こころざし

民藝運動を語るまでもなく、現代は機械による大量生産品にあふれています。コストを下げるために単一の規格生産ばかりで、そこに美を感じることは難しくなってきました。手仕事の品物が私達の生活を彩っていた時代、作り手は熟練し、望む望まざるに関わらず美しいものは自然と生み出されていました。生活者たる私達も特に望まなくても自然と美しいもの、生活に馴染むものを選択していたのです。産業革命以降、機械生産が導入され、それとともに、西洋の価値観も我が国に流れ込んできました。かつてはモノを観、手にとって選び、大切に使用して手に馴染み、美しさを増していた器物が、産地や作り手の名前がそのモノの価値よりも先に意識される価値判断の基準となっていったのです。陶器で言えば、広場や通りの露天のものより、デパートやギャラリーに置かれるものの方が価値あるもの、とされました。生活者は価値判断を商人にあずけるという事になってしまったのです。しかし、本来、品物の価値を生み出すのは、自然の恵みと職人の才能、そして技です。陶器でいえば、土、釉薬、手わざ。染織でいえば、繊維、染料、手わざ。そしてそれの価値を実感するのは生活者が、生活の中でしかありません。そして、最終的にその価値を高めるのは、生活者自身なのです。手仕事が衰退したのは、職人の技術が退化したからではありません。生活者のモノを観る観点が変化、劣化し、正当な対価を認めなくなったからです。便利さにかまけて、良いものを長く使い、自分のモノとすることを怠ったからです。経済合理性と引き換えに『美のある暮らし』を手放してしまったと言えるかもしれません。しかし、科学技術も経済も行き着くところまで行ってしまった感があります。ここで、立ち止まって、本当の幸せな、豊かな暮らしとは何かを考えてみようではありませんか。他人に価値判断を委ねるのではなく、自分で自信を持って『選び取れる』力を手に入れようではありませんか。そして、それに応えてくれる造り手が育ってくれるはずです。能書きを読むのではなく、じっくり物を見て『自分に合うのかどうか』を考えて、モノから美を感じ取ってみようではありませんか。手仕事だから美しい、価値があるのでもありません。モノに付随するすべての雑念を取り払って、心を素にして観てみましょう。心で観るのです。そして作り手と心で会話する。そんな気持ちを共有できる方と一人でも多くお会いできたらと考えてこの民藝館をつくりました。ご縁が多くつながりますように。

もずや抛竿斎

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