第5章 マーケティング資源の配分

5−1 何が事業の収益性を決めるのか

第4章は組織論なので、飛ばしますね。

個人工房中心の染織業界に於いては組織論はあてはめるのが難しいし、理解しにくいからです。教科書を読んでおいてくださいね。

ここで出てくるのはPIMSプロジェクトですね。

PIMSというのは Profit Impact of Market Strategiesの事です。

簡単に言えば『どういう手を打てば、どういう結果が得られるか』を予測するための手法です。

結論としてこう書かれています。

『市場シェアと利益率の正の関係が産業や市場の違いを超えて成立する』

つまり市場シェアが高まれば利益率は上がる。

逆に市場シェアが低くなれば利益率は下がるということです。

これを読んでどう思いますか?

現実にはどうでしょうか。

経済学上は、生産が多くなれば単位当たりのコストが下がり利益率が向上するということになります。

でも、手工芸ではどうでしょう。

多産する作家が利益率が高いでしょうか。

売れっ子の作家の利益率が高いでしょうか?

確かに売れっ子になれば、売れ残りが減りますから実質的な利益率は高まるでしょうね。

しかし、基本的にそう開きがあるわけではないと思います。

逆に薄利多売で、利益を薄くしている人の方が多産してシェアを伸ばしています。

問屋業でもそうですね。シェアが高いところが利益率が高いという事はないと思います。

私はここに、経済学的原則の限界があると思っています。

つまり、美術工芸品にはこのPIMSの結論は当てはまらないということです。

なぜかというと、生産コストに下方硬直性がある、すなわち、生産が拡大しても単位あたりの生産コストはそれほど下がらないからです。

南風原の絣は10反を一巻きにして織ります。これによって他産地よりも安い価格を実現しています。確かにシェアは高まり、琉球絣といえば南風原の絣という状態になっていますね。しかし、これで利益率が高まっているかといえばそうではありません。利益は上がっているでしょうが、利益率は高まっていない。なぜそうなるかといえば、品質と価格が最終的に均衡するからです。つまり、手工業品を大量生産すれば、その分必ず品質は落ちる。落ちれば価格も下がっていく。結局は利益率は逓減していきます。

マーケティング理論は機械生産による大量で均一な製品市場を前提としていると言うことを忘れてはいけません。

市場シェアというのはこういう大量生産品をマスマーケットに投入するときに価値があるもので、細分化された市場にきわめて趣味性の高い商品を対応させる場合には意味を持たないどころか、シェアに拘泥することは破綻を招きます。

県や組合は染織を『産業化』しようとします。産業化とは生産を拡大して県からの移出額や組合の利益の極大化を目指すということです。

産業化するには、効率化が必要です。効率化するには均一化が必要なのです。

均一化はどういう形で行われたか。宮古上布、八重山上布が古い例ですね。

デザインを均一化して生産量の拡大を目指した。久米島紬の泥染めもそれに分類できるでしょう。特徴を究極的に絞り込んで、一番造りやすい、生産が効率的に進む物に集中して造る。つまり作業の単純化・平準化を進めるわけです。

結果的にこれが高度な技術に繋がったわけですが、これが、着物市場が均一なマスマーケットの時代は良かったわけです。着物人口が激減し、またその消費者の需要が多様化した。そうなれば、同じ消費者が同じ商品を何度も何度も観る事になるのです。つぎに起こることは製品への期待の低下です。どうせ、同じモノしかないと思われてしまうし、現実に同じモノしかない。目も向けてくれなくなるというのが現実だろうと思います。

商品のライフサイクル論に関しては前にお話ししたかと思いますが、ライフサイクルが短くなっている市場に於いて、均一の商品を大量継続的に送り込めばどうなるか。大量の売れ残りが出るのです。

つまり、趣味性の高い商品市場に於いては、シェアに拘泥することはかえってマイナスだと言うことです。では、利益率を高めるためにはどうすればいいのか。どんな作家も、良い作品を造って豊かになりたいと思うでしょう。そのためには、魅力ある作品を作り続けて、高く売る事です。あるいは、安定した生産と販売を続けて売れ残りを出さないことです。そのためには、常にデザインや色・技法の研究を続けることです。

流通に於いても、シェアの獲得に躍起になったあげく、どれだけの駄作が市場を汚したかは明らかではありませんか。

みなさんが造るのは菜っ葉や大根ではありません。作品なのです。

芸術を生活に取り込ませたアール・デコは機械生産があって初めて実現したものですが、それでも、優れたデザインを追求して高額で売ることを目標としています。

マーケティングは作り手が豊かになるために必須の知識であると私は思いますが、染織を初めとする手工芸に於いては必ずしもその原則は適用できません。

それを適用しようとしたために、多くの悲劇が生まれたのです。

マーケティングというのは市場との対話です。

自分がどんな作品を造りたいかと同じ位、どんな人にどんなシーンで来てもらいたいかを考える事が大切なのです。

5−2 規模と経験の効果

ここでは規模の経済と経験の蓄積による効率性向上について書かれています。

まず、規模の経済について。

前述したとおり、伝統染織に於いては、最早、規模の経済は発揮されない、というのが私の見解です。その理由は以下の通りです。

  • 市場が成熟している。
  • 市場が飽和し、供給過剰である。
  • 顧客の嗜好が高度に多様化している。
  • 生産コストが生産規模に比例して下がらない。
  • 染織品は一種の耐久消費財である。
  • 効率化は実現できても、それと反比例して効果性が下がる可能性がある。

生産規模を大きくしてもコストはさほど下がらない。生産拡大によってある程度の効率向上が得られたとしても、その生産量を受け入れる市場がない。市場は狭く、飽和し、また細分化されている。細切れになった極小な市場に拡大した生産量の商品を投入すれば、供給過剰が更に進み、価格は下がる。それを無理に続ければ生産コストに見合わないほどの価格になり市場は崩壊する。

市場が崩壊してどうなったか。中古市場の出現です。中古市場の出現は耐久消費財であればこそ可能となります。

つまり、和装市場の価格崩壊は、規模の経済を狙った生産拡大から、中古市場の成立へと繋がっているのです。

規模の経済への盲信が高付加価値文化商品を死に追いやりつつあると言うことです。

では、どうすればいいのか?

適切な市場規模をはかり、適正な価格で高付加価値の商品を送り続ける事です。

この章の著者は誰かは解りませんが、もしかしたら経済学者からの転身か、逆に経済学を学んでいない人かもしれません。お役人やマーケティングの素人が読めば、首肯するかもしれません。しかし、すべての理論がそのまま当てはまらない、それがマーケティングを学び、考える原点なのです。

とくに、高付加価値商品や、文化的商品の場合は効率性より効果性に分析の重点が置かれるべきです。

つまり、量より質ということです。

ここを大きく踏み間違えた結果が現在の状況であると私は思います。

経験効果については、こういう記述があります。

  • 規模の経済性や経験効果が働く事業では『市場シェアの拡大を至上命令とする時期』と『市場シェアの拡大よりも利益を追求する時期』とに分けて事業戦略を考える必要がある。

まさにそういう事です。

伝統染織においては、すでに後者の状況に入っているし、産地という物の存在が経験効果を十分に補っています。一人でぽつんと染織をやっているよりも、産地で情報交換をしながらやっているほうが、効率がいいのに決まっています。

経験効果は産地がもっている財産である、ということです。

その上にいかに効果性、つまり品質と感性を載せて、適正価格のものを適正量売るかということなのです。

5−3 製品ポートフォリオ管理

GWで一週間とばしました。失礼しました。

さて、この製品ポートフォリオ管理ですが、染織作家にお話しするにはかなりかみ砕くというか、曲げてねじり回さないと利用できる概念ではありません。

基本的には、大手製造業で商品が多岐にわたっている企業の戦略とされているからです。

市場成長性とシェアによって、『金のなる木』『問題児』『スター』『負け犬』と分かれ、それぞれによって戦略を変えるということなんですが、1人あるいは数人の織子を抱えているだけの染織工房でこれだけの多角化戦略が必要かといわれたら、手仕事に於いてはほとんど無いというのが直観的判断だと思います。

それはそうなのですが、基本的にこの戦略は製品ライフサイクル論の上に成り立っているというところがミソではないかと思います。

首里織の作家さんを見ていると、大きく二つに分けられます。同じデザインの作品を延々と作り続けている人と、逆に同じデザインの物は二度とつくらないという人です。

どちらがどうということはありませんが、商業ベースで考えた場合、1つのスターに頼るのも、いつもいつも金のなる木で終わらせるのもバランスを欠くと思うのです。

もし、複数の傾向あるいは技法の商品アイテムを作れるとしたら、この製品ポートフォリオを使って、安定的な生産ができると思います。いま、当たっている作品がいつまでも売れ続けるということはありません。消費者は飽きやすいものですし、好みはどんどん急速に変わります。

また、着尺・帯だけでなくて、小物や、洋装、インテリアなど、幅広くチャレンジしてみるのもいいでしょう。仕事を長く続けるためには、次を考えるという事なのです。

私の様な問屋の立場ですと、常にその事を頭に置いています。作家さんの気持の乗り方、熟練度、時代性などを見ながら、つねにポートフォリオ上に載せているんです。

さらに大きい視点でみると、沖縄の染織自体が、着物市場でどの位置にあると思いますか?

ちょっと前まではスターだったのです。

いまは、問題児から負け犬になろうとしています。

沖縄だけではない、すべての伝統染織が負け犬になりかけている、あるいはすでになって撤退を余儀なくされているのです。

その流れの中でどうやって生き抜いていくか。

それも、楽しく仕事をしながら、です。

そして言える事は、負け犬も問題児もなければ、金のなる木もスターもないということです。

多様性があってこそ、市場は成り立つのです。

だからこそ、これからは感性を軸に、技法を遠心力に使って、幅広い作品作りをしていって欲しいと思います。

5−4 製品ポートフォリオ管理がもたらすもの

ここでは、製品ポートフォリオ管理の導入による効果が書かれていますね。

しかし、伝統染織の場合、『負け犬』となったとき、撤退という選択肢はあるでしょうか。

趣味でやるならまだしも、仕事として生活しうる収入を得るのに着物・帯以外のものを造って売るとうのは、かなり厳しいものがあると思います。

ですから、基本的に仕事を続けるかやめるかの二者択一しかないという結論です。

仕事を続けるためにどうすればいいのか?それを考えなければ行けませんね。

製品ポートフォリオ管理というのは、市場の成長率と市場シェアを元に資源の最適配分を図ろうとするものです。

資源というのはつまり資金ですね。

市場成長率と市場シェアを縦横の軸にとるということは、自社が将来占めるであろうマーケットサイズを想定しているということです。

つまり、『需要予測』が考えの基本にあると言うことですね。

撤退が出来ない、そして技術革新が望めないのですから、仕事を続けるためには的確な需要予測をすることが一番大事なのです。

『売り逃げ』という手もありますが、これは後進の道を閉ざすことになり、伝統工芸においてとるべき戦略ではありません。

ブームに乗っているときに、どんどん造って市場に投入し、需要が落ち始めた頃に、撤退する。その事業者は儲かるかも知れませんが、流通に残った在庫は陳腐化し、価格が破壊され、あとに続く人の生産を圧迫します。

沖縄の染織に限った場合、どの位の需要予測が適当でしょうか。その把握のためには沖縄染織が市場でどのような立ち位置にあるかを知らなければなりません。

和装素材である。

高級品である

カジュアルである

(上布や芭蕉布の場合は夏物である)

高級カジュアル着物の市場を大島や結城などと争って取り合いしているわけです。

また、着物市場は年々縮小しています。こんな小さな市場に対して、いまから10年ほど前に大増産をして大量の商品を投入した唯一の産地が沖縄です。

しかし、沖縄だけが特別なわけがありません。沖縄物だけは売れるという言わば神話がまかりとおり、県も、組合も、問屋も造れ造れの大合唱。でも、これはバブルだったのです。完全な需要予測の失敗です。

売れるとうのは、消費者のタンスに入る事を指します。問屋に仕入れされた時点では、まだ流通にあるのです。つまり、自動車がトヨタからトヨタのディーラーに入っただけです。

着物という製品自体がすでに『負け犬』の領域にあるものであり、そのまた小さなカジュアル市場に、大量に資源を投入した。

負け犬商品は撤退するだけが戦略ではありません。

特にニッチ市場では、高度な趣味性をもった消費者を満足させる市場として生き残ることはできるのです。ところがそれをマスで捉えて市場を拡大しようとした。大失敗でした。

では、これからどうすればいいのか。自分たちの市場をきちんと知る事です。市場は成長しないし、小さな和装市場のそのまた小さなカジュアル市場で、さまざまな産地の製品と戦うのです。必要なのは量ではなくて、その他産地の製品に競り勝つ競争力をつけることです。

沖縄の染織家は大島や結城がどんな着物か知っていますか?牛首や白山は?敵を知らずして勝ち目はないのです。

自分たちが勝っている所、劣っている所をきちんと正確に分析して強みをのばさねばなりません。

沖縄の強みとは何か?沖縄の持つ楽園的イメージと伝統技法の豊富さ、そして何より、沖縄の人の持つ独特の美意識だと思います。それを形にする素材もふんだんにあります。

芸術・工芸はすべからく、人間のくらす『風土』から生まれます。みなさんが住んでいる土地の風土を生かすことが最大の競争力となるのです。

第3章 価値実現のマネジメント

3−1流通チャネルの機能と累計

この流通の問題も染織マーケティングを考える上で、重要なポイントですね。

まず、基本的なことを押さえていきましょう。

【流通チャネルの機能】

流通チャネルの次の3つで構成されている。

  • 物流

 作り手と買い手の間に生じる、空間的あるいは時間的なギャップを埋める役割を果たす。=保管、輸送

  • 情報流

作り手と買い手の間にあるさまざまな情報のギャップを解消していく。

=受発注情報のやりとり、販売予測精度の向上、製品・サービスの特徴・使い勝手の伝達

  • 商流

取引の流れ

→相手次第である。

取引である以上、相手に取っても一定のメリットある仕組みを確立せねばならない。=ウィン・ウィンの関係

【流通チャンネルの類型】

チャネル① 生産者→→→→→→→→→→→→→→消費者

チャネル② 生産者→→→→→→→小売業者→→→消費者

チャネル③ 生産者→→卸業者→→小売業者→→→消費者

  • 小売業者だけでなく、生産者の数も多い場合、卸業者の多段階化が生じやすくなる。
  • どのチャネル類型が優れているかは、ターゲットとなる最終顧客、取引先として利用できる流通業者、競争企業が採用している流通チャネルの類型、自社の経営資源などの条件によって異なってくる。したがって、同じ産業の中に、異なる流通チャネルの類型を選択する複数の企業が併存する場合もある。

和装業界の流通が問題とされるのは、その多重構造と流通コストでしょうね。

生産者から複数の問屋を経由して小売店を通り、ようやく消費者の手に渡る。

生産者から出た価格の数倍、場合によっては10倍以上の価格で消費者に売られているから、消費者は着物離れをしたし、生産者は貧困にあえぐことになる。

まぁ、これが一般的に言われていることですかね。

しかし、この教科書にも書かれているように、和装業界でも単一の流通チャネルしか存在しないという事はありません。

消費者に直接売る人もいるし、小売店としか取引しないところもある。また多重構造の中に商品を流す人もいます。また、それを併用する人も居ると、まさに人それぞれです。

基本的に自分のこだわりの『作品』をごく少数制作している人は当然高価になりますので、直販体制と採る人がいます。地域密着で地元の需要のみに対応している人もいます。

芭蕉布なんかは、内地の着物ファン以外に琉球舞踊家の需要があって、その人達は別に平良敏子さんの工房の物でなくても良いわけです。しかし、本物の芭蕉布の着物を持たねばなりません。それで、直販を前提に芭蕉布を造って個人を対象にしている人も存在します。

琉球びんがたや加賀友禅も地元需要がありますので、地元の人から直接発注があり、直販する体制があります。

つまり、少数の商品と少数の需要者の場合、直販は成り立っているのです。

小売店と取引する人は結構います。つまり問屋とは取引しないという事ですね。なぜ、そういう選択をするかというと、問屋を通すと末端価格が高くなる事、集金が思うようにいかないこと、などがあるのでしょうか。

正確に当てはまるかどうかは解りませんが、千総さんや川島織物さんなんかは小売店としかやらないはずですから、この形ですね。帯のメーカーさんは多くこの形を採っています。これはその商品にブランド力があるからです。ブランド力があれば、問屋の流通力に頼る必要がない。小売も直接声を掛けてくる。また、ある程度の大量生産が出来て、大量の需要があるという場合にこの形は成立すると言えるのでしょうか。

大量の需要がないとこの形が成立しないというのは、そうでなければ、メーカーも小売店も在庫負担に耐えられないからです。もちろん、自分で少しずつおった織物を地元の民芸店や呉服屋に置いてもらうというスタイルもあり得ます。しかし、小さなチャネルは小さな需要しか喚起しません。小さな需要は大きな供給を産みません。そこそこの規模の需要がなければ、生産者から小売りへの直接取引は継続し得ないといえます。

たとえば、AさんがBという小売店に品物を置いてもらう事にした、とします。

しばらくは順調に売れたのですが、ある一定の期間を過ぎると売り上げが止まった。なぜか。Bの持つ顧客に行き渡ったからです。止まらない為には、Bの本来持って居る顧客以外に売れなければなりません。BはAの商品によって顧客が広がる事も望んでいるわけです。それができなければ、Bは売れ行きが落ちた途端、Aの商品に変えて新しいCという作家の品物を店頭に置くでしょう。

そしてAはまた、新たに品物を置いてくれる店を探す事になります。次はDに置いてもらう事にした。それでも、また同じ事の繰り返しです。小売店は販売機会が制限されている、つまり売場を効率的に使いたいし、販売機会を大切にしたいのです。ですから、売れない物は置きたくない。逆に言えば『売れる物を置きたい』わけです。

『売れる物』=『需要の大きい物』です。

つまり、小売店は消費者を中心として『売れる物を追っかける』ということです。小売店は店の立地・面積、そして暖簾=信用が財産で、それを有効に活用していこうとします。よい立地に豊富な売れ筋の商品を置いておけば、必然的に成功するわけです。

ですから、小売店と直接取引するというのは、消費者に直接売るよりも遙かにハードルが高いと言えます。

もちろん、年に一度とか期間を区切って個展としてやるなら可能かもしれませんが、その場合でも、その作家に一定以上のネームバリューが無ければ困難です。小売店はその作家の名前で顧客を呼び、販売促進に結びつけたいと思うからです。基本的に『利用価値ある物を利用し、売れる物を売る』というのが小売のスタンスだと思わなければなりません。

そして、もっとも一般的と思われるチャネル③の生産者→問屋→小売→消費者のパターンです。問屋というのは、基本的に一定の『くくり』で商品を扱います。うちなんかは『沖縄』というくくりですね。帯の問屋は帯というくくり、加賀友禅をくくりとする問屋もあります。つまり一定の特徴=強みを持っているわけです。これは問屋制家内工業の名残で、かつては問屋が主導して各家で行われる織物を統括していた訳です。問屋は出来上がった織物を工賃と引き替えに受け取る。これが産地問屋の前身です。さらに、産地問屋から集散地にむけて商品は送られる。最大の集散地が京都、そして、東京ですね。京都の室町といいう場所がそのメッカです。東京は掘留です。

ここにある問屋は、前売問屋といいます。小売店に売る問屋です。産地問屋が生産を統括しているのに対し、前売問屋は小売の細かい要望に対応していくのが仕事です。前売問屋の場合には、総合問屋というものが存在するわけです。つまり、各地の産地問屋や作家・生産者を束ねて小売へのパイプ役となる問屋です。また前売問屋には産地問屋を兼ねている、つまり、生産者に直接指図したり、生産者と直接契約しているところもあります。うちもその一つですね。

すなわち、問屋はどの位置にあっても、生産者や商品に顔を向けていると言うことです。

問屋は品物を持って需要を喚起し、探そうとする。小売は需要に当てはまる商品を探す。ですから、問屋は買い取り、小売りは委託になるのです。極端な話、小売りは売れれば何でも言い訳で、宝石・毛皮・ハンドバッグ・婦人服などを売っている呉服屋が多い事でもそれはわかります。うちが洋服売ると言ったら、かりゆしウェアくらいです。

いわば問屋はメーカーのマーケティング部門とも言える立場であるわけです。

この教科書に載っているような大メーカーにはすべてマーケティング部門があります。そして小売店には小売店のマーケティング部門がある。小売店の場合は売場と棚を持って居て、そこに置いてもらわなければどんなに良い品物でも売れることはありません。それを置かせる、良い場所に置かせる、広い場所を獲得する、そのために必要なのがメーカーのマーケティングなのです。

そのメーカーのマーケティングを考える上で必要な事が人・モノ・金・ノウハウ・情報という経営資源の把握であって、小さな経営体が大企業に真正面からぶつかって勝てるわけがありません。そこにマーケティングの出番があるわけです。

小売店というのは売れる物の他に『儲かるモノ』を置き、積極的に売ろうとします。それがPBであり、高利益率商品であるわけです。

高い家賃を払っている銀座の呉服屋さんが、売れもしない儲かりもしない低価格の品物を置いてくれる道理が無いわけですね。

沢山の需要を掴んでいる一等地の呉服屋さんが売れて儲かるモノしか扱わないとしたらどうでしょう。

売れる物=ネームバリューのあるもの

儲かる物=安く仕入れられて高く売れる物

相矛盾する二つの条件をなんとかクリアしようと努力しているのが問屋なのです。

デフレ経済になって、価格の天井が抑えられても、小売店の粗利益率(販売価格—仕入れ価格)÷販売価格%は下がりません。かえって実質的に上がってくる位です。

小売店が悪いと言っているのではありません。呉服販売はそれだけ高コスト体質であるし、現実に、一等地に店舗を構えたり、華やかな催事をやらないと着物は売れないという事なのです。

日本経済全体が底上げされ、天井が上がらない限り、現状の和装業界が潤うことはありません。でも、それは望み薄です。

結論は、流通を簡素化するしかない。

そして、作家と問屋がきちんと役割分担して、お互いの使命を完璧に果たして、低コスト化を実現していくしかないのです。

小売店は立地と販売装置と顧客を持って居ます。

これは転用可能です。売る物をかえれば良い話です。

でも、作家と問屋は扱う商品をおいそれとは変えられないのです。

着物需要を支配している小売に、いかに対応して、自分たちの流通状の地位を高め、利益配分をメーカー側にとりもどすか。

それは、消費者に『Aさんの作品が欲しい』と小売店に言ってもらうようにすることです。

ビールでいうなら、『スーパードライ作戦』ですね。

むかし、居酒屋でビールを頼んだらキリンしかなかった。でも、アサヒビールのマーケティング戦略で客が『スーパードライはないの?』と言うようなったんです。いつのまにか、どこの居酒屋でも『キリンとアサヒ、どっちにします?』と聞かれるようになった。高知県の居酒屋に行くと『たっすいがはいかん』というビールのポスターが貼ってあります。『たっすいが』というのは、味気ないと言う意味でアサヒのビールを指します。高知県といえば、キリンビールの県民一人当たりの消費量が日本一のキリンのメッカです。そんな場所でもこんなポスターを貼るほどキリンは追い込まれているのです。

つまり、消費者への『ダイレクト・マーケティング』です。チャネルは既存の物をつかうとしても、需要の喚起は作り手から直接行っていく。

すべての人が出来るとは思いませんが、考えの隅にこの発想を入れる事で、選択肢と発想は大いに広がるだろうと思います。

『自分は消費者と直接つながるんだ。そのために問屋や小売店をチャネルとして利用するんだ』と思わなければなりません。

イメージは画家と画廊の関係ではないでしょうか。

問屋の役割については、また後日。

3−3 メッセージの選択

今回も水曜日は沖縄に滞在しているので早めにアップしますね。

ここは、最重要ポイントです。

この間私が受けた『アートマネジメント』の核心はここにあります。

ここでは、コカ・コーラのはなしが書かれていますね。

非常にわかりやすいと想います。

  • 優れたプロモーションを行うには、考えられるさまざまなメッセージの中から、製品・サービスの販売を強力に促進するものを選択しなければならない。

そのためには以下の3つが必要だと書かれています。

  • ターゲットとなる買い手に対する訴求力がある
  • 競争相手が模倣することの困難な優位性が確立される
  • マーケティング・ミックスの他の要素との整合性がとれている。

コカ・コーラのはなしを読んでいると、発信しているメッセージが味や効能ではないことに気づくと想います。コーラはおいしいとか、体によいとか、栄養があるとかはありません。

コカ・コーラが発信するのはコカ・コーラの提供する生活シーンや心の状態であることがわかるでしょう。

重要なことは、コラム3−4に書かれています。

メッセージの作成はコンセプト形成→表現制作の順をたどります。

マーケターが担当するのはこの『コンセプトの形成』です。

この染織マーケティングでは、マーケターとは染織家自身を指します。

メッセージの作成は通常はコピーライターや音楽家が行います。

染織の場合は、問屋や小売店かもしれませんね。

コンセプトが間違っていれば、有効なメッセージは絶対に作れないということです。

  • マーケティングの役割はメッセージのコンセプトを定めることで、さまざまな専門家との協同作業の効率性と創造性を高めることである。

=『コンセプト・ブリーフ』を作成すること

 コンセプトとその背景の明確かつ簡潔な記述

とても重要ですよ。

今の状況はどうですか。

物を作って、問屋や小売店に渡し、販売にかける。

問屋や小売店は、どんな情報を持って、どんな事を言って売っているのか、作り手は知らないし、知ろうともしない。

沖縄の染織はどういう風に紹介されてきたでしょうか。

40年前の沖縄復帰のとき、沖縄染織に対して問屋が掲げたコンセプトは『裸足の沖縄』だったのです。当時、沖縄ではまだ裸足で生活しているお年寄りがいらした。それを見た問屋が『沖縄はまだ裸足で生活している。貧しい沖縄だから手作りの物が安くできる』と言われていたのです。ですから、当時は、良い物をつくるよりも安い物を作る事が優先されました。八重山上布は経緯ラミーでしたし、南風原の絣もスリップするような代物が多かったのです。そんな中で、『琉球王朝の輝かしい歴史と文化』を掲げたのは唯一弊社だけだったんです。

首里織と琉球びんがた(以下紅型)を見てみましょう。

首里織と紅型は主に氏族によって作られ、着用するのも貴族・王族といった上流階級でした。沖縄は海洋国家として繁栄したとされていますが、それは同時に他国からの侵略に悩まされてきたという事でもあります。南洋の小国であった琉球がいかにその存在を保ってきたのか。それは卓越した文化力であったのです。その文化の象徴が首里織であり紅型なのです。紅型がなぜあれだけ華やかなのか。それは琉球王朝の威厳を表しているからなのです。

それがどう紹介されていると想いますか?オバアやオジイが作っている素朴な織物、染め物と紹介されているのです。

そこには民芸運動の影響も大きく影をおとしていると言わざるを得ません。首里の人はなぜ、首里の織物や紅型は決して民衆的工芸などではない、と反論しなかったのでしょうか。私が民芸運動を執拗に攻撃するのは、民芸の呪縛から沖縄を解放するためなのです。

沖縄染織を紹介するときに、歴史や文化の知識が必須であるのは、その光の部分を知っていないと、正しく有効なメッセージが形成できないからです。

なぜなら、沖縄の歴史や文化は『誰もまねの出来ない独自のものだから』です。

私が、内地の趣味にすり寄ったいじけた作品を嫌うのは、コンセプトが間違っているからです。

もちろん、現代の和装需要に見合った作品を作る努力はしなければなりません。しかし、その根本には『沖縄の歴史と文化に対する誇り』が無ければならないと私は思います。

宮古上布、八重山上布、久米島紬が紹介されるとき、人頭税の話がよくされます。私は、この種のお涙頂戴的な話をすることにずっと疑問を持ってきました。

どんな本を読んでも必ず書いてありますし、ビデオを見ても出てきます。人頭税石も映されてたりしています。

これって、これらの作品をアピールするために有効でしょうか。もちろん人頭税によって苦しめられたのは事実です。でも、だれに抗議をしているのか。それに同情したり贖罪意識をもって作品を購入する人など皆無です。それより、『イヤな話を聞いた』と購買意欲をそがれてしまう場合の方が多いのではないでしょうか。

私は最近『ミンサー全書』という本を読んで、人頭税に対するモヤモヤが吹っ飛びました。なぜ、あれだけ人頭税に苦しめられる事になったのか。誤解を受けるといけませんので、ここでは書きませんが、沖縄の女性のつよさと勤勉さをよく物語っている話だと想いました。

作品についてよい印象を持ってもらう。そのためにコンセプトを作るのです。

苦難の歴史など、聞きたくもない。

沖縄に行くと戦争の話をされるから、行きたくないというお客様もたくさんいらっしゃるのです。

しかし、沖縄というところは、何度も言うように素晴らしい歴史と文化を持っています。そして、風土や県民性も非常に魅力的です。

それら、歴史・文化・風土・県民性から染織は生まれるのです。

伝統工芸のコンセプトはすべからく、ここから生まれるのです。

ですから、沖縄を愛していない人に、沖縄の染織が扱える訳がないのです。

沖縄の染織に携わる人、また、それ以外の地域でその地方の伝統工芸に携わる人は、ご当地の歴史、文化、風土を深く知り、研究すべきです。

宮古上布、八重山上布、久米島紬、芭蕉布・・・

これらを野良着と馬鹿にする人がいます。

とんでもない話です。

首里王府にはデザインルームがあり、その中でデザイナーがデザインを決めて、織らせていたのです。それが各離島にも波及した。そのデザイン本が『御絵図帳』です。

そのデザイナーが決めたデザインで作られた染織品たちは、貢納布として、王族・貴族が着用したり、島津藩への上納品、あるいは輸出品とされていたのです。

この、どこが野良着ですか?

作り手はその事を、問屋などの流通業者にきちんと理解させねばなりませんし、自らの作品に誇りを持たねばなりません。

その『想い』こそがコンセプトの源であり、それが波及して、作品づくり、流通業者の扱い方、消費者の見る目が変わっていくのです。

価値があるのは物である作品ではありません。

作品にこめられた『想い』です。

その『想い』こそがコンセプトであり、

『想い』は形がないから無限に広がるのです。

3−4メディアの選択

一週間お休みして、失礼いたしました <(_ _)>

<プロモーション・ミックスの構成要素>

プロモーション・ミックスとは

  • 広告活動
  • PR活動
  • 人的販売
  • セールス・プロモーション

                の4つのメディアの事を言う。

プロモーションのメディアを選択する際には、以下の3つの要件を考慮する事が必要になる。

  • プロモーションのメッセージは、多くの人々に確実に伝わらねばならない。
  • プロモーションのメッセージはターゲットとなる買い手に効率的に到達せねばならない。
  • プロモーションのメッセージを伝えるには、映像表現や音声、あるいは製品情報の詳細な提示が必要となる場合がある。

沖縄染織を考えたときに、どんなプロモーションが行われているでしょうか。

本土復帰30周年の時代を振り返って考えて見ましょう。

沖縄染織のプロモーションは必ず沖縄自体のプロモーションと共に行われます。

というより、沖縄への関心の高まりに乗っかるという形がとられています。

本土復帰30周年の時代もそうでした。NHKのちゅらさん等で沖縄への関心がたかまり、ビギンの『島ん人の宝』が大ヒットし、大沖縄ブームになりましたね。

復帰直後、10周年、20周年も同じようなイベントと共に沖縄ブームが演出されてきたのです。

30周年に向けては、様々な染織の写真集の出版、人間国宝の誕生があり、低迷していた和装市場において最大の目玉となったのです。商材に渇望していた和装市場において、話題性のある沖縄染織はもてはやされました。引き合いの増加に伴って、生産も拡大。どこもかしこも沖縄染織展という時代でした。美しいキモノやきものサロンという雑誌にも夏以外にも沖縄物は誌面を飾りました。

沖縄染織のプロモーションは必ず県がらみで、大沖縄ブームと絡んできました。沖縄染織が単独でブームを起こしたことはありません。強いて言えば民藝ブームとの連携時代でしょうか。

弊社の場合は、沖縄復帰直前、直後のブームの恩恵にあずかったのですが、古い社員に聞くと、まさに引っ張りだこで、展示会をするとすべて商品が売れて無くなる位の勢いだったそうです。

しかし、その勢いも永くは続きません。現在と同じように過剰に生産された品物は沖縄のあちこちにうずたかく山積みされたのです。復帰10年、20年と同じ事が繰り返されてきました。一時は県の農業団体?が品物を管理していた事もあると聞いた事もあります。

当時はまだまだ着物市場が大きかったので、なんとか消化できましたが、この30周年に起きた過剰供給・過剰在庫は未だに解決していません。

そして、もうすぐ40周年。またまた、ブームを起こそうという気配が感じられます。その第一弾が『テンペスト』あたりではないでしょうか。

ここで、またまた消費増大を当て込んで生産が拡大する事になれば・・・もう終わりです。

そう考えると、伝統工芸品そのもののプロモーションなどというものが本当に必要なのだろうか、と考えざるを得ないのです。

たとえば、一人の作家を強烈にプロモートしたとします。一時は売れるでしょうが、量産すれば必ず品質は落ちます。作家物というのは基本的に万人受けしないのですから、いずれ行き渡ります。売れ行きはピタッと止まる。その時、品質は落ちている。それを見越して生産調整をすればいいのですが、それは至難の業です。作家はいままでの所得を得ようとして別の販路を探すでしょう。品質の落ちた作品がどんどん拡散することになる。なんども言いますが、伝統工芸に於いて画期的な技術革新は望めません。作家の作風を大きく変えることも大変な困難を伴います。

沖縄染織の場合も、節目ごとの大ブームに乗っかることと引き替えに、多くの模造品を産みました。琉球びんがたは本物の方が遙かに少ないという状態ですし、花織やロートン織も沖縄だけの物ではなくなってしまいました。

染織品は綿、毛、絹を問わず、似たものを造るのはそう難しいことではありません。20年前に毛織物市場ではベネシャンという繻子織が大流行しました。いわゆるDCブランド全盛の頃です。でも、いまベネシャンを観る事も難しくなりました。猫も杓子もベネシャンを織ったからです。

着物市場でも、中国物ブームがありました。明綴れの帯や中国刺繍の着物はたいそうな高値で取引されていたのです。良いとなると、群がるのが商人の習性です。中国物は大増産と共に品質が低下しました。そして、最後は値の付かないところまで価値を下げ、どの商人も触らなくなって、市場からほとんど姿を消すことになったのです。

では、染織のプロモーションはどうすればいいのか。

大プロモーション→仮需の増大→生産の増大→品質低下→需要の行き詰まり→価値の低下→負け犬商品

となる、この悪循環を断ち切らねばならないのですが、どこで断ち切るかです。

生産が増大すれば品質は落ちるのですから、厳密な生産管理、適正な量の生産というのが何より大事であると私は思います。

それを基本にして、自分の思うところをブログに書いたり、雑誌に寄稿したり、取材を受けたりはとても必要な事だろうと思います。

しかし、それに伴う引き合いの増加に安易に乗ってはいけないのです。

はっきり言える事は、多くの商人にとって、作家は使い捨てでしかない、と言うことです。

こちらがダメなら、またあちら、あちらがダメなら、また別の作家・・・永遠に売りやすい、売れる作家を捜し回るのが商売人の性です。

自分で無名の作家を捜して育てるなんて言うのは希有な話なのです。

みんな、大きな流れに乗りたい、乗り遅れたくない、それだけです。

それに振り回されては、作家は自滅します。

ここに挙げたプロモーションの手法は、あくまで作家が自分の手で、作品作りを基本にして行うべきです。

そんなことより何より、信頼できる商人と確実なパートナーシップを持って、プロモーションの方針を伝え、ゆだねると言うことが一番大切で現実的なのではないかと私は思います。

第2章価値形成のマネジメント

2−1 製品サービスとは何か。

Navigationは飛ばしますね。

ここでのキーワードは『便益の束』ですね。

『便益の束』とは

消費者が問題の解決を期待する複数の製品・サービスの固まり

の事です。

『束』とは上手く表現していますね。

それで、

顧客とサービスの関係は、購買を行う前に製品・サービスの知識を得る段階から、使用した後に製品・サービスを廃棄する段階にまで及ぶ。

すなわち、顧客にとって製品・サービスとは、認知し、取得し、使用し、廃棄するものなのである。

ということは、買いやすさ、使いやすさ、使うメリット、あとのフォロー、捨てやすさまで、含めての『便益の束』だという事ですね。

ターゲットとする顧客は何を求めているか、競合他社はどのようなサービスを提供しているかといった問題を見極めながら、どのような『便益の束』を提供するべきかを決定していくのである。

じゃ、ちょっとケース・スタディしてみましょう。

宮古上布を題材に取りますね。

まず、宮古上布のターゲットは?

ん百万する盛夏用の麻織物ですから、もちろんかなりの富裕層の女性ですね。

かつ、着物が好きで、着る機会があって、自分で着れる人、という事になりますね。

宮古上布が消費者に与えられる便益とはなにか。

まずは、重要無形文化財としてのネームバリュー=所持する喜びでしょうね。

あとは、涼しいこと。

三世代、100年は着用できると言う信用。

その他は?

基本的に針の穴ほどのマーケット・サイズですから、露出が高い必要はないと想います。

それで、例えば、宮古上布が欲しいという消費者が呉服屋さんの店頭に現れたとします。まぁ、たいていは在庫などないでしょうね。琉球染織展なら、おいてあるかもしれない。

でも、重要無形文化財の宮古上布となると、藍の十字絣のみですね。それなのに、たいていは会場に1〜2反あるかないかでしょう。

これは、選択する、見比べて楽しむ便益を阻害している事になります。

お求めになって、着用いただければ満足されることでしょう。

宮古上布は麻織物ですから、シワになります。

着用すればシワになる。これは至極当然の事です。

そして、だんだんとクタクタになってくる。

これを直すにはどうしたらいいですか?

夏にクタクタの着物を着ていたら、いくら宮古上布でも清涼感は半減ですよね。

真夏は良い着物をピシッと着て居てこそ美しい。

キネタ打ちをし直したら直るんじゃないですか?

そんなこと、呉服屋さん、知ってますかね?

そんなサービス、宮古上布の産地として提供する体制はありますかね?

私達、問屋の在庫も、だんだんと反末がクタりかけてきます。

ん百万もする着物が、あとのフォローが無視されているんです。

すくなくとも、万全の体制をとっているとは思えません。

それと、消費者の他に、もう一つ問屋という客がいますよね。

問屋は在庫を抱えて、小売店の店頭や催事に宮古上布を持って行くわけです。

高価な夏物ですから、そうそう簡単には売れません。

そのうちに、反物を入れてある紙箱がボロボロになってきます。

ん百万する着物がボロボロの紙箱に入っていたら、それはまずいのです。

高級品は高級品なりのパッケージも必要です。

木箱にするだけで、長い流通に耐えることはできるし、値打ちもあがろうというものです。

和装業界が長い流通で、消費者の顔が見えにくいことに問題があるとは想いますが、見ようともしないことは大いに問題だと想います。

『サービスの束』が、高級品にしては細すぎるという事です。

宮古上布のイメージ作りも必要ですし、やることはいくらでもあります。

それを今までは問屋が肩代わりしてきたのですが、これだけ沖縄物が世の中に出回った後では、本気になって肩入れしてくれるところは、おそらく出てこないでしょう。

売れなくなったら、ポイ、です。

ポイされた今、ものづくりの命をつないでいくのは、作り手しかいません。

あるいは、宮古上布を誇りに思う宮古島の人でしょう。

大々的なキャンペーンなど必要はないのです。

問屋や小売店が安心してお客様にお勧めでき、消費者の方が満足と信頼を持って着用を重ねられる体制を作る事が作品の品質とともに重要な束の一つになると私は思います。

いまの、伝統染織はつくることにあまりにもかまけていた。

製品の周りにあるサービスも、品物のうちだとの意識改革を早急にしなければなりません。

2−2新製品・サービスの開発プロセス

  • 優れた技術を開発することと、それを製品・サービスとして市場に送り出すこととの間には大きなへだたりがある。この両者の隔たりを埋めるのが、新製品・サービスの開発プロセスである。

まぁ、簡単に言えば、新しい技術をどうやって、実際に役立つものにするか、生活を豊かにするものにするかを考えるということですね。

たとえば、口の中でサクランボの軸を結ぶ事ができるとしますよね。それだけでは、すごーい!で終わりです。この舌のこまやかな動きを何に役立てるのかを考えるのがサービス開発のプロセスということです。何に役立つのか知りませんが(^^;)

図2−3に新製品・サービスの開発プロセスが書いてありますね。

  • アイデアの創出
  • コンセプト開発
  • 技術・収益性計画
  • 製品・サービス設計
  • 要素技術開発
  • 工程設計と生産準備
  • 市場導入

このプロセス全体を通じて、マーケティング・ミックスと連動して行くということです。

今回は南風原の絣をテーマにして考えてみましょうか。

  • アイデアの創出

 ここで行われるのは、いわゆるマーケティングリサーチというやつですね。雑誌やアンケート、業者間の情報などからアイデアを得るわけです。

この過程を通じて、『もっと安くて普段に気軽に着られる絣を作ったらどんなかね?』と思いついたとします。

  • コンセプト開発

簡単に言えば、『普段に気軽に着られる』というのはどういう事で、現実にどんな風に着てもらおうとするのか。

つまり、生みだそうとする製品がどんな『ライフスタイル』や『生活シーン』を提案できるのか、ということです。

それで、『普段に気軽に着られる』というアイデアをコンセプトに変換すると、

  • 家庭で洗える
  • 安価である
  • ケアに手間がかからない
  • 洋服の中に入っても違和感がない
  • 目立たない

などがあげられるのかと想います。

  • 技術計画と収益性計画

まぁ、こんなのは当たり前の事ですわな。

そのコンセプトを現実に形にするための技術があるのかどうか、そしてそれが、そろばんにあうのかどうかを考えるということです。

コンセプトを形にする為に、例えば『綿糸』を使うとしましょう。

南風原で綿を栽培して紡ぐなんてことはできませんし、当然コストも合わない。

綿を織る技術はありますね。綿糸を買えばなんとか南風原の中では染織は可能です。

次は、それが採算に乗るかです。

P39に出てきている製品コンセプトと連動する『ターゲット』『ポジショニング』はここで必要となってきます。

ここはポイントですよ。

いろなマーケティングミックスや開発プロセスの構成要素がありますが、それが登場してくるのは、いつどんなときか特定できないのです。それを考えつくのには『経験』と『情報』が必要です。

今回の新製品は安価なものですから、いままでの絣を買っていた人よりも所得の低い層を狙っているわけですね。

市場価格で仕立て上がって10万以下という感じでしょうか。

ポジショニングというのはその製品が市場の中でどんな位置をしめるかという事ですね。要は、『その製品の存在価値』の置き所という感じです。

縦軸に価格、横軸にフォーマル→カジュアルと取り、市場を割っていくと、

新しい製品は、低価格でカジュアルの右下の方に位置します。

いままでの絣から価格帯として2段階下げたものと位置づけるとします。

その周りにある商品群はなにか?

10万前後のカジュアルの着物・・・

手織りではありませんね。案外この部分の手織り製品はありません。

ということは、もしかしたら存在価値があるかもしれない。

それで、綿糸を手でかすり括りして、手織りで織って、市場価格10万でいけるのかどうかです。

無理ですね。

いくら大量生産して、効率を上げても無理だとします。

南風原の絣として伝統工芸品となるためには手投げヒを使わないといけません。

ここは、崩せない要素です。

ということは、絣を減らす、経絣だけにする。あるいは縞にする。

これでどうですか。

また、色を規格化して、5色にしぼって、大量に糸染めをする。

悪知恵ですが、糸の染色は外部委託する方法も考えられます。

それでだめなら、ポジショニングとターゲットを変えるのです。

現実とすりあわせしながら、市場における製品の位置を変えて試してみる。

この作業を繰り返していくのです。

  • 設計から試作・生産へ

上のようにして考えたプランを現実に形にしてみる作業です。

ここで、本当に実現可能なのか、できあがった商品を見て、競争の中で勝ち目があるのかどうかを、現実の問題として考えてみるのです。

できあがった、シンプルな綿の絣あるいは縞のきもの。

これが10万円で消費者に受け入れられるのか。

ここでも必要なのは、『経験』と『情報』です。

いままでは、問屋がこの二つを提供する機能を担ってきました。

いわば、作り手は市場活動において受動的な立場であったわけです。

作品づくりは能動的であっても、市場においては、問屋や消費者に選別され、指図されるだけの存在であった、それが現実の姿です。

しかし、これからは、自らの手で斬り込んでいかねばならない。

問屋が『こんなの作ってみたら』と言うのを『イヤ!』とか言っているのではなくて、自分で納得して自分らしさを市場の中に押し出す知恵を得る。それがマーケティングなんですね。

生産活動と市場活動は重なってはいますが同じではない。

市場を見ない生産活動は、闇雲にトロール漁船を出してエチゼンクラゲを捕っているようなもんです。

話はそれましたが(^^;)、糸や機に向いている目をほんの20度ほど上にあげて、市場を世の中を見てみる。これがマーケティングマインドの導入です。

  • 市場導入

この段階で、最終的に市場に投入されるわけですが、マーケティングはここでも終わったわけではありません。製品の売れ筋や売れ行きを見ながら、修整を加えてかねばなりません。マーケティングとは市場との会話です。同じ綿の絣でもどんな色がよく売れるのか、どんが柄が好まれるのか、季節によってそれは違うのか、もうすこしターゲットを高所得者層に変えてみようだとか、案外年配者が若向きの色を買っているから、それに向く色を増やしてみようだとか、いろいろ市場が教えてくれるわけです。そしてそれをまた上記のプロセスで組み立て直してみるわけですね。

作り手の中には、『私は作るのが好きでやっているのであって、売れても売れなくても良い』というなら、それはそれでいいのです。それも工芸家としてあってもよい姿勢です。ただ、マーケティングの発想法は染織家として食べていけるようになりたいと言う人の助けになるだろうと想います。また、売れない事を他人のせいにしている人には、自己を分析し反省する材料を提供するものともなるはずです。

大切な事は、作っている作品は消費者に着てもらって初めて命を得るのだという事です。いくら織ったり染めたりしても、着てもらわない着物は彫っただけで魂の入らない仏像と同じです。それはそれで観賞用として存在価値はあるけれども、本来の価値は発揮されないのです。

要は、自分の価値観・美意識の中で作り出された作品にどうやって『命』を吹き込むか、その作業工程と発想法がマーケティングなのだと考えたらいいと想います。

ただ、売り込むのでもなく、市場におもねるだけでもない。

自分を、そして自分の作品を正しく評価してもらうために工夫する術なのです。

2−3アソートメントのデザイン

アソートメントというのは簡単に言えば品揃えとかラインナップという意味ですね。

『製品・サービスのアソートメントは、企業が扱っている製品・サービスの「ラインの数(カテゴリーの数)」と、各ライン内の「アイテムの数」とによってとらえる事が出来る。前者を製品・サービスの「ラインの広がり」、後者を製品・サービスの「ラインの奥行き」という』

このテキストではトヨタ自動車が例に挙がっていますが、これはちょっと微妙なんですよね。

なぜかというと、市場におけるその会社の位置づけによって、アソートメントの戦略は変わってくるからです。

これを『競争対抗戦略』と言いますが、企業を市場における位置づけで四つに分類して、その戦略を類型化する考え方です。

目次を見てみると、この事はテキストに掲載されていないようです。

私が大学時代に学んだのはこのテキストの著者の一人で、村田ゼミの先輩である嶋口充輝さんが書かれた『戦略的マーケティングの論理』という本です。

アマゾンで中古本が売ってますから、良かったら詠んでみてください。

ここで、簡単に説明しておきますね。

企業は、市場における位置によって、リーダー、チャレンジャー、フォロワー、ニッチャーの四つに分けられます。

それぞれの戦略的特徴は、

  • リーダー[オーソドックスな戦略]

全天候型戦略

市場シェア、利潤、名声を追求する

  • チャレンジャー[差別化戦略]

経営資源ではリーダーに劣るが同一市場を狙う

リーダーに対する徹底した差別化戦略

リーダーに取って代わることを狙う

  • フォロワー[模倣戦略]

リーダー、チャレンジャーが争っている部分を避け、二次市場、三次市場を狙う

リーダー・チャレンジャーの模倣戦略

  • ニッチャー[市場特定化戦略]

特定市場部分にのみ経営資源を投入し、そこに独自能力を集中発揮するゆえに、利潤と名声を得つつ、相対的にかなりの強みを有する。

私の場合、この市場対抗戦略のモデルが自らの戦略を練る上での土台になっていますね。

かつての自動車市場では、リーダーがトヨタ、チャレンジャーが日産、フォロワーがマツダ、ニッチャーがホンダと言われていました。

今はずいぶん違いますがね。

今は、リーダーはトヨタで変わりませんが、チャレンジャーはホンダ、日産はニッチャーになっているという感じでしょうか。

この類別は市場シェアと連動する場合が多いですが、必ずしもそうとは言えません。そこが面白いところで、家電なんかはどうでしょうね。

リーダーがパナソニック、チャレンジャーがソニー、フォロワーが東芝・日立、ニッチャーがシャープでしょうか。

お菓子とか清涼飲料水とか、当てはめてみると面白いですよ。

それで、肝心の染織の世界はどうか。

これは、小売店や問屋の世界で考えるとわかりやすいのですが、差しさわりがあるので、やめときます (^^;) 自分で考えてみてください (^o^)

産地別で考えてみましょう。

織物はわかりにくいので、染め物で行きましょうか。

リーダーは圧倒的に京都ですね。

チャレンジャーは・・・不在です。

フォロワーは十日町

ニッチャーはその他、東京、金沢、そして沖縄です。

ニッチャーの戦略はどうでしたか?

特定市場部分にのみ経営資源を投入し、そこに独自能力を集中発揮するゆえに、利潤と名声を得つつ、相対的にかなりの強みを有する。

ということです。

いいですか?

独自能力を集中発揮するゆえに、かなりの強みを有するのです。

すなわち!

フォロワーの様な模倣戦略をとっては、市場において存在価値を失うということです。

フォロワーである十日町の戦略はどうですか?

京都の模倣を基本にした、低価格路線です。

これが、分業されていない加賀友禅や紅型で可能ですか?

ニッチャーの戦略は簡単に言えば、すき間戦略です。

京都がやらない、やれない部分に集中して強みを発揮するのです。

ということは、京友禅とは存在領域を分けるということです。

ですから、沖縄は沖縄のよさ、金沢は加賀友禅独特の良さを、最大限に発揮するための努力をすべきであって、京友禅の美意識にすり寄ることは、埋没を意味するのです。

美空ひばりがどんなにうまくても、カンツォーネではミルバに勝てっこないのです。

京風の紅型がいいなら、京都の人が紅型をやるでしょう。

京加賀が本加賀に勝てないのは、金沢の人の持つ美意識に加賀友禅が合っているからでしょう。

紅型だって同じです。

ですから、沖縄は、京都の後追いや模倣をしてはなりません。

あくまでも、独自性を追求することこそが生きる道であると考えるべきなのです。

商品のアソートメントもそこから考えなければなりません。

紅型の強みはどこにあるのか。

キモノなら留袖、振袖、色留袖、訪問着、付下げ、小紋とあります。

そして、帯ですね。

そして、小物。

どこに、どう使ったら、紅型のよさがきわだつか。

その特性を踏まえることがアソートメントを考える一番の基本だと想います。

2−4 価格の役割

  • なぜ価格のデザインを行うのか。

おもしろくなってきましたね(^o^)

ポイント

  • いかにすぐれた製品・サービスであっても、適切な価格で提供しなければ、買い手は購買しようとしない。
  • 価格の設定を通じて、製品・サービスに対するプロモーションの効果を高めたり、取引条件を改善したりすることもできる。

『価格とは、製品・サービスを購入する際に、買い手がその対価として支払金額のことである』

『価格デザインの中心的な問題は、製品・サービスの価格をどの水準に設定sるかという問題である。生産に同じ費用を要する製品・サービスでも、価格を高く設定した方がよい場合もあれば、低く設定したほうが良い場合もある』

ここは大きなポイントですね。

大切な事は、価格をかかったコストにもたれて設定してはいけない、ということです。

これは『芸がない』と俗にいいますね (^o^)

価格とは、製品やサービスの対価として支払う金額の事なのです。

生産から流通に渡るコストや利益の累計ではない、ということです。

つまり、結果として『価格は消費者が決める』

もっと簡単に言えば、『価格を受け入れるかどうかは消費者次第だ』ということですね。

世の中には価格に対して『良心的』とか『リーズナブル』という言葉がよく使われます。

でも、現在においては価格は決してリーズナブルではないし、社会的に見て良心的なものが中心となって動いてはいません。

着物に関しては原価を下回っているものもあるし、それが結果として生産者を苦しめています。

これはリーズナブルでも良心的でもありません。

しかし、消費者が受け入れた価格がその商品の価格であると、結果的にはなってしまいます。

消費者は受け身であるけれども、主導権を持っていると言うことです。

求婚と同じですね。

男性がプロポーズしなけば、女性が受け入れるということもない。

では、男性が決めるのかといえば、決めるのは女性です。

男性は事前にいろんな手段を講じて、女性にイエスと言わせる下ごしらえをします。

悪く言えば包囲網をかけていく。

でも、男性がどんなに自信があって、社会的に価値ある人だとしても、求婚を受け入れるかどうかは女性の判断にまかせるしかしょうがない。

これが自由競争というものです。

なかには、半ば強引にというケースもあるようですが・・・ (^o^)

大きく横道にそれましたが、

つまり、価格は消費者が受け入れた時点で確定するけれども、流通が提示しないことにはその実現は無い、ということです。

いまの呉服業界はどうでしょう。

完全なる価格崩壊です。

着物ファンにとっては、嬉しいことかもしれません。

しかし、私は、これは将来に禍根を残す業界の大失敗だと想います。

バブル崩壊から、金融危機、つい最近のリーマンショックと着物の価格は、まるで下りのエスカレーターのように右肩下がりを続けてきました。

これは、着物は高いから売れないのだという声や、過剰生産のはけ口を求めた事など、様々な原因があります。

でも、基本的に着物市場の需要が絶対的に減少したのだという理解が全く不足していた事が原因ではないかと思います。

その上に、ネット販売の拡大や、NC(大手チェーン店)の過量販売によって信販がくめなくなったのも大きな原因でした。

でも、このままの状態では、新たな生産が出来ません。

コストが全く見合わないからです。

なぜ、こんなことになったか?

流通が市場を無理に広げすぎたからです。

それも、莫大な借り入れをして、市場をこじ開けたために、販売縮小ができなかったのです。

なぜ、そんなことが出来たのか。

それは、低金利政策のおかげです。

でも、状況は一変した。

低金利政策で金は借りやすくなったが、金利所得で贅沢品を買う人が減った。

その分、ローン販売で裾野を広げてきて、成功したのですが、そのローンが組めない。

信用と、利潤と、作り手の将来と・・・

価格政策の失敗はあらゆる物を破壊してしまいます。

伝統工芸においては、画期的な技術革新は望めません。

大増産してコストを下げても、それを受け入れるだけのマーケットも無いのです。

伝統染織の世界は、作り手も流通も犯してはならない罪を犯した、と言うしかありません。

とても残念ですが、認めねばならない現実です。

その落ちた価格から、どうやって元に戻して、作り手が生活していけるレベルに戻すか、それを考えなければいけません。

限定的ですが方法はあります。

消費者の方からよくお聞きする話は、問屋や小売店が利益を取りすぎだ、という事ですが、これは現状では正しくないと想います。

結果として、消費者の方は産地まで直接買いにおいでにならないし、直接消費者に売る作り手は流通が相手にしなくなります。いつお越しになるかもしれないお客様を待って作るほど、作り手はのんきでも裕福でもありません。もちろん、限られた人はやるでしょうが、業界全体としては現状では非常に困難です。

価格を下げて品物を出した作家が同種の流通から締め出されるという例は枚挙にいとまがありません。それは、いろんな理由がありますが、流通が悪いともあながち言えないのです。現状では、作り手の安定した制作と生活の為には流通の役割は無視できないという事だろうと想います。

優秀な流通ほど、価格動向をきちんと見ているものなのです。

そして、価格が品質と同じくらい店の信用を担っているというのも事実なのです。

価格に関しては、現在のところオープンプライスですが、作家は自分の作品の希望小売価格を設定してみるべきだと想います。

例えば着尺を100万円で小売して欲しいと想えば、各流通段階にいくらで出せばいいのかが算出できるはずです。自分の希望する流通ルートの設定もできるはずです。問屋を通すのか、問屋を飛ばして小売りに自分でアタックするのか。その両方なのか。流通のどの部分に商品を流すかによって作家出しの価格を決めればよい。それを一緒くたにするから、おかしな事にもなるのです。作家が自分で流通政策を決めて、価格をコントロールする。これは永く仕事をしていく上で、非常に大切な事です。

価格が壊れるのは、作り手の流通の無理解や、流通の市場無理解が原因です。

産地とつながらない個人作家なら、個人が壊れるだけですみますが、産地がバックにある伝統工芸の場合、産地と歴史が壊れてしまいます。

価格政策は大所高所に立って、将来、道を継ぐ人たちのことも考えて、あくまでも長い目で行わなければなりません。

  • 『安さ』の魅力

ここでは本文よりも、コラムに書いてある『ロス・リーダー』(目玉商品)について考えてみたいと想います。

『製品・サービスの価格は一般に、生産や調達に必要とされるコストを回収できるように設定される』

これが大原則です。

でも、それを下回って出てくる品物があります。

これがいわゆる『目玉商品』です。

スーパーのチラシなんかにデカデカと出ている品物です。

卵10個で10円とかいう、あれですね。

これが、着物市場にまで入り込んでいます。

人間国宝の帯と着物で○○万円。

えっ!? です。

これを客寄せに使って、他の利益をたっぷり載せた商品でもうけようという戦術ですが、これが破綻しています。

いま、結果として、目玉しか売れなかったという話を良く聞きます。

それは、小売りや問屋が損するだけで済みますが、もっと大きな問題があります。

目玉は、低価格のイメージ効果が出やすい物が対象になりやすい。

沖縄の物でいえば、芭蕉布なんかがそうですね。

一般的に非常に高価で、希少性も高く、ネームバリューもある。

しかし、作家の格(ランク)と価格は正比例していないと、正常な市場は形成されません。

簡単にいえば、同じ産地の物で、人間国宝が作った物と、芸大出たばかりの新人が作った物とでは厳然たる価格の差がなければ、市場の天井は落ちてしまって、市場全体が壊れてしまいます。

プロ野球の世界で年俸が永く低く抑えられていたのは、王・長島が年俸闘争をしなかったからだと言われています。落合が天井を上げたからいまの一億円プレーヤー乱立という時代になったわけです。

ところが、人間国宝の作品が、中堅どころの作家の価格より安くなったらどうでしょう。

具体的には、人間国宝の作品が10万円で出されているときに、中堅は7万、若手は5万で出ていたのが、人間国宝の作品が5万で出るようになった。あるいは、人間国宝自体が出し値を下げた。

中堅は5万、若手は3万・・・

これでやっていけると想いますか?

工芸のトップにいる人は、強烈な自覚を持たねばなりません。

トップの人が高い値段を通しているのは、窮地に陥ったときでも、値段を崩さないための保険だと想うべきなのです。

自分の作品の価値だと思い上がってはいけないのです。

トップに君臨する作家は、絶対に天井を下げてはいけない。

安く売る流通があったら、そこから品物を引き上げるくらいの覚悟をしてもらわなければいけませんし、そのために、それまで高い価格で通してきたのです。

値段が通らなければ、品物は出さない。

それが、王座に座る物のプライドでありましょうし、将来を担う人たちへの責任です。

誰だってお金は欲しいし、豊かになりたい。

そして、現実に生活をしていかねばならない。

だからこそ、価格政策においては、自我を抑制し、周りをよく見て、また、自分の立場を十分にわきまえて、判断すると言うことが必要なのです。

2−5 戦略的な価格デザイン

ここは本当に面白いですし、生活の中でも、実感できる部分が多いのではないでしょうかね。大半の話題は教科書を読めば解るでしょうが、少しずつみていきましょう。

<需要の価格弾力性>

価格弾力性というのは経済学の用語です。

つまり、なんぼ値段あげたら、どんだけ需要が増すか、そういう話です。

値段さげても、大して売り上げ上がらないのに、値段さげてもしゃーないやん。

下手したら、かえって売り上げ落ちたやん。

そんな話がよくあります。

これはその商品が価格弾力性が低いから起こることです。

ですから、価格を下げるときには、結果として絶対に成功させなければならないと言うことです。

私は、下げて、売れなかったら、商売人として恥や、と思っています。

なぜか?

自分の扱っている商品の特徴や市場の特性を把握していなかったということになるからです。

これは、経済学とマーケティングを学び、商人として生きる者には、耐えられない屈辱です。

まぁ、自分の事は良いのですが(^_^;)、教科書に書いてある通り、値段をあげたら逆によく売れる様になった、という場合もあるのです。

ここが面白いところです。化粧品や健康食品なんかはそういう傾向があるそうですね。

これは『価格に依拠した価値の推定』がされていると判断するわけです。

つまり、こんだけ高かったらよう効くやろ、と考える、ということです。

教科書に書いてあることは、実はマーケティングという学問の本質を表しています。

経済学では、変数として取る物以外を一定と考える。そしてその変数の相関関係を考察していくわけです。

でも、マーケティングは、その変数から数式やらを、まわりの別の要素を使って揺り動かしてやろうとするのです。

経済学的に言えば、良い食材を使って良い料理人が調理すれば、美味しいものが出来ると考える。でも、マーケティングは、その前に、食べる人の好みや、空腹感、料理を出すタイミング・組み合わせで、その前提を突き崩そうとするのです。

ここで、ポイントです。

  • 一般に、短期的には、価格を引き下げることで製品・サービスの販売料は増える。だが、長期的に見ると、価格の低下は、製品・サービスに対する顧客の評価を低下させることになりやすい。製品・サービスの価格を設定する際には、短期的に直面する需要の価格弾力性だけでなく、価格に依拠した価値の推定から生じる長期的な影響についても配慮することが必要である。

基本中の基本ですね。

昔、ヒロタのシュークリームというのがありました。

とても美味しいシュークリームで、幼い頃に両親がお土産で買ってきてくれるのが楽しみでした。ところが、あるところから、値段を下げた、ところが、その分、小さくなって、カスタードクリームの量も減って美味しくなくなった。

そんな経験を誰しもがしているわけですね。ですから、値段が下がったら、その分、品質も悪くなっているんではないかと、誰もが疑心暗鬼の眼を向けるわけです。そして、誰も買わなくなって、ヒロタのシュークリームはどこかに消えてしまいました。

この価格に関する話は、主婦にとってはとてもわかりやすい事だと思います。

それだけに、いかに価格戦略というものを企業は綿密に多角的に取っているかがよく分かるでしょう。

反面、私達和装業界はどうでしょう。

伝統工芸には、技術革新もなく、デザインの大幅な変更や、新たな用途の提案などはほとんど望めません。その中で、あるときはぼったくり、ある時は投げ売り。これは、マーケットインでもなんでもありません。安定した需要は安定した供給とそれにともなう安定した価格があってこそ生み出されるものだと私は思います。

私は街を歩くとき、すべての商品(もちろん和装品以外も)の価格をあてっこして行きます。商品を見て、その商品の価格を当てるのです。そして自分の商品を見る目と価格感覚を養い、世間とのズレを修整していくのです。

デパート、スーパー、大阪なら船場センタービルなどで、どんどん端から端までやっていく。

もちろん、高級とされる着物も宝石も、美術品も。

なんのためにするかといえば、適正価格を導き出すためです。

それが出来ないと、仕入れが出来ないのです。

作家さんが出した作品を見て、それがいくらで売れるか。

作家さんが提示した値段を聞いて、それで採算がとれるのかどうか。

そのためには、その時点での市場動向と、他の同じ分類の商品とのバランス、品質、デザインなど、ありとあらゆる要素を考え合わせて仕入れするかどうか判断するのです。

ですから、新人作家でも、人間国宝でも、バランスさえ取れていればOKなわけです。

新人でも、すばらしくセンスが良い、価格は中くらい。これならいけます。

人間国宝で価格が高い。でも、センスが悪い。これはいけません。

価格など他のマーケティング・ミックスを考えるときに大切な事は、

一度プロの世界に入ったら、新人も人間国宝も同じ土俵で戦うのだという認識

を持つことです。

消費者は、新人だからと甘く見てくれません。

序の口が横綱と戦うときにどうすればいいのか。

相撲の世界なら、胸を借りるだけでいいでしょう。

でも、私達の世界は負け続けでは、食べていけませんよ。

才能と努力に自信があるなら、Productの差を他の3Pで補うことです。

同じProductでも、低いPriceなら勝てるかも知れない。

別のPlace,別のPromotion.

対象顧客を変えれば観る人も変わる。評価する人も変わる。

造らなきゃ、腕は上がらないし、買ってもらわないと、仕事は来ません。

ゴルフの様にハンディはありません。

今回の価格戦略をはじめ、マーケティングを自分の制作や販売に生かすためにはできるだけ沢山のパターンを頭に詰め込むことです。

この章に書いてある事例を理解するのはもとより、他の身の回りにある商品の戦略を自分で分析して当てはめてみる。

そうすれば、自分の作品に一番適する戦略が描けると思います。

その時、考えなければいけないことは、自分がどの立ち位置に居るかです。

創作なら何をしてもいいでしょう。

でも、伝統工芸に立脚しているとしたら、それは自分の前と後にいる人の事を考えなければならない。

そこが染織マーケティングを考える上での根幹です。

なぜ、和装業界が現在のていたらくなのか。

それは、作品を大して知らない、愛していない流通がマーケティングをコントロールしているからです。

それは販売が難しいという商品の特性にも起因していますが、基本的には作品のマーケティング・デザインは作り手が主導すべきだと私は思います。

作り手は、品物を問屋に出せば、それで終わり、これでは、せっかくの作品が菜っ葉や大根の様に扱われても仕方がないのです。

今や、菜っ葉も農家が色々工夫をして、味だけでなく安全と安心を、自分の顔と名前でアピールしている時代です。

一番、生活に密着したマーケティング。それは価格戦略です。

まずは、身の回りから見て、じっくり考察してみましょう。

第1章 市場を作り出す企業活動

『高度な技術を確立すれば、あるいは優れた製品を開発すれば事業は成功する』という思い込みを脱することが、マーケティングを理解し、実践するための第一歩である。

作り手にとっては厳しい言葉かもしれませんが、これが真実です。

世の中には、作品はたいしたことないのに、有名で、作品も高値で取引されている作家がいます。

いうなればこの人たちは、マーケティングで食べているのです。

専門的にみれば、たいした技術でなかったり、品質に問題がある作品でも、その作家にたいしてもたれているイメージが、その作品に載っかっているわけです。

その人たちに対して私は良い感じをもってはいませんが、評価すべきは自分の土俵をきちんともっているという事です。

この土俵が、後に述べられるであろう『戦略ドメイン』です。

自分が得意とする作品のイメージに合わせて自分自身の人間性のイメージを作り上げているのです。

こった作品やいままで無かった技法を使って悦に入っている人を多く見ますが、私はわざと冷淡な態度をとります。

そんなものは売れるための要素にはあまりならないのです。

技術革新の無い伝統工芸の世界で、いかにマーケティング戦略を組み立てるか。

その手法の基本になるのがここに書いてある4Pであり、マーケティング・ミックスです。

1−1 マーケティングの役割

ここに書かれている事例は

NTTドコモが広告・パブリシティ戦略
3.5インチドライブは競争対抗戦略上のニッチ戦略
カップヌードルはライフスタイル戦略

という基本的マーケティング戦略で説明できます。

なぜ、この事例がここで書かれているかというと、この本を書いている学者からみて、戦略が見えているからです。

という事は、戦略を知っていれば、問題点にも気づくし、対応策も組み立てられるという事です。

事例を読むと、なんだ、染織にはあんまり当てはまらないのじゃない?と思うかも知れませんが、それは違います。

染織において、自分の得意技や生存領域ごとに戦略は変わってくるのであり、できるだけ多くの事例を頭にたたき込んでおくことは、絶対に無駄にはならないのです。

著者たちはいろいろ言っていますが、結局マーケティングとは『いかに相手を自分の土俵に引き込むか』なんです。そして、『自分の土俵をどこにどう設定するか』です。

上の三例だけでも、結構参考になりますよ。

染織の世界でいえば、広告・パブリシティのうまいのは志村ふくみさんでしょうね。

ニッチ戦略といえば、琉球染織自体がニッチですが、花倉織をナイチャー独特のセンスで作り続ける伊藤峯子さんなんかは、それでしょう。

ライフスタイル戦略は、西表で自然と共生しながら作品づくりを続け、伝統衣装のスディナを提案する石垣昭子さんにはそういう感じを持ちます。

自分の身近にいる作家さんがどんなパターンに当てはまるのかを考えてみることも非常に勉強になります。その中で、自分はどの道を選ぶのか。

そのためには、まず自分を知ることと、自分を持つことでしょう。

マーケット・インとは市場に迎合することではありません。

市場を作り上げることです。

そのためには、大きな力が必要です。

小手先の戦略では、『マーケティング・マイオピア』に陥ってしまいます。

1−2マーケティング・マネジメントの基本的枠組み

ここではマーケティングの基本的概念について書いてありますね。

マーケティングとは企業が顧客のとの関係の創造と維持を、さまざまな企業活動を通じて実現していくこと。

と書かれています。

そしてマーケティング・ミックスとはProduct(製品)、Price(価格)、Place(

流通)、Promotion(販売促進活動)の4つのPを交えて構成される戦略であること。

マーケティング・マネジメントとは、

内的に整合性がとれていると共に、外部環境とも整合的なマーケティング・ミックスを実現するためのマネジメント・ミックスを策定するとうのが、その基本的枠組みである。

ここで4Pについて事例が書かれていますが、これがマーケティングに対する誤解を招く原因かもしれませんね。

著者は、誰もが知っている会社の一般に知られている成功例を挙げて、理解しやすくしているだけのことだと理解すべきで、マーケティングが大企業による大量生産商品のみを対象としている、というのは大いなる誤解です。

マーケティング戦略は、規模の大小を問わず、また扱う品物の如何を問わず、普遍的に通用する考え方だと想います。

では、既存の染織品について4Pを元に分析してみましょう。

ここでは久米島紬を例に挙げます。

<久米島紬のProduct>

  • 日本の紬の源流と言われる織物である。
  • 重要無形文化財に指定されている。
  • 久米島で採れる植物染料で染められれている。
  • 泥染めは特に有名で大変な手間を掛けて制作されている。
  • 手織りである。
  • 久米島の特産品である。
  • 沖縄県の中では生産量の多い産地である。
  • 御絵図帳をもとに作られた貢納布が存在した。
  • 品質にはばらつきがある。
  • デザインや品質は作り手に任されている
  • 製品の半分は泥染め(黒)である。

<久米島紬のPrice>

  • かかる手間と比較すると産地出し価格は安い。
  • 製品の優劣と価格が正比例していない。(良い製品が高いとは限らず、粗悪品が安いとは限らない)

<久米島紬のPlace(流通)>

  • 大部分が組合を通って流通している。
  • 組合からさらに、地元の問屋や内地の問屋を通り、小売店にわたるという経路を取る。
  • 小売店はほとんどが委託販売を行っている。
  • 通常、店頭に並んでいる事は少なく、織物の特集や、沖縄物の特集として出品される。
  • 地元における需要はほとんど見込めない。

<久米島紬のPromotion(販売促進)>

  • ゆいまーる館で、見学者を受け入れている。
  • 展示会の時に、産地から実演や販売応援にでる。
  • 販売促進のほとんどは流通業者が行っている。
  • 地元での販促は組合にゆだねられていて、作り手の自由にならない。

こうやってみていくと、Productは充実していて、Priceも競争力があるのに、PlaceとPromotionが極端に弱いことが解ります。

着物の場合、このPlaceとPromotionを請け負っているのは流通業者なわけで、大手製造業とは根本的に違う部分です。

問題はどこにあるのかというと、この流通業者は、沖縄を専門にしているわけでも、沖縄に特別に精通しているわけでもない場合が多いという事です。

少し前までは実名をあげて恐縮ですが『染と織 琉藍』という会社が沖縄の専門問屋として流通と販売促進を担当していました。

琉藍さんによって、流通量は拡大し、それに伴って生産量も拡大しました。それは大手問屋との取引、NHKなどのマスメディアや写真集の発行などでの、強力なプロモーションが仕掛けられたことで、久米島紬をはじめとする沖縄染織は隆盛を見たのです。

その反面、肝心のProductはどうなったでしょうか。

琉藍さんがかつての勢いを無くして、二つのPが弱くなり、重要無形文化財指定による値上げでPriceも競争力を低下させました。

ここ10年ほどの沖縄染織の動きを見ていくと、琉藍さんによるPlaceとPromotionの圧倒的な力で、市場に押し込んできたと考えるべきなのです。

そこは真摯に反省しなければなりません。

伝統工芸においは新しいProductや技術革新は望むべくもありません。

そんな世界で、強烈で突出した流通拡大と販売促進戦略をとればどうなるか。

後で学びますが、マーケティングには『製品ポートフォリオ分析』という手法があります。教科書では160ページから書かれています。

市場の成長率を縦軸に、市場シェアを横軸にとり製品を金のなる木、スター、負け犬、問題児に分類するのです。

大手製造業の場合は、このポートフォリオ上での製品の位置を確認して、新しい製品を生み出していき、経営の安定化を図るのですが、伝統工芸の場合はそうは行きません。

この市場成長率が低い市場で、市場シェアも低く技術革新も望めない製品群のものを市場に大量に詰め込めばどうなるか、それは明らかだったのです。

ですから大切な事は4つのPを統合的に考えることなのです。

どれか一つが突出したり、製品にあっていなかったりすれば、帰って商品のライフサイクルを短くしてしまいます。

久米島紬などの伝統染織の場合、4Pのうち基軸になるのはProductであるはずです。惜しむらくは琉藍さんの制作はあまりにもPlaceとPromotionが突出していたし、久米島紬の特性には合っていなかったのではないかと想います。

製品や企業の特性によってどのPを戦略の柱にするのかは違ってきます。

しかしそのPがほかの3つのPを制御するのではない、ということです。

あくまで、どれが牽引するかです。

伝統工芸の場合、他に変わり得る製品がないわけですから、あくまでProductを中心として、その競争力を高めていくことが必要なわけです。

それを誤ると、伝統工芸そのものを破壊してしまいます。

洋酒などは、かつてのサントリーが巧みなCM戦略で新たなライフスタイルを提案し、需要を伸ばしてきました。昔は、ダルマと言われたサントリーオールドやリザーブが主流で最高級と言えば、ローヤルだったわけです。為替の関係で輸入ウイスキーが安く手に入るようになって、品質を挙げないと価格とイメージ戦略だけでは、立ちゆかなくなった。それで作り出したのが山崎であったのだろうと想います。

市場の状態、作り手の状態、等々によって、マーケティング・ミックスは変わってきます。それは、さらにもっと大きな戦略と結びついていくのです。

1−3 マーケティング・マネジメントの機能

<なぜ4つのPなのか>

  • 4Pとは、現象を深く考察したり、企業活動の戦略的な展開を検討したりする際に、この分析的な思考を導くための枠組みなのである。

まぁ、そういう事ですね。

まずは4つのPという座標軸、基準で物事を分析してみると言うことです。

モノを買う側に立てばわかるでしょう。ここでも4つのCという話が書かれていますが、逆に消費者の立場に立てばわかりやすいと想います。

カレールーを選ぶときにどうえらぶか。

辛口か甘口か、値段が高いか安いか、その店にしか売ってないか、どこでも売ってるか、有名かそうでないか。

いろんな分析を瞬時に巡らせて女性は買い物をしているはずです。それは意識していないだけで、明確に基準があるはずなのです。

消費者の立場から、反対側に立って、見た場合どんな基準で考えるべきかを示したのがこの4Pというわけですね。

つまり、

  • 4Pを用いることによって、マーケティングに関わる問題の認識と実践が、より的確に行われるようになる。
  • バランスのとれた包括的な理解と対応が可能になる

=ひとつの要因ではなく、4つのカテゴリーに帰属する多様な要因の分析を通じて顧客との対応を考え抜くことができる。

  • マーケティングに関わるさまざまな手法や活動が統合的に認識され、実践されるようになる。

=4Pという視点を与えられることで、製品、価格、流通、プロモーションに関わる手法や活動は個別に計画・実行され、ばらばらに評価されるものではなく、顧客との関係の創造と維持という共通の目的のもとで、総合の整合性に注意しながら計画し、実行し、評価されるようになるのである。

ということです。

先週述べたことですね。

あくまでも4つのPは統合的に用いられてこそ意味があるのです。

そして、この教科書の中では

マネジメントの基本は仕事の分担や連絡、調整の枠組みを整え、組織的な活動を円滑に推進するための仕組みを作ることにある。

という観点からマーケティングを統合するための要素として

『マーケティング・ミックスの内的一貫性』

=4Pの個々の要素が相互に均整のとれたものとなっている

『マーケティング・ミックスの外的一貫性』

=4Pの組み合わせと企業の直面しているマーケティング環境とが相互に整合したものになってる

の両方が必要だと書かれています。

すなわち、ミックスジュースがどんな味で、値段がいくらで、どこで売っていて、有名かどうかだけじゃなくて、喉が渇いているかとか、天気がよいかとか、健康ブームだとか、ありとあらゆる内外の事象を総合的に捉えて分析する、ザッといえばそういう事です。

<マーケティング・ミックスの内的一貫性>

  • マーケティング・ミックスについては、それぞれの手法や活動の最適化を個別に追求しようとするだけでなく、それぞれが組み合わさったときに、その特性が相互に補完しあう関係を形成するようにしなければならない。

ということです。

いわゆるシナジー効果を生むように組み立てなければならないということですね。

ひとつのPが突出していたり、不適当だったりすると、それが原因で他のPにも悪影響を及ぼし、マーケティング戦略は不備に終わります。

それをいかに組み合わせるかがマーケターの力です。

そして適切なマーケティング・ミックスを行うには、そのマーケターのモノの考え方・人生観・職業観というのが如実に反映してきます。

とくに伝統工芸においては、その部分が担うところが大きいだろうと想いますね。

<マーケティング環境の把握と外的一貫性の確立>

  • マーケティング環境との整合性を判断するには『消費』『競争』『取引』『組織』の4つの問題への対応を検討していく事が必要である。
  • 顧客となる消費者、あるいは企業にとって魅力があり彼らの購買を促すものでなくてはならない
  • 他社との競争の中で自社に優位性をもたらすものでなければならない
  • 企業が実行可能なものでなければならない。それを支えるのが『取引』と『組織』である
  • 策定したマーケティング・ミックスと、研究開発、生産、物流、人材開発、資金調達などにかかわる自社の経営資源や能力との関係が問われる。
  • はわかりやすいですね。消費者にとってよい製品を作って提供するということです。
  • は、簡単に言えば『儲かるのかどうか』ということです。

関東方面のマーケティング学者の中には金を追求する議論を『儲けティング』と見下している人もいましたが、アホですね。

何の為にマーケティング戦略を練るかと言えば『負け戦をしないため』です。

負け戦は資源と労力の無駄遣いです。

儲けたお金を新たな企業活動や、従事者や、社会に還元するのです。

マーケティングというのはそのためにあるのであって、机の上で統計したり、学説を学んだりするのは下準備にすぎません。

このブログを読んでくださる作家さんたちは、プレーヤーです。プレーヤーはのるかそるか、勝つか負けるかのどちらかです。

戦場で兵法書をめくっても仕方がないのです。勝てる相手と勝負する。やるからには絶対に勝つ。そのためにあらゆる側面から分析する。

それが実践のマーケティングです。

話は飛びましたが(^_^;)、③、④はその事を言っていますね。

競争関係や社会情勢、自分たちの力を総合的に考えるという事です。

そのためには、クロスディシプリナリーなアプローチが必要なのです。

そして、力強く確信に満ちたマーケティング戦略を策定するためには、できるだけ広範囲に勉強すること、広範囲の友達(情報源)を持つこと、そして一番大切なのは自己を確立して自分をよく知ることです。

自分の長所短所を客観的に知らなければ、自分の作品のマーケティング戦略を描くことなど出来ません。

そして他の産地や作家の作品をよく知ること。

さらに、染織の全体像を通して自分の作品を見ることです。

それも客観的でなければなりません。

南風原の絣なら、それが沖縄の産地でどんな位置づけなのか。

もっとも大量に作られていて、かつ低価格です。

では、絣という切り口から日本全体の市場を見てみます。

久留米、倉吉、弓浜、備後、伊予、越後物、米沢、いろんな絣があります。

紬織としてはどうですか。

結城、石下、塩澤、白山、伊那、上田、などなどあります。

そういった全体像の中で捉えなければならないのです。

そして、南風原の絣が、どんな消費者をターゲットに物作りをしていくのかを考えるのです。

宮古上布は非常に高価な盛夏用の麻織物です。

という事は、富裕層、あるいは熱狂的ファンを対象としているはずですね。

そして、忘れてはいけないのは、紬や絣というのは基本的にカジュアルで、自分で着物が着られる人でないと対象にならないという事です。

これが同じ高級でもフォーマル着物と全く違うところです。

着物と言っても、カジュアルとフォーマルでは別物だと考えても良いほどです。

いくらお金があっても、自分で着られない人は宮古上布や絣は買わないのです。

細かい分析は後回しにしますが、自分自身と作品の特性、そして市場を徹底的に分析して、消費者に満足してもらう。そして、リピートを誘うしかこの小さな市場で安定した制作を続けることはできないのです。

1−4 マーケティング・マネジメントのプロセス

[ステップ1]マーケティング目標の確認

目標は市場シェアか、利益か、それともブランド認知の向上か?

[ステップ2]ターゲット、ポジショニング、コンセプトの設定

マーケティング目標の達成を見込めそうなターゲット、ポジショニング、コンセプトを明確化する。

[ステップ3]マーケティング・ミックスの策定

設定したターゲット、ポジショニング、コンセプトに沿って、マーケティング・ミックスを策定していく。

[ステップ4]消費対応、競争対応、取引対応、組織対応の検討

策定したマーケティング・ミックスについて、消費対応、競争対応、取引対応、組織対応を検討する。

問題があればステップ2に戻り、ターゲット、ポジショニング、コンセプトを再検討する。

[ステップ5]実行と再点検

策定したマーケティング・ミックスを実行し、その結果を再点検し、マーケティング・ミックスを修整する。

以上が、マーケティング・マネジメントのプロセスとされていますね。

ここで、少し説明が必要なのは②のターゲット、ポジショニング、コンセプトの設定でしょうか。

ターゲット=誰に売るのか

ポジショニング=どんな分類の商品にするのか

コンセプト=どういう説明をして売るのか

わかりやすく言えば、こういうことです。

この三つは『商品差別化』や『市場細分化』という事と大きく関わってきます。

現代のマーケティングは、ここが起点になっているといってもいいのではないかと想います。

私が学生時代に『分衆の時代』とか『小衆の時代』とか言われました。

日本全体、世界全体を大きく見て行っていたマーケティングをマス・マーケティングと言います。

しかし、それが『個性化』という変化で通用しなくなってきた。

なぜそうなったかといえば、市場が『飽和』したからです。

お腹がいっぱいなのです。

お腹いっぱいのとき、もうひと品。

そのとき、勧めるのは甘い物=デザートですよね。

デザートはどんなにして出てきますかね?

ケーキが一杯はいったワゴンがドーンときたり、お盆に数種類押ししそうに並べられていると、ついつい手が伸びてしまうものです。

男性なら、コニャックなど、強めの酒を飲むかも知れません。

それはフリーで選べますよね。

そういう事なのです。

チョコなのか、生クリームなのか、フルーツなのか。

それとも、コニャックなのか、リキュールなのか。

お腹いっぱいのひとには、好みに合わせてもうひと品、もうひと品と押し込もうという事です。

着物でいえば、紬類を買う人は、たいていはタンスに数枚の着物はすでに持っています。

タンスに入りきらない人も少なくない。

でも、着物を持たない人に売るのは至難の業です。

着物を着る人=すでに相当数持っている人、に買ってもらうにはどうすればいいのか、と言うことです。

度々引き合いに出して申し訳ありませんが、久米島紬の場合、沖縄の着物が好きという人はすでに持っているでしょう。たいていは泥染めです。

でも、泥染めの久米島を二反三反と欲しいかと言われれば、そんな人はごくごく少数でしょう。まぁ、二反も持てばお腹はギンギンという所です。

そんな人に、久米島紬をもう一反買ってもらおうと想ったらどうしたらいいですか。

色を変える、絣を変える、と考えるでしょう。

また、いままで久米島の泥染めが嫌いで買わなかった人に買ってもらうという手があるでしょう。

もう一反、また、買わなかった人に一反、勧めるためには、それぞれターゲットの選定を変えなければいけません。

もう一反という人には、泥染めのどこがよくて買ったのか、それを分析して品物づくりをせねばなりませんし、まだ買っていない人には、なぜ今まで買わなかったのか、泥染めのどこが嫌いなのかを考えて、嫌いな所を変えなければなりませんよね。

そこで役立つ概念がポジショニングとコンセプトです。

ポジショニングというのは、着物全体や紬市場で久米島紬がどんな位置づけであるかという事です。このときに必要なのが『市場細分化』です。久米島紬で動かせないのは、久米島で作られている事、紬糸を使っていること、天然染料を使っていること、手織りであることです。あとは動かせるわけです。

たとえば、縦軸に価格、横軸に対象年代を取るとします。

現在の久米島紬は、紬市場においては価格的には中の上に位置するのでしょうか。年代は50歳台から上ですね。ということは、ターゲットは年配の中流階級以上の女性ということになりますね。

ここで、ポジショニングを変えてみます。価格を高価格に、年代をもっと若年層に設定したとします。(現実に通用するかどうかは別の話です)明度の高い地色、色絣の多用、諸紬の使用などで今までと違った久米島紬を作る事が可能です。そうすればターゲットは、若年層あるいは、派手な物を好む上流階級の女性という風に変わります。この場合、コンセプトは、例えば、『復元された御絵図帳の久米島紬』でもいいでしょう。

このターゲット、ポジショニング、コンセプトの設定を消費、競争、取引、組織の各対応という現実とすりあわせて何度も行っていく、これがマーケティング・マネジメントです。

伝統染織の場合は、動かせる物と動かせない物をきちんと見定める。動かせないと言うことは強みであると理解すべきです。その環境の中で、動かせる物を多次元に設定して、どんな品物を作るのかを考えるわけです。

前提は、『市場はすでに飽和している』という事です。

その飽和している所に真っ向勝負で殴り込みをかけるのか、飽和市場の隙間を狙って、針の穴を通すような消費者のwantsを読み取って新たな需要を喚起していくのか。商品内容や、作り手の得意技、あるいは性格によってもまちまちです。

しかし、なんとなく思いつきでやるのは、お金と労力と資源の無駄遣いです。

このマーケティング・マネジメントに必要な分析をするには、できるだけ多くの価値判断の軸を持つ事が必要です。伝統の力だけでなく、現在の景気動向や市場動向、ファッションの流行廃りなど、多方面での知識と見識を持っていなければなりません。

たとえるなら落語のようなもんです。

今は立って漫談のような落語もあるようですが、落語は座ったままでやるから面白いのだと想います。制約があるから面白い。制約を利点と考えて、動かせる部分で最大限の創意工夫をするのです。

まずは、作品を作るときに、誰を対象としているのかを明確にしてください。

身近にいるおばあちゃんでもいいし、お母さんでもいい。

その人に、着てもらうことを前提に構想を練ってみてください。

私のような商売人の立場なら、電車の中で向いの席に座った女性にどんな着物をすすめるかを常に考えて訓練します。

その人の肌の色、服装の趣味、雰囲気などを総合的に考えて、勧める着物を決めてみるのです。

同じ事を作る人もやってみてください。