吉野の桜2016/4/5

そろそろ良い感じかなと想い、吉野へ花見に行って来ました。

天気予報は午前中雨、午後からは曇りの予報。

10時に藤井寺駅から近鉄電車に乗って吉野に着いたのは12時ちょっと前。

駅前で腹ごしらえをして、下千本までケーブルカーで登りました。

吉野といえば南朝があったところですね。

天気はこんな感じで曇りです。

 後醍醐天皇の御陵って吉野にあったんですね。

雨が上がって幻想的な風景に。

良い場所は食堂などが建っているので、お店でお菓子を頂きながらゆっくり鑑賞しました。

青空も覗きました。

桜も天気によって表情をかえます。

うすみどり桜というそうです。

金峯山寺

建物は国宝です。

雄大です。

こんな山奥にどうやって建てたんでしょうか?

かれんな桜

下千本までまた降りてきて、帰りはケーブルカーに乗らずに徒歩で吉野駅へ。

ほぼ十年ぶりの吉野の桜でしたが、見頃でとても良かったです。

お土産に柿の葉寿司を買って帰りました。

『モノを観る目の育て方』2016/3/15

まぁ、この問題は非常に難しいというか、永遠とも言えるテーマなんですが、ちょっと書いておこうと想います。

そもそも、私の様な若輩者が書くこと自体がおこがましいのではありますが・・・

職業的な事から書くと、若いときは何が良いのか全然解りませんでした。

とにかく先輩が売ってくるモノ、お客様の反応が良い物を良い物だろうということで、お勧めしていたというのが本当のところです。

いまも、私達の業界ではたいていが、人間国宝などの世間に認知されていたり、老舗と言われている所のモノが良い物だとする傾向が強い感じがします。

でも、その作り手がそれまでどういう経歴であったかとか、造っている会社がどんな歴史をたどってきたかは、本来作品とは全く関係がありません。

ある作家さんと『これから沖縄の染織からあらたに人間国宝がでるでしょうか』というような話をしていたのですが、私は『まぁ、出ないでしょうね』と答えました。

その作家さんも同意見で、一時バタバタと何人もの人が沖縄で認定を受けましたが、本当にふさわしい人は、一人くらいだろうという様な事を話したのでした。

他所の産地などに関してはその仕事ぶりや作品を細かくは知りませんので何とも言えませんが、実際、人間国宝などに認定されるについては作家としての力量以外の事も大きく影響するような感じがしています。

私がモノを観るときは、そういう作家の勲章や経歴などは全部視野の外に置きます。

大作家の作品だからと言って、かならずしも良い作品とは限らないからです。

無名の作家だからといって、作品もつまらないかといえば全然そんな事はありません。

ある作家さんと、『またどこからか、きっと天才が彗星の様に登場するはず』などという話をしていたんですが、その人曰く、いま現在もその方が天才と認める作家は存在するんだそうです。

その世界についてはかなり精通しているつもりの私でも名前さえ知らない作家の作品が個展をすれば飛ぶように売れ、天才が天才と認める存在であるわけです。

そういう意味では、実は、多くの人が知らなくても、解る人にはちゃんと解っているということなんですね。

織物、たとえば首里織なら首里織、びんがたならびんがたをずっと見ていれば、その作品がどんなに素晴らしく優れているかは、すぐに解るんだと想うんです。

平凡な作品ばかりを観ていても、図抜けた作品が目の前に現れれば、そこから目を離すことが出来ないほど、魅入られてしまう。

私は、博物館や美術家に行っても一切能書きを読みませんし、音声ガイドも聞きません。

できるだけ素の状態、真っ白な状態にして、自分の心だけに照らして作品を評価する。

染織に関してはプロですが、陶芸に関しては全くの素人です。

また、それが『眼』を鍛えるチャンスになります。

私は茶道の稽古をしていますから、道具についても色々と勉強をしなくてはなりません。

しかし、茶席において、その道具がどういう道具かの話はあっても、そのどこが良いのかについて言及されることは全くと言って良い程無い感じがします。

ということは、道具の作者とか言われとかを頭にいれなければいけない訳ですが、どうも性に合わないなぁ、と想って、陶芸教室に通い始めたということなんです。

何をどう見るかについて、一番の早道が『造る事を学ぶ事』だと考えたからです。

まだまだ、多少は解る様になったといえる段階にも達していませんが、この選択は間違っていなかったとは想っています。

モノを観るという事についてもいろんな見方があって、陶芸でも茶碗や皿などと、オブジェみたいなものとは観る部分や評価の仕方も違うのだと想います。

湯飲みであれば、持ち重りするものはダメだし、口当たりも良くなくてはいけません。

素人が普通に湯飲みの形にしても、飲みやすい湯飲みにはならないんです。

湯飲みとして優れた作品かどうかがあるように、着物として良い染織品というのも当然あるわけです。

それは『着るために造られた』という事に於いて、評価されるべきだからです。

それを除いて、着物としての染織品の評価は出来ません。

いくら技法が優れていて色が良くてもです。

着物であれば、日光や外気に当たるわけですし、人間の身体にも接近するわけです。

当然、長く愛用したいといこともあります。

そのすべてを満たしてこそ、良い作品であるわけです。

作品を観ただけでは解らないこともあります。

ですから、プロであれば様々な知識が必要です。

糸遣い、技法、染料その産地の伝統、等々、いろんな事を知っていなければいけません。

しかし、はじめて作品に対峙するときには、まずはその全てを捨て去る必要があります。

その上で、観たときに自分の心がどう動いたか、です。

ハッ!キレイだー!

ウワッ!すごい!

エェッ!なんやこれは!

など色々あります。

そこからはじめて、細かい分析を始めるのです。

『上手の手で下手なモノをつくる』という言葉がありますが、ものすごい技法を駆使して、丁寧につくってあっても、くだらない作品はごまんとあります。

まずは、その作品に感動するかどうか、です。

そして、一番大事なのは、自分の評価に自信を持つことです。

自分の評価に自信が持てないと、どうしても『名前』『銘柄』だけでモノを判断してしまうことになります。

そういうのを俗に『成金趣味』と言います。

モノが観れるというのは、山あいの小さな無名の陶芸家の工房に入って、その中から優れた作品一つを抜き出せる、そういう眼の事を言うのです。

この間、ある地方の民芸店である有名産地の作品がたくさん並べられていました。

良いのがあったら一つ欲しいな、と想って、ジックリ見たのですが、名前ばかりで作品はさんざん。

この民芸店の人は名前だけで作品を集めてるんだな、と一発で見抜けました。

安価でも良い作品は集められるはずなんです。

もちろん『好み』というのもあります。

『好み』で良いんです。

自分の好みでモノを観て、集められる。

これもアリだと想います。

そもそも、芸術や工芸の評価に中立・公正なんてものはありません。

感性の世界なんですから。

また、自分のモノに対する評価をヨシと出来なければ、自分の感性を世に問う事ももちろんできません。

作品の評価を全くしないで、作家の名前だけをあげつらう人が出来る仕事はせいぜいブローカーです。

では、モノを観る眼はどうやって育てれば良いのか、です。

あなたが作者の誰も知らない、例えば、県展や公募展に行ってみてください。

染織でも陶芸でも絵画や彫刻でもいいのです。

そのジャンルについて何も知らない方が良い。

そこで、作品をジックリジックリ見てみる。

できれば数年、できれば毎年。

誰も知らない、何をどうやって造ったのかも知らない。

作品を観る以外は一切学ばない。

そこで、ハッ!とする瞬間が必ずあるはずです。

そのハッ!を感じた作品が良い作品なんだと考えれば良いのです。

そして、そのハッ!に自信が持てたとき初めて、どうしてハッ!と想ったのかを学べば良いと想います。

ハッ!が無い作品は、たとえ世間がどんなに高評価を与えていようとも、良い作品では無いのです。

また、作品を観た後の『後味』も大事にしてください。

ハッ!と想った作品のうち、その中でまた良い作品は、ずーっと心に残っているものなんです。

世の中には『この人、どんなセンスしてるの?』と想う事があります。

作り手の中にも、どうしようもなくセンスの悪い人もいる。

技術が素晴らしくてもセンスが悪いとどうしようもないのです。

なぜセンスが悪くなるのかと言えば、たいていの場合、おかしなコダワリを持っている場合が多いのです。

でも、コダワリが無いと物づくりはできないのも確かです。

だから、どうしようもないのです。

でも、そのセンスの悪い人の作品を良いと想う人も必ずいるんです。

だから、世の中捨てたもんじゃない。

すべての作品は、作り手は良いと思って造っている。

ですから、一番大事なのは、自分をヨシとすることなんです。

『『国宝消滅』を読んで』2016/2/25

昨日ネッ

それにして昨日の午後注文して、その日の夜に届いたのには驚きました。

3時間ほどで読了しましたが、まずは、著者のデービット・アトキンソン氏には、我が国とその文化を愛して頂いて有り難うとお礼を申し上げておきます。

読み通すと、そんなに奇異なことも書いて居るだけでなく、私とは立場と感覚、そして価値観が違うだけのように感じました。

ネット上には和装業界をして『伝統と書いてぼったくりと読む』と書いてあり、カチンときたんですが、本全体としては、伝統産業全般について書かれており、その内容もわからないではないというものでした。

しかし、少なからずケンカを売られた形なので、拙いながらも反論と疑問点の提示をしておきたいと想います。

全体の2/3を読むと、この本は、外国人対応の観光立国指南書なのか?という印象をうけます。

日本はこれから人口減少に向かうのだから、GDPを維持拡大するためには観光を振興し、観光立国を目指すしかない、著者は一貫してそう主張しています。

そして、観光立国のためには、文化財の保護と活用が必要だと言います。

なるほど。

同感する方も多いと想います。

わが故郷の河内地区も、現在『百舌鳥古市古墳群』の世界遺産認定について、議論が戦わされています。

まず、GDPが増えることが、国民の幸せにつながるのか、という点が疑問です。

著者はGDPが減れば、今の社会保障体制が維持できないと言います。

それはそうかもしれません。

でも、人口が減ればGDPは減るのか?

著者はデータをもって、先進国では必ずそうなると書いて居ます。

では、GDPが世界一位の米国、世界二位の中国は社会保障制度が充実しているんでしょうか。

私は良く知らないので、なんとも言えませんが、そんなことないという印象です。

年金が減って社会保障全体が縮小すれば、日本人は不幸になるでしょうか。

社会保障制度がなかった時代、日本人は苦難の時代だったんでしょうか。

なんか腑に落ちません。

まず、この『GDPが減れば社会保障制度も維持できなくなり日本人は不幸になる』という前提が私にはしっくりこない。

そして、『だから観光立国しかない』というのも、あまりにも飛躍しすぎのような気がします。

私は百舌鳥古市古墳群の世界遺産申請には反対している立場ですが、なぜそうかといえば、沖縄の変遷を見ているからです。

沖縄は離島も含めて、私が子供の頃に行った姿と全く変わってしまいました。

本島中南部で、美しい海を見たいといわれて、どこに連れて行けば良いでしょうか。

海岸線は埋め立てられ、そこにはホテルが並び立つ。

貴重なビーチも、ホテルのプライベートビーチになり、地域住民の憩いの場ではなくなってしまっています。

基地・観光・公共事業の3Kが沖縄の基幹産業と言われる位ですから、観光が地元にとって大きな収入源であることは間違い有りません。

しかし、観光関係の人達以外は、自分達の故郷が汚されることを大変悲しんでいます。

そして、神聖な場にも、不遜な態度で足を踏み入れ、時には許されないような行為をする。

久高島には立ち入り禁止区域がたくさんあるそうです。

それは神の住む、神聖な島だからです。

うちから山を越えた向こうには大神神社という日本一由緒のある神社があります。

そのご神体は実は、三輪山で、そこへの立ち入りは出来ません。

著者は、文化財も立ち入り禁止にせず、イベントなどをして、有機的に活用すべきだ、と書いて居ます。

三輪山の神域に、外国人がいちびって立ち入ったとしたら、私達は許せるでしょうか。

著者は、『そんなこと言うてたら、おまえら貧乏するだけやで』そう言っているのです。

前編を読み進む打ちに何でしっくりこないんだろう、と考えたんですが、結論はこうです。

『日本は神の国であると言うことを骨の髄からは理解していない』

神社仏閣でなくても、お城であっても、山や海であっても、私達日本人は、そこに神がいると想っています。

私はそんなことないよ、と言っても、最後は神に手を合わせる。

日本人だからです。

そういえば著者はまたこう反論するでしょう。

『職人気質もそんな感じで言われるが、これはビジネスの論理で言っているんだから』

少なくとも私は『余計なお世話』だと想います。

こちらでは日本人の気持ちをビジネスと金をたてに、踏みにじって置きながら、最後の方では、中国産漆を使った京塗りを高値で買わされて文句を言っている。

また、金箔が中国製だったとか、着物も糸は中国製で、仕立てはベトナムだと言っている。

そして、職人の仕事を増やすことが技術継承で一番大切なことであると言います。

そもそもです!

プロなら、作品をみて素材を見極められるか、そうでなければ事前に知っておくのがあたりまえです。

文化財修復に関わり、日本の伝統産業に関して本をだすくらいなら、知ってるのがあたりまえ。知らないのがおかしい。

いえ、私は十分な鑑識眼と美意識を持っています、そうおっしゃるなら、外国産の素材でも問題がないくらい、職人の技術は優れていると言うことです。

本当に日本の漆を使った京塗が欲しいのなら、それ相応の選択をしなければならないはずです。

基本的に私達日本人は、モノを愛さない。

自分では気づいていないかもしれませんが、形有るモノを愛していない。

ゆく川の流れはたえずして・・・

諸行無常、形は変わり、いずれは朽ち果てる。

大切にしているのは、モノならそれを造った職人の技術であり、心です。

そして、そのモノにも神が宿っていると考える。

それが、異国の神であっても、です。

伝統工芸品規格では様々な制限がされていますが、素材は世界中から良い物を集めて造るというのも日本の伝統です。

中世から絹糸は大陸から買っていたんです。

琉球漆器は昔から中国の漆を使っています。

それでも琉球漆器です。

でも、沖縄の職人が沖縄の気候風土に合わせて、昔ながらの技法で造っていて、良い物が出来たら、それで良いわけですし、だれも文句は言いません。

著者は、自分が購入した京塗や着物の善し悪しには全く触れていないのも気になります。

もしかしたら、あなた、モノが解らないで買ったの?と問わずにはいられない。

それで、文化財の修復の社長やってるって、材料の仕入れ間違えるでしょって!

さすがゴールドマンサックスとやらの元金融アナリスト、銘柄は絶対と想われていたんでしょうか。

もしかして、札束もって、一見で高級店にはいられたとか?

25年も日本で暮らしておられて、誰の紹介でもない一見客で、それも外国人で、良い物を勧めて貰えると想ってる事がちょっと理解できません。

私達の世界は本来、客と店は、もちつもたれつ。

本当に良い物が解る人に良い物を勧めねばならないが、そんなものはそうは回ってこない。だから、本当に良い物は奥に置いてあるはずです。継続して付き合ってくださる常連様には、特別のはからいをする。現代的ではないかもしれませんが、これが私達の世界の習慣であり伝統のひとつです。

着物の事にも多く言及されておられますが、原価2万円のものが4〜50万なんて、どこから資料もらったんですか?

いくらなんでも、そんな値付けしているお店ないですよ。

(もしかして、あの紫色の店?)

価格が40万のモノなら小売店が35万、職人が5万って・・・

それ、へんな資料もらったんでしょう。

つまり優秀なアナリストといえども、情報ソースがおかしければ、まともな分析はできないということです。

そして、私には情報の出所や、その真偽についての意識も低い感じがします。

モノの値打ちや価値は、株式市場の価格表示とは違うんですから。

私達和装業界がぼったくりとか言われる原因のひとつに、生産原価からの積み上げで上代を決める方法が採られているせいもあると想います。

陶芸なら、作り手が上代を決めて、それに対してギャラリーが何割とるかを決める。

呉服の場合は、作り手から入った値段から様々なコストを積み上げて上代を設定するんです。

ちなみに綿反などの太物は機屋が上代を設定しています。
小売店に太物が並ばないのはこの習慣の違いのせいもあるのかもしれません。

かたや何割、かたや何倍ですから、誤解されやすいのですが、結局は同じ事です。

問屋は作り手から作品を買って、小売店に出すわけですが、作り手と問屋を分けて考えるのがそもそも誤解のもとなんです。

作り手と問屋は多くの場合一体です。

そうでないブローカーの様な問屋もありますが、基本的には、問屋は作り手と共に物づくりをし、永年付き合っていく、いわば『チーム』です。

メーカー問屋とかつぶし屋とか言われる存在ですが、そう考えると、一般的に着物の値付けは極めて良識的であると言えます。

もちろん、一部におかしなところもありますが、それはどの業界でも、どの国でもあることです。

最後に分業について批判しておられますが、分業をやめる、あるいは企業を集約して1社にすれば職人の仕事が増えて、技術の継承ができる、とおっしゃっていますが、分業しているから、高度な専門性が保たれ、その結果として、世界に冠たる製品が作られていくわけです。

京友禅は分業であるが故に、存続が危ぶまれていますが、じゃ、分業をやめたら、どうなるでしょうか。

これまでの品質はとうてい保てない。

品質の落ちた京友禅を守ろうなどとは京都の人は思っていないと想います。

どうしたらいまの品質を維持していけるのかに頭を悩ませている。

著者は、京友禅について『京都で造っている染め物』としか想っていないんでしょうね。

そうではない。

業界は日本一、世界一の染め物である京友禅を残したいと想っているんです。

そうでなければ、京友禅を残したことにならない。

びんがたもそうです。

いくらでも生産性を上げる方法はあります。

でも、それだけじゃ、びんがたを残したことにならないんです。

最後にこの本を読む限り、決定的に欠落している部分を感じる事があります。

それは、『職人の生活への配慮』です。

これは民藝論にも共通する部分です。

技術の継承、伝統の保持。

もちろん大事です。

でも、仕事をするのは職人で、カスミを食べて生きていく事は出来ない。

そして、こと伝統産業では、主と職人、あるいは使用人は家族です。

『そんなのもう古い。そんな事では伝統は保存できない』

そういうでしょう。

でも、悪いけどこれで、2000年以上やってきたんです。

それも我々日本人は、他所の国から収奪することなく、自己完結して、今の文化、伝統を作り上げてきたんです。

著者は大変よく勉強されているし、本当に我が国を愛してくださっている事はよく伝わりました。

しかし、なんでもかんでも貨幣や経済に置き換えるのは、悪いクセです。

我が国の文化財は、私達の魂そのものです。

文化行政がいかに不十分でも、私達がこころから大切に想っているモノは、私達が責任もって大切にしていきます。

三輪さんや、天神さんが、朽ち果てる事は無いし、いくら古くなっても、参拝者が減る事はないでしょう。

ご心配ありがとうございます。

でも、私達はお金の為に魂を売るようなことはしません。

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『民藝と機械』20156/2/23

日本民藝協団の機関誌『日本の民藝』660号に掲載されている記事です。

連載しておられる西堀さんは、一貫して日本民芸協会(駒場)が機械生産を認め、その理事長が工業デザイナーであることに疑問を呈されています。

そもそも『民芸とは何か?』という事を考えなければならないのですが、民芸でなくても美術や工芸というもうすこしジャンルのひろいものに置き換えて考えてみましょう。

柳宗理さんは、モデルを手仕事で造り、それを元にして機械生産で本生産をされていると書かれています。

その生産物は、民芸の要素の一つ、『実用に合致している』事を満たしている。

では、これが民藝、あるいは工芸品、なのかどうか?

工芸品、あるいは工芸とは何なのか。

ウィキペディアによれば下記の様に定義されています。

工芸(こうげい)とは、実用品に

芸術的な意匠を施し、機能性と美術的な美しさを融合させた工作物のこと。多くは、緻密な手作業によって製作される手工業品である。あくまでも実用性を重視しており、鑑賞目的の芸術作品とは異なる。ただし両者の境界は曖昧であり、人によっても解釈は異なる。
では、美術品とは?

原始時代の洞窟壁画ラスコーの壁画など)は呪術的な目的で描かれ、人間、牛の姿を巧みに捉え、日常的な実用性を離れた表現となっており、美術史の始めのページを飾るものである。美術は多く宗教とともに発達してきたが、近代以降は宗教から独立した一分野を形づくるようになり、個性の表現としても捉えられるようになってきている。

美術は芸術の一分野である。芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動である。とりわけ表現者側の活動として捉えられる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情など様々である。手作りで見本を造って、それを機械で大量生産する。
聞いた事があるような感じがしますね。
絵画では安価な模造品が沢山造られていますね。
では、その模造品は美術品でしょうか?
手仕事で造った茶碗。
その茶碗の型を手仕事で作って複製するのと、機械で造って複製するのとどれだけ違うでしょうか。
今時なら、3Dプリンターでできますよね。
ただ、それは『デザインだけは』という事です。
工芸品の価値は、それが実用性を持っている以上、見た目や形状的な使いやすさだけではありません。
手に持ったときの感じ、肌に触れた時の感じ、質感、などなど多様な要素がからみあって、その価値を生み出します。
織物の場合、手織りと機械織りでは見た目よりも、手持ち感や風合いに圧倒的な差が出ます。
同じように造っていても、強度も違う場合が多い。
糸もそうなんですから、布にももちろん反映されるわけです。
では、なぜ手仕事でなければならないのか。
機械で良いじゃない、という人は、手仕事によって生み出された価値を見いだせないから、あるいは大きな必要性を感じていないから、そうおっしゃるのでしょう。
飯田市の廣瀬さんは、機械でも手織り以上の風合いが出せるとおっしゃって、織機を開発されていますが、手織りの良さをキチンと意識した織物には及ばないという感じが私にはしていました。
つまりは、手織りの結果として出る物が、作り手も鑑賞者・使用者に認識されているかどうかが問題なんです。
布を見て、触れば、すぐに手織りかどうかたいてい見分けが付きます。
しかし、解らない人には解らない。解らない人には価値ももちろん解らない。
なぜ手織りなら高価なのか。
それは手間がかかるから、だけでなないのです。
逆に言えば、いくら手織りしても、機械織りにも劣る内容ならば、徒労といわれてもしょうがないのです。
陶磁器のデザインでは形状は機械でそっくりにつくれるかもしれません。
では、絵付けはどうでしょうか。
手で描いた絵付けと、そうでない絵付け。
絵の具の色はどうでしょうか。
歴然たる差ががあると言わざるを得ないのです。
民藝といってもピンからキリまで。
ピンは手仕事の良さが最大限に活かされたもの、キリはただただ大量につくられた手仕事による器物。
駒場の民藝館にあるのは前者でしょうか、後者でしょうか。
江戸時代に手作りで造られた湯飲みがすべて民藝を語るにふさわしいでしょうか。
ちがうのです。
民藝論というのは、数千、数万ともいえる、作り手の中でも名手の作品を観て、その美はどこから来るのかを考察したものなんです。
民藝の中にも名品もあれば、ガラクタも当然のようにたくさんあります。
では、その民藝の名品に、機械生産のものが追いつくのかどうか、です。
つまりは、作品の制作に機械をつかうかどうか、どの部分に機械を導入するかを決めるのは、作り手の価値観と、めざすところの品質に左右されるのです。
化学染料をつかうか、天然染料をつかうかでもそうですね。
化学で自分の思う色が出せるという人は化学を使うでしょうし、天然染料でないと私の色はでないと想えばそうするでしょう。
天然染料であれば、良い色がでるから天然染料を使うというのは、違うと想います。
あくまでも、作り手自身が狙った色を出すために、素材を選択するというのでなければならない。
天然染料は、意外性が魅力という意見もあるかと想いますが、それは詭弁でしょう。
陶芸でも、窯の中で何が起こるか予想がつかないとしても、100%狙った結果を出すようにするといいます。
つまり、柳宗理さんが機械生産という手段をとるということは、『それで十分』と想っているということです。
いち工業デザイナー、いち作り手なら、それでいいと想います。
しかし、民芸協会の会長に工業デザイナーが次々就任するというのは私も違和感を感じざるを得ない。
工程内で機械を使う事と、機械化することは違うんだと想うんです。
私がまだ毛織物の工場にいたとき、機械は導入されていましたが、依然として作業の主体は人間でした。
機械に通して、出てきて想う様な品質でなかった、修整が効いて、想うところの内容に達するまで何度でもやりなおせるか、それが大事なことなんだろうと想うんです。
優れた作品を造るには優れた道具が必要な事も真実だろうと想います。
でも、道具には品質を判断することはできないし、良い品質にしようという気持ちがないのもまた真実です。
民藝の本質はデザインではない。
実用を考え抜いた上での品質から生まれ、にじみ出る機能美なんだろうと私は考えています。
そこに熟練した技が必要なことは言うまでもありません。

『びんがたも作品を』2015/2/22

こないだの沖縄で、ある作家さんと長々話をしていたんですが、どうも最近びんがたに面白い作品がない、とくに、市場に出回ってる作品の魅力が薄れているなどと話をしていて、どうしてなんだろう?と二人で話し合っていました。

沖展を見ても、織物の方はそれぞれ産地ごと、作家ごと工夫をして、将来性を感じる若手が出てきて頼もしい感じがするんですが、びんがたはというと、どうも面白くない。

デザインは斬新であっても、作り込みが甘い。線が美しくない、色も冴えてない。

いろいろと考えてみたんですが、結局は受注形態にも問題があるのでは無いかという事になりました。

織物の場合、ひとつひとつ、一点限りのつもりで、創意工夫を凝らして糸を染め、織り上げる。

びんがたはというと、見本となる作品を造り、それに対して問屋が生地を渡して発注するという形です。

後者の場合、どうしても『仕事をこなす』という事になります。

ちょっと位出来が悪くても致命的な欠陥が無い限り、問屋は仕入れて金を払ってくれます。

悪く言えば『やっつけ仕事が通ってしまう』事にもなりかねないのです。

人気作家になると、ひと柄で何十何百も造る事になります。

それに魂を込めろと言っても、難しい事です。

びんがたの作家さんも、実はそんなに柄数をもっている訳ではありません。

そしてその多くは古典をアレンジしたものです。

完全な創作というのは、創作紅型の作家といえども、現実にはそう多くない。

古典をベースにしていることがほとんどなんです。

我々が発注する場合でも、実は、染め上がった現物が工房にあるわけではありません。

たいていは、写真です。

写真で色柄を確認して、発注するわけです。

当然、色柄の緻密な部分は解らないですし、生地によっても感じがまるで変わってきます。

作品が出来上がって来て、開いてみると、あんまり良くないという場合でも『ま、こんなもんか』という様な感じで、それに対して厳しい言葉を発するというのは、業界でもほとんどないでしょう。おそらく私くらいでしょう。

出来上がって来て『アララ・・』というのが多いのも確かです。

でも、この作品そのものを仕入れると言う場合には、アララ作品は仕入れません。

つまり、織物と紅型では、自ずと一つ一つの作品造りに対する真剣さが違ってくるんです。

見本の作品を造るときには、丹念にやったとしても、発注の場合は納期もあることですし、目の前にお金がぶら下がっていますから、作り込みが甘くなる事も十分にありえるわけです。

顔料の調合ひとつ、型を彫りなおす場合は、型紙の彫り方ひとつひとつに入る気持ちがかわってくるはずです。

型染めといっても、版画の様に同じ絵の具を多数の作品に使う訳ではないですし、現実、同じ型、同じ配色を発注しても同じに上がってこないのが、びんがたの現実です。

もう人気作家まで登り詰めた方は良いとして、これから頑張っていこう!という中堅・若手のびんがた作家さんには、自分で生地を仕入れ、渾身の力を込めて染め、その作品を売ることが必要ではないかと想うのです。

作り手として十分な力がついていない、まだまだ試行錯誤を重ねていかねばならない状態で、たくさんの注文が来たとしても、駄作を市場にばらまくだけです。

一時、駆け出しの若手にも注文が殺到していた時期がありました。

それは、その人の作品が良いからではなくて、ただ『びんがたが欲しい』というブームに乗っていただけなんです。

それがアララ作品を多数生んでしまい、市場にヘドロの様に溜まっている、そういう状況なんだと想います。

びんがた作品を作る事は、特に難しい事ではありません。

テーブルセンターやタペストリーくらいなら私でも出来ます。

大事なのは、基本的な技術と、『作り込み』です。

びんがたは分業ではなく、ひとつの工房内で工程が完結します。

だからこそ、手を抜いたら手を抜いただけの結果しかでないのです。

手を抜いたつもりでなくても手が抜けてしまう。

それが受注というシステムのワナです。

金銭的に一時は潤ったとしても、長い目で見れば力が付きにくいと私は思います。

同じ作品は二度と造らないんだ!くらいのつもりで、デッサンをし、柄を造り、型を彫り、色を調合する。

そして、ひとつひとつ最高のものを仕上げる。

そもそも、そうでなきゃ、使ってくださるお客様に失礼でしょう。

びんがたの型は大量生産の為の型ではありません。

型の持つ美しさを最高に表現できるのがびんがただと私は考えています。

精一杯つくった新しい作品なら、もっと高く問屋に売っても良いでしょう。

いま自分が手がけている作品が本当に自分の作品と言えるのか?

生地を問屋任せにしていて、それで自分の作品の魅力が十分に発揮できているのか?

10や20の創作柄を持っていたって、作家と呼ぶにはほど遠いです。

織の人は、自分で糸を買って、造った作品は自分で持って、問屋に対峙しています。

少なくない人が、同じ作品は二度造らないという気持ちでいます。

びんがたは絵画です。

作品を前にして語れる様でなければ、あなたの作品とは言えないのです。

『大学における芸術教育を考える』2015/7/10

大学における芸術教育・・・

芸大、美大以外でも、一般教養科目として、美術という科目があるし、文学部では芸術論や美学などを学ぶ機会もあるかと想います。

私はいままで二つの大学で学んだ事があって、初めの大学では一般教養として、二つ目の大学では、工芸の染織テキスタイルコースで専門科目として受講しました。

初めの大学はAとB(えとび)と言われた超楽勝科目ということで履修したので、何の記憶もありません。授業には2,3回出たでしょうか。

二つ目は、近くの大学だったんですが、仕事をしていましたので、通信教育でした。

通信教育でもレポートだけという訳ではなくて、染めたり織ったりする課題もありましたし、スクーリングで大学に行って実際に指導を受ける機会もありました。

レポートの方は、割に得意なので、チョロチョロっと書いて単位を取るなんていうのは、たやすいことでした。ある程度の予備知識もありましたしね。

問題は、染織の実技です。

私は一年の2/3近くをホテルで暮らすのですが、そこでは染めたり織ったりできません。

たまにオリビエという卓上織機をホテルに持ち込んで織ったことはありましたが・・・

染めは全くムリです。

家でやるのも大変で、外に出てガレージでやってました。

元々、不器用なので上手くいかず、なんども再提出を喰らいましたので、かなりの数は染めたり織ったりしたと想います。

季節によっては極寒の中、猛暑の中、外でビショビショになりながら、染めてました。

難儀して、なんとかクリアして、やっとこさで卒業制作まで来たんです。

ほぼ一年かけて卒業制作にあたるわけですが、構想から完成までを担当の教員と話をして、半分くらい進んだとき、あろうことか、別の教員が出てきて、ひっくり返されました。

まったく別のものをつくれ、と言うわけです。

まぁ、その時のことは思い出したくもないし、今でもあの大学の校舎の前を通ると気分が悪くなるのですが、エエ歳こいたオッサンに罵詈雑言。

あれでも大学の教員か?と想うほど、ひどい言葉を浴びせかけられ、無理難題を押しつけられました。

私は、下手くそですけど、まじめにやってましたし、ちゃんと順序も踏んでやってたつもりでした。

あまりにひどいので、もう勉強すべき事は勉強したし、卒業証書も必要なかったので、さっさと退学しました。

しかし、被害にあったのは私だけじゃなくて、同期の人も卒業制作の方向を全面的に変更させられた人もいました。

その人、あとで聞いた話では、卒業制作の発表の時も笑顔ひとつなかったそうです。

あたりまえですよね。

退学届けを出した後、実はその大学の別の教員の人からメールが来たんですが、その人から聞いた話では、他にもいっぱいいるんだそうです。

沖縄でも、その大学で学んだ人の中には、その教員のせいで機をたたんだ人もいるとか。

私は、退学届を出した時に、これじゃ、学生さんがかわいそうだと想って学長宛に上申書を出したんですが、それもどうも握りつぶされてしまったようで、なんの回答もありませんでした。

個性を伸ばし、物作りの楽しみ、表現することのすばらしさを学ぶはずの大学においてこんな事が現実にあるのです。

自分が芸術大学に身をおいて、いろんな楽しい事やイヤな事を経験してから、芸術教育というものに対しても関心を持つようになりました。

その教員は『学士さんになれるんやで、学士さんに』と同級生に盛んに言ってましたが、これはまぎれもなくアカハラでしょう。

つまりは、何を学ぶかより、卒業証書が大事だと、教員自ら指導しているのです。

ありえない!!!

私はそう思います。

他の芸大・美大は知らないですが、じゃ、芸大で何を学ぶんでしょうか?

技術なら、芸大で勉強したくらいで、プロにはなれないですよ。

じゃ、なんですか?

私は芸術の存在意義や、芸術への考え方・姿勢を学ぶ場であろうと想うんです。

経済学部で経済学を学ぶ意義は、なにも株式投資をするためではなくて、経済学をとおして、市場の仕組みを知り、自らがどう対応するかを考える基軸を得るためでしょう。

つまり、学問を通して、様々な事象をどう分析するか、その考える基軸を得ようとするのが大学という場であると私は思っています。

であるのに、です。

『私の言う通りにしなきゃ、卒業させないよ』

なんていうの、アリでしょうか?

作品を通して、世の中に自分の思いを発信したい、そう想ったときに、

『ちょっとまてよ、こんなこと表現したら、さしさわりあるかも』

なんて、ちまちま考える芸術家を育てるのが芸術大学なんでしょうか。

仕事柄、沖縄県立大学の卒業生と接する事が多いのですが、わりとノビノビした人が多い感じはします。

教員の方々の中に第一線で活躍されている工芸家・染織家の方が多いのも大きな魅力でしょう。

しかし、もしです。

自分が二流以下の工芸家であるとしても、学生の良い所を見抜いて、できないなら、見いだそうとして、指導を積み重ねるというのが最低限必要なことだろうと想うのです。

私の行っていた芸大もひどい教員ばかりではなかったです。

私の立場や学びたいことをきちんと理解して、やりやすいようにしてくださった先生方も多くいらっしゃいました。

個性を伸ばすべき場でありながら、個性をたたきつぶし、おかしな世渡りだけを覚えさせる大学なら、そんなものは必要ないと想います。

芸大・美大からたくさんの中高の美術教師が生まれます。

そんな教育を受けた教師は中学生・高校生にどんな指導をするでしょうか。

ぞっとします。

ええやんか!

たのしいやんか!

うまいやんか!

それでないと、伸びはしませんよ!

『ここはちょっと、こないしたらどや?』

それで充分なんです。

大学であっても、私がいまやっている仕事でも、『共に学ぶ場』であると考えています。

ほれ!もっとガツーンといきなはれ!

そう言ってあげて欲しいです。

『染織プロデュースという仕事』2015/7/9

先日、ある方から、私の仕事についてご質問があって色々話していましたが、ちょっとこの場でお話しておこうと想います。

私は何者かといえば、キモノの問屋です。

問屋といっても色々あって、いわゆるメーカー問屋とか、買い継ぎ商とか、産地問屋とか前売り問屋とか、ブローカーまがいのも居ます。

私の問屋業、呉服商の仕事の中身は色々あるのですが、一番特徴的なのは染織プロデュースという仕事なんだろうと想います。

じゃ、それはどういう仕事かというと以下のような感じです。

まず、必要な事は、『自分の美意識』『自分の世界観』を確立していること。あるいはそれを目指していること。

私はこんなのが美しいと想う、こんなのがあったらいいな、と想う。

そういうのをしっかり持っておかないと、プロデュースは出来ません。

それがないとタダの注文者です。

そして、その美意識と世界観を実現してくれる『作り手』を探す。

『あ、この人なら、できるかも!できるはず!』という人が居ないと想いを形にすることができません。

プロデュースはあくまでプロデュースであって、自分で作る事ではありません。

私が少し物作りをかじっているのは、物を造るためでなく、プロデュースに役立てるためです。

そして、その作り手の『得意技』『長所』『魅力』を徹底的に分析して、それを最大限に活かした上で、自分の理想を乗っける。

自分のやりたいことを押しつけるのではありません。

『のっける』んです。

自分が見込んだ作り手なんですから、なにをしなくてもベクトルは同じ方向を向いているはずです。

だから、乗っけるんです。

いわば、媒染で色を引き立てて定着させるようなもんですね。

そうすると、自分が欲しいと思う魅力というか美点かピンピンにとがる。

とがって、観る人に突き刺さるんです。

作り手さんと私が同じ方向を向いていないと、とんがらない。

先が丸まってると、突き刺さらないんです。

とんがっているはずなのに、突き刺さらないとしたら、私の責任です。

なぜ突き刺さらないのかを考える事が、つぎの物作りにまたつながります。

もし、私に京友禅をプロデュースしろ、と言われたらどうするか。

まずは、私の想いにかなう作り手を見つける。

作り手が全く違う方向を向いていたら、なんにも物作りは出来ません。

お手上げです。

同じ方向を向いて、長所と美点を引き出すことが出来たら・・・

私らしい作品が出来るでしょう。

人間はいろんな長所・短所をもっていますよね。

それが学校の先生とか、クラブの監督とか、職場の上司によって、長所がさらに引き出されることってありますよね。

また、自分では気づかなかった長所を見つけて伸ばして貰えることもあります。

でも、高校野球で大活躍したエースがプロに行ってからダメになる事もありますよね。

指導者との相性というのもあるんだと想うんです。

いわば、私は自分のチームを作っているわけです。

選手は投げたり、打ったり、捕ったりですが、その投球、打球、連係プレー等は、私の思い描く理想を基にして形成されるんです。

チームのプレー全体を私が造り、そのゲーム、プレーを実現してくれる選手を探して育てる。

そんな感じの仕事といえば良いんですかね。

ですから、どんなに良い商品、人気のある商品であっても、私の範疇に無いモノが入ると、展示会ではそこだけ浮いてしまいます。

私独自の世界で統一されていないと、なんか雑然としたありあわせにしかならないんです。

自分の好みで作家さんに物作りをさせるというと、なにか作り手をねじ伏せる様に誤解される方もあるかもしれませんが、決してそういう事ではないんですね。

じゃ、私が陶器や漆器もプロデュースできるかといえば、それはムリです。

なぜなら、それらにたいする美意識や価値観が確立していないからです。

5年や10年じゃ、ムリですよ。

経験と研鑽と、少しの天分が必要です。

そんな感じですから、私と同じ作家さんに注文を出しても、わたしのところにある物と同じ物はできないはずです。

あとね、大事なのは、ちょっと的外れな作品になっても、その作品を根気強く持ち続ける忍耐力と一緒に仕事をしてくれる作り手さんの仕事が永く続けられるようにという責任感は必要でしょうね。

もちろん、私に背を向けて去っていた作り手さんも少なくありません。

それはそれでいいんです。

楽しく仲良くやれなきゃ、良い物はできませんからね。

それが私の物作りのポリシーです。

『化繊の着物か芭蕉布のかりゆしウェアか』2015/7/6

世の中に『キモノ文化』という言葉があります。

着物業界の人は『キモノは日本の文化です』と良く言います。

この『キモノ』って何でしょう?

いわゆるキモノの形をした衣服でしょうか。

キモノの形って?

あの一般に認識されている形ですか?

伝統的に日本で着られていたとされている形?

あの形だけですか?

お百姓さんはあんなキモノを着て、農作業してたんでしょうか?

漁師は?

日本全国同じですか?

身分によっても違ったのでは?

・・・

キモノって何?

あの形にするだけなら、世界中どこでも縫えるでしょう。

どんな布だって良いのなら、世の中がどう転んだって出来ます。

そもそも、文化って何?

ならわしや習慣は文化といえるでしょうか?

だとしたら、私達の生活の大部分は文化ですよね。

お茶を飲む、白いご飯をお茶碗とお箸で食べる。

おはよう、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい・・こんな言葉を交わす事も文化です。

日本人の存在自体が文化の塊じゃないですか。

では、なぜ、キモノだけを取り立てて文化文化というのでしょうか。

それは消えかかっていると想われているからでしょうか。

文化だから残さなければならない・・・

そういう気持ちから『キモノは文化』と言うのでしょうね。

しかし、形だけをキモノにするなら、いつの時代でもどこの国でも出来ます。

100%外国人の手だけを使ってもキモノは作る事が出来ます。

素材的には、木綿はもちろん、ウールや化繊もありですし、文様も、西洋風の物でもOKでしょう。

となると、キモノは世界にあるいろんな素材の仕立て型の一つにすぎない、という事になりますね。

ちょっと待てよ・・あの着方をしないとキモノとは言えないのじゃないか?

前を合わせて帯を締める。

あれが、和装であり、キモノとはあの着姿の事じゃないか?

そうとも想います。

キモノを和装にしたてて、決まり通りに着る。

これがキモノ文化でしょうか。

だとしても、廃れはしても、全くなくなることは無いでしょう。

無くなるかも知れないキモノという文化って何なんでしょう?

例えば仮の話としてです、宮古上布の生産が完全に途絶えてしまって、もう造れないとします。

苧麻をうむ人も、十字絣を合わせて織る人も、砧打ちをする人も居ない。

復活も不可能です。

これは仮の話ですが、充分にあり得る話ではあります。

それで、宮古島の人は、『やばい。収入源が無くなる。外国で経緯ラミーの反物を織って、それを宮古上布αとか名付けて産品として売りだそう』

なんて事になったとします。

(あくまで仮定ですから、宮古島の人、抗議とかしないでくださいね)

宮古上布の名前は残るし、キモノファンの方々も、『ま、それで良いじゃないかぁ』と想われるかも知れません。

沖縄だけでなく、日本の各産地で同じ事が起こったら・・・

結城紬αが、どこか海外で糸も布も作られ、縫製も海外でミシンで・・・

これを着た日本人が『キモノは日本の文化だもの』って・・・

インド産の琉球ガラス以下の話じゃないですか?

ちょっと変わった風に仕立てて、ブーツ履いたら、そりゃブータンの民族衣装でしょって。

同じ工場で、韓服やチャイナ服も造ってたりしたら、その工場は世界の服飾文化工場っていうことになりますね。

キモノは日本の文化です。

いや、我が国が世界に誇るべき文化なんです。

キモノのどこが誇るべき所なのか?

私達日本人は、かたくなに和装を守ってきたわけでもありません。

戦後、早々に脱ぎ捨ててしまったといっても過言ではない。

しかしながら、伝統衣装を脱ぎ捨てたのは日本人だけではありません。

フランス革命以降、貴族が衰退し、女性の社会進出が進んでから、全世界で動きにくく、堅苦しい服から、軽快で着回しの効く服に切り替わったんです。

代表的なのはココ・シャネルのスーツですね。

欧米人に、かつての服に対するノスタルジーがあるかどうかは解りませんが、日本人には、まだキモノに対する愛着が少なからずあるように想います。

何故でしょうか?

キモノを着なくなった時代が、まだそんなに昔ではない事もあるでしょう。

私が子何処の頃はまだまだ、着物姿の人はたくさんいたし、祖母はずっとキモノだったという世代です。

そして、まだ20年位前は、キモノは『娘に持たせるもの』でした。

自分の物を買うより、娘に買ってあげるという需要の方がはるかに多かった様に想います。

そして、冠婚葬祭には、新調してキモノを着たんです。

裕福な家庭では、お正月にはみなが新調したキモノで集まるという事もあったでしょう。

家族だけでなく、村の親戚とか、一門が集まるようなお正月もあったでしょう。

婚礼となるとまさにそうだったんだろうと想います。

つまり、キモノというのは家族、一族の絆、つながりそのものであったし、想い出や歴史がすり込まれたものだったんですね。

だから、『キモノは文化』なんです。

晴れの場に対して、ケ、つまり日常はどうしょう。

大昔はお母さんが織ってくれた、縫ってくれたキモノでした。

30年位前は、反物で買って帰られる方が圧倒的で、みな自分で縫われたんですよ。

そんな温かい記憶がいっぱいしみこんでいるのもキモノでした。

そして、我が国が世界に誇る『手仕事』の文化です。

染、織とも比類を観ない、追随を許さないと言って良い。

世界最高、それもダントツの最高の技が日本のキモノには詰め込まれているんです。

そんな衣服を着ている民族は世界中さがしてもどこにもいないはずです。

『衣・食・住』という言葉があります。

これは生活に必要なものを列記したと想われがちですがそうではないそうです。

宗匠が教えてくださったのですが、衣・食・住の順が文化的序列。

衣が一番文化度が高く、その次が食、住は二の次なんだそうです。

住まいは慎ましくても、身なりをちゃんとして、キチンとした物を食べるのが先なんです。

では改めてキモノ文化って何でしょうか?

キモノ文化はつまり、日本人の服飾文化であり、服飾に対する意識だと私は思います。

実は、その劣化がキモノの衰退に直結しているのだと私は感じています。

芭蕉布や宮古上布を観て、すばらしい織物だと本当に感じられる感性があるなら、冠婚葬祭にはできるかぎりの物を着て、気持ちを表したい、その感覚があれば、もし、一時期にキモノを着る人がいなくなっても、すぐに復活できると想います。

しかしです。

染織の技術はおいそれとは元に戻らないのです。

テーブルセンターやコースターは織れても、キモノは織れなくなります。

品質は当然、遠く及ばない。

何とか上布αしか造れなくなります。

なんとか友禅βばっかりになると想います。

そんなキモノを着た日本人を外国人は鼻で笑うでしょう。

嘲笑される事よりも、それをなんとも想わない日本人の感性の劣化が問題です。

染織技術は、まぎれもなく、その技術を認める消費者が居たから育てられたのです。

今の私達にそれが出来るでしょうか。

良い背広を着ていてもブランドの話になるだけ。

良い背広ですね、どこで誂えられたのですか?

なんて聞かれた事はありません。

生地も仕立ても、解る人はほとんどいない。

それが現実の我が国です。

キモノ文化だけでなく、服飾文化までも失いつつあるのです。

もちろん、工芸文化ももっと早くに失っています。

文化が廃れれば、行く先には産業もへたれます。

日本の産業は伝統工芸の下地があったからこそ、急成長できたんです。

日本人は、世界でダントツの貴重な宝を自ら捨て去ろうとしています。

どうしたらいいんでしょうか・・・

結局は、私の立場としては、良い物を世に送り続けるしかないんでしょうね。

『ビッグネームの責任』2015/6/30

染織の世界にもビッグネームというのが存在します。

有名な伝統染織産地の品物もそうでしょうし、有名な作家。

たとえば、結城紬なんかはそうでしょうし、個人作家なら、重要無形文化財技能保持者や現代の名工などに指定されている人達です。

これらは名前だけが一人歩きする力を持っています。

Aという商品名のラベル、Bという作家が造った事を証明する証紙や反末文字。

伝統染織界のトップに君臨する商品たちです。

これらの作品は、高度な技術を用い、高品質であると誰しもが想っています。

Aという産地の物なら間違いなく最高品質の物だろう。

Bという作家が作った物なら、そのジャンルでは最高のものであるはずだ。

それと共に、価格も当然それに見合ったものになってきます。

Xという、そのジャンルでは最高だと想われている作家がいるとしましょう。

Xは押しも押されもせぬ、その染織品の大家です。

だれも、それを疑わないし、着物がすきなひとなら、誰でもその名前を知っている。

Xの作品はとても手間暇、工夫が必要なために、100万円で出しているとします。

でも、Xから出る価格が100万円となれば、買える人は限られます。

でも、Xの作品は誰もが欲しいと想っている。

問屋としては、もうちょっと価格を低くしてたくさん売りたいと想う。

また、100万円で仕入れるより80万円でしいれたほうが、利益があがる、あるいは価格を安く設定できる。

手間暇掛けて良い作品を造るには100万円はXとしては譲れない線です。

ではどうするか。

手間を省く。

材料を安い物に替える。

これを良いように言えばコストダウンと言います。

しかし、これには際限がない。

もっと安く、もっと安く。

Xの作品は50万円まで値切られてしまいましたが、発注量は倍になりました。

手間暇や材料を落としているのですから、Xの利益は変わらないかも知れません。

しかし問題なのは、Xがビッグネームであり、安ければ飛びつく威力のある名前だと言うことです。

そのジャンルのトップであるXの作品が50万円まで落ちているとどうなるか。

その下の、それまでは80万、60万、50万で仕事を請け負っていた人は当然しわ寄せを食うことになります。

『Xが50万やのに、なんでオマエが60万やねん』

必ずそうなります。

しかし、観る人が観ればXの作品は品質が落ちている。

そこで、Xの下に居る人は二手に分かれます。

私も安くしなきゃしょうがない、と想う人。

私はあくまでも良い作品を作り続けて、それにふさわしい対価を頂く、と考える人。

前者は注文が来るかも知れませんが、当然ながら困窮するでしょう。

後者は注文が激減するかも知れません。これも困窮します。

Xより上の価格設定が現実には出来ないのです。

つまり、Xはかつての、ON(王・長島)なんですね。

それとともに、粗悪なXの作品が大家の作品として、世の中に大量に出まわる事になります。

初めは良いでしょうが、だんだんとお客さんの方も、気づき出す。

『あー、Xさんの作品ね。私も持ってます』

・・・

そんなに良いと想わないし、誰も彼も持ってるから、もういいや・・・

そんな風になると想いませんか?

実は実は!

Xは自分の中では作品にランクをつけている。

そう言うことも多いのです。

でも、一般の消費者の方はもちろん、問屋もそれを知らない。

しかし、多く出廻るのは最低ランクの最低価格帯です。

Xがトップに立つ作品群そのものの評価が低くなり、Xの下に位置する作り手の作品は、さらにもっと下と見なされて、市場価値を失う。

そして、その染織品自体が、市場から駆逐される・・・

私にはそんな風に想像できます。

トップに立つXの作品を観て、新たな作り手が高い志をもって、挑もうとするでしょうか?

ですから、トップに位置する作り手は、品質、価格共に、それにふさわしい事とする使命があるのです。

王・長島がTVに出てバカなことしてたり、ラフプレーを連発してたら、プロ野球自体を野蛮なもの、幼稚なものと想うでしょう。

反面、王・長島が年俸を低く抑えていたから、その下の選手の年俸が上がらなかったという事も事実です。

その天井を打ち破ったのが落合でしたよね。

その弊害も多々あるとは想いますが、トップの人が天井を高く高く支えていることによって、下の人達の生存が確保されるということはあるだろうと想うのです。

そして、トップの人の素晴らしい業績を観て、また新たに同じ道に入ろうとする人も出てくるでしょう。

お金儲けを目指して染織の道に入ってきても上手くいかないのは、今や誰でも解る話でしょう。

ビッグネームの粗造・安売はと言っても過言ではないと私は思っています。

『違いこそ宝 〜「風に舞う布 琉球染織の美」』2015/6/2

大阪くらしの今昔館で

「風に舞う布 琉球染織の美」

が始まっています。6/28(日)までです。

http://konjyakukan.com/kikakutenji.html
こちらで配布?されている図録が今日届きました。
実は、原稿を頼まれて、ちょこっと書いたのが巻末に載っています。
図録のは少し手が入れられているので、このブログでは私が書いたままを掲載します。
『沖縄染織の現状と展望』というテーマでのご依頼でした。

違いこそ宝この度は開催おめでとうございます。私の沖縄との出会いといえば、父がお土産に持って帰ってくれたチョコレート、ガム、プラモデル。そして日曜日のお昼のポークたまご。そのおかげでこんな肥満体になってしまいましたが、父との大切な想い出の一つです。父は、20歳の頃から某商社の駐在員として、沖縄に居住していましたから、沖縄とはかれこれ60年のお付き合いになります。当時はまだ米国の施政下でしたから、弊社創立時は、糸や染料などと共に、学生服などの生地を沖縄に納めていました。当時のお得意先が株主になってくださったりして、大変な応援をしてくださったんですね。染織界では、大城廣四郎さん、大城カメさんには大変お世話になったと聞いています。私が廣四郎さんにお会いしたのはまだ幼稚園生の頃で、大阪の展示会に来られたときに、お小遣いを下さったのを今でも明確に覚えています。確か5000円でした(笑)沖縄が本土に復帰してからは呉服一本になったのですが、沖縄といえば、必ず父の姿が重なって見える、そんな感じでした。いまでも、そうなんですが。沖縄の事は父を通じて、いろんな事を間接的に学んでいました。それこそ、本当に『いろんな事』です。 私がこの業界に入ったのは25歳の時ですが、太くなったり細くなったりしながら、沖縄との付き合いはずっと続いていました。その9年後に父が倒れて、そのまた1年後に亡くなるのですが、その時に父から言われたのが、『もう一回、沖縄の織物に力を入れてみたらどうや』という事でした。そして、『そのかわり、沖縄に骨を埋めるつもりでやらなアカンで』とも言われました。若いときから長く沖縄と付き合っていた父としては、いろんな感情があったようですが、この言葉が遺言の様に私は感じています。私がこの世界に入った当時は、まだ沖縄の染織とえいば、二級品扱いだったそうです。それで、入社して最初に父から教えられたのが、沖縄の輝かしい歴史と文化でした。そして、京都、加賀、江戸と並ぶ沖縄染織というジャンルを確立する事を目標としているという話を熱く語ってくれました。復帰当時、多くの問屋の意識は『裸足の沖縄』だったそうです。沖縄は裸足で生活しているような貧しいところだから、手作りの物が安く手に入る。こんな意識だったのです。その中で弊社だけが、琉球王朝の輝かしい文化にスポットを当てていたんです。今は首里城がその歴史を語ってくれますが、当時は守礼の門しかありません。自ら歴史を学ばない者にはその文化は知るよしもなかったのかも知れません。35歳で父から会社を受け継いでから、私はむさぼるように、沖縄の歴史を学び、民藝論の本を読みました。その中でやはり、父の教えは間違っていなかったと想いましたし、沖縄染織のあるべき方向性を深く考えるようになりました。 父がよく言っていた事ですが、『沖縄の染織品は力強くなくてはいけない』と私は思っています。私が沖縄に通い出した頃、もうすでに創業当時お世話になった方々は第一線を退かれていて、また、新たな業者の参入もあり、仕入れにも苦労しました。猛暑の中、もうろうとした頭でたどり着いたのが、久茂地にあった沖縄物産センターでした。こちらとも古いお付き合いで、平良さんご夫妻には大変よくして頂きました。平良さんの奥さんも『沖縄の染織はパワーをくれるんです』と父と同じ事をおっしゃっていたんですね。 沖縄染織の将来や展望と言っても、私の様な内地の人間があれこれ言うのは適当ではないかと想います。私の願いはただ一つです。沖縄の方々の中から本当に沖縄染織の価値や魅力を知って、それを護り続けていこうという熱い気持ちを持ったリーダーが存在し続けること。今や、花織やロートン織、紅型と言っても、技法自体は、内地のあちこちで使用されています。技法自体に価値が見いだされる時代では無くなっています。20年前は、花織を見せるだけで一発で売れていたんです。それが今や『あぁ、花織ね』です。技法の特異性が他より秀でたもので無いとすれば、今後の沖縄は何に力点を置いて市場での存在意義を保ち続ければ良いのでしょうか。沖縄でしか造れない物、沖縄の人にしか造れない物。それは一体何なんでしょうか。それを自ら深く考えて、認識した物作りをしない限り、和装市場の中で埋没してしまうのでは無いかと思います。今、和装の物作りは世界に及んでいます。いわゆる沖縄物によく似た着物や帯が外国で安く造られはじめています。それに対して、明確で抜群の魅力が無ければ、デフレの波に必ず飲み込まれてしまいます。均一な物を大量に造るようになれば必ず値段は下がります。値段が限界まで下がれば従事者も後継者も居なくなります。そうならない為にはどうした良いのか、です。 私は、『伝統を踏まえた個性』にその答えがあるのではないか、と考えています。伝統だけではない、しかし、個性の発露だけでもない。その両者がシナジー効果を得て、最高の物になるのではないでしょうか。沖縄には、私達本土の人間とは違う個性があります。異なる美意識がまだ残っています。これはまさに宝物なんです。日本国中で同質化が始まっています。私はあちこちに出張で出かけますが、どこの街に行っても同じ飲食店、同じ服。でも本来、違うことにこそ価値があるのです。その違いをどう活かすか。それは沖縄のみなさんが考える事です。私はこれからもそのお手伝いをさせて頂きたいと想っています。                萬代商事株式会社
                 代表取締役社長 萬代学

 てな感じです(^_^;)

 書きたいこと、言いたいことは山ほどありましたが、『私らしい感じで』という事でしたので、柔らかく読んで楽しい?内容にしたつもりです。伝統染織を語るとき、流れを止めて点でみては正しい判断は出来ないのだと想います。あくまで歴史から未来へつながる線でみるべきです。今こうだから、未来はこうならねばならない、それだけじゃだめなんです。今までこういう事があった、こういう歴史をたどって来た、それを踏まえて、こうしなければならない、という考え方が必要だと想うんですね。そうでなければ、先人の遺産を食いつぶしてしまうだけになりがちです。現に、いまそうなりつつあるではありませんか。
 まぁ、私の講釈読んでるより、作品を観に行ってくださいね。