であり、そこにプライドを持たなければならないのです。

いま、流通で行われていることは『○○の作家の作品がこの値段』という話ばかりです。

それでも売れます。売れてしまいます。

では、売れたらそれでいいのか?私たちの道はそんなところで止まって良いのか?それが私たちが生涯を掛けて挑む道なのか?

違うと私は思います。

商売の道具は言葉です。

でも、言葉だけではありません。

能楽の詞章=セリフでも同じだと思います。

能面は無表情のたとえに使われますが、名人が着けて舞うと、様々な表情が生まれます。

商人の言葉も同じです。

1つの言葉から100を伝えることができるのが商売の達人だと思います。

そして『気』を読むこと。

商売の世界、特に着物の販売の世界ではお客様と親しい事や、押しが強いことが良い結果を生むことが多いです。

極端な話では『何を買うかより誰から買うか』が大切だという人もいます。

もちろん、その方面での努力は必要です。

しかし、物作りの場から販売の場に臨んだ人にとってお客様との縁は一期一会です。

初めてその場であって、次にはいつ会えるかも解りません。

その状況で、どう納得して買って頂くか、末長くご愛用していただくか、それを考えましょう。

能楽も同じだと思います。

演技者がその演目を舞うのを見るのは、ただの一回です。

次はいつ舞うか解らないし、次にその観客がくるかどうかも解らない。

能楽は言葉もわかりにくいし、おまけに能面を付けているので一層聞き取りにくく、表情も見えない。

様々な制約がある中で、何かを感じて帰ってもらわなければ、決して次はない。

誰が、後押ししてくれるわけでもありません。

そういう真剣勝負の場が販売の場だと心得てください。

そして、そのためには、日々の努力と研究、そしてなにより高邁な志が必要だと言うことを知っておいてください。

『商道 風姿花伝』のコンセプト

少し、来年から始める『商道 風姿花伝』についてお話ししたいと想います。

この本を読んだきっかけは、昨年の秋くらいから能楽に興味を持ちだしたのがきっかけでした。

大阪の山本能楽堂で行われた『上方伝統芸能ナイト』というイベントで、少しだけ能を観たのが初めで、それからはまってしまって、今では謡曲(能の詞章を謡う)・仕舞(能の一部分を切り取った舞)を習うようになりました。

この本は、世阿弥という観阿弥の息子で能楽を大成した人物が著者なのですが、読んでみて一番驚いたことは、ものすごく実践的に書かれているのです。

幼少期から始まって、歳を経る事の心がけや稽古の仕方、観客がザワザワしているときや、高貴な身分が居るときの舞い方など、事細かに書かれています。

そして、その姿勢は、常に『観客にどう評価されるか』に一番に力点が置かれています。

一般的に芸術家というのは、自分が満足行く演技が出来ればそれでいい、と考えがちです。今は特に、『自分らしい演技ができて満足です』とか言って、悦に入っている姿をよく見ます。

しかし、私はそれは間違っていると想う。

形ある工芸にせよ、形の無い演技にせよ、それ自体に価値があるのではなく、それを使ったり、観たりした人の心の中でその芸術は完結するのであり、その芸術の価値は、受容する人の心の中で初めて評価され得る物だと想うのです。

ほんとうに良い作品というのは、誰が観ても心をうつものです。

その理由は判然としなくても、脳や頭じゃなくて、心が魂が感じるから、多くの人に評価されるのです。

雑踏の中でも、本当にうまい歌手は、聴く姿勢の如何に関わらず、皆を黙らせ、聞き入らせてしまうものだと想います。

下手くそな歌手が歌うと、聴いているつもりでもついつい雑談してしまう、そんなものです。

現実に能楽を鑑賞すると、非常に上手く構成がなされている。

ムダな人、ムダな装飾が一切無く、シテという主役は面(おもて)を被っていて表情さえ見えない。

セリフも謡曲というメロディー仕立てになっていますから、演技者の個性は最小限に抑えられてしまいます。

しかし、そのシテによって、能の見え方は全然違う。

感じ方が全然ちがうのです。演じる能楽師はほんとうに大変だと想います。

昔、『アルマゲドン』という映画がありましたが、地球に衝突しようとする隕石を爆破して救うというストーリーです。

その時に出た話が、隕石の表面で爆発させても、隕石は壊れない。爆弾を中に埋め込んでこそ、隕石は粉々になる、という物でした。

つまり、何かに閉じ込められた方が、エネルギーの効果は大きくなる、という事です。

このことは芸術表現においても言える事だと私は思います。

もし、落語が座布団の上に座って着物を着てやるのでなければ、あんなに面白く無いと想います。

自由は素敵なことですが、そこからエネルギーが生まれるかというと、どうも弱々しいものになりがちな様に想うのです。

話はだいぶそれましたが、様々なことが、表現としての工芸や、私がいまやっている商売の心得と非常に共通していると感じたのです。

『私達は作り手だから、売る事は関係ないじゃないの』と想われる鴨知れませんが、さにあらず。

今は、著名な作家やメーカーになればなるほど、前=販売の現場にかり出されます。

昔は座談会や講演で良かったのですが、いまは販売の手伝いをさせられるのです。

能楽になぞらえて言えば、小売店はワキでシテは作り手という事になってきているのです。

ワキというのは、脇役の専門職で、初めに能舞台に出てきて、状況説明やシーンの設定などに関して話します。

その後にシテが出てきて、演技のほとんどをするわけです。

つまり、販売においても、主役は作り手となりつつある、ということなのです。

現に、私が販売に行くときも、デパートの営業さんは初めの商品概要の紹介と、最後の支払の話しかしない場合がほとんどです。

それ以外は、ずっと私がしゃべりつづけているのです。

それは、商品に関しての専門家という立場でやっているわけです。

とくに、特徴のある商品の場合、小売店に任せていて勝手に売ってくれると言うことはあまり望めないだろうと想います。

そうなると、どうしても販売の現場に商品に詳しい人=生産者が応援に行くことになる。

私達、商人が生産の事を知らねばならないのと同様に、生産者も商いの事を知らねばならない、そこに知恵を絞らねばならない時代が来たと私は思うのです。

私とて、販売の技術と言えばお恥ずかしい限りですが、拙いながらも20年以上のキャリアを積み重ねてきました。

私が話す内容は、集客や販促の話はありません。作品を見に来られたお客様に、どうやったら満足行く説明が出来て、結果として成約に結びつけるか、という所にポイントをしぼります。

集客・販促は私も実践では専門外ですし、それは小売店にやってもらわねばならないことです。

みなさんが心得ておくことで肝心な事は、あくまでも『販売応援』に行った時のノウハウです。

その話をこの『風姿花伝』を読みながらしていきたいと思っています。

販売というのは、80%以上が天性=センスです。

向いている人と向いていない人がいます。

でも、向いていない人にも、向いていない人なりのやり方があります。

たぶん、ある意味気むずかしく、理屈っぽい私も販売には向いていないと想います。

その分、理論的な説明を心がけ、知識面では誰にも負けない様に勉強しています。

そんな私を可愛がってくださるお客様もいらっしゃるのです。

私達、販売応援の立場の人間はお客様とは『一期一会』だと心得ねばなりません。

もう次にはお会いできないお客様にどうやったら、作品の魅力をご理解いただけるか。

そこにあらかじめの人間関係はありません。

まさに一発勝負です。

マーケティングの世界からさらに踏み込んで、一気に実践編へ進みましょう。

ロールプレイングなども加えながら、わかりやすくお話ししていきたいと想います。

消費者の立場の方でお読み頂いている方は、商人がどんな気持ちで説明しているのかを知り、説明している人の知識を最大限に引き出す手助けとしてお読み頂けると幸いです。それが必ず、楽しく有意義な買い物と着物ライフに繋がると想います。